ほたる蛍ホタルぅ、いとをかしかし~
ご無沙汰しております。
急にノテを書きたくなったので、更新します。
先ほど、夜散歩をしてきました。
日中はだいぶ暑くなりましたが、夜はまだ比較的涼しく、散歩するにはもってこいの季節です。
コオロギやウシガエルの泣き声が心地よく身体全体に響き渡ります。
今もこのノテを書きながら、コオロギの泣き声がBGMとして空間を広げ、なんともいえないノスタルジーな気分になります。
今日は24年ぶりのスパームーンの皆既月食ということで、外に出て見れるかな~と思っていましたが、あいにく曇り空一色でカケラも見えませんでした。
残念やな~といつもの桜並木の川沿いを歩いていると、ほのかに光る物体がちらほらと視界に入ってきました。
ほたるが出てきていました。
何匹ものほたるが、おケツからほのかな渋明るい黄緑というのか、何とも言い表すことが難しい明かりを灯しながら、フワフワと川の上を飛び交っていました。
正直、少し驚きました。
まだこんなにもほたるがいたのかと思いました。
僕の家の前の川は、割と蛍が見られることで地元では知られていたのですが、もうだいぶ減っってしまったのだと勝手に思っていました。
おそらく20匹くらいはいたのではないかと思います。
ぽけーーとと自由に宙を飛び交うほたるたちを見ていたら、一匹のほたるがふらふらと僕の方にむかってとんできました。
(ああ、俺んとこにきてくれへんかなぁ~)
と心の中で何の期待もなしにつぶやいていると、なんと僕の服の袖に蛍が止まりました。
(正確に言うと、僕の目の前まで飛んできたのは本当で、包み込むようにキャッチしようとしたら、袖に止まった)
両手で優しく包み込んで、そのほたるを見つめていました。
なんかココロの中がじわーっとほわぁーんと満たされていく感じがしました。
なぁんか人間の手の中に収まるくらいほんまに小さく儚くて寿命も短いのに、生きてるよなあって気分になりました。
ほんで、めちゃくちゃ綺麗とか美しいとかそういう感じじゃなくて、なんとなく見ている人間を安心させるというか、ほんわかさせてくれる存在やなあと気持ちよくなってました。
ほたるの存在に慈しみを感じると同時に、この感情を感じ取れる感性を持つのはきっと人間だけだし、こんな小さな存在に対しても感動できる人間も素敵やなぁとしみじみエモイングしてました。
昔の日本人もこのほたるの光をみて、エモイングな気持ちなって和歌とか作ってたんやなあと考えると、モアエモイングやし、この桜並木や川沿いを作ってくれた人や整備してくれている人とかほんまにいろんな人たちのおかげでこんな想いできるんやなあと思うとマッチモアエモイングでした。
「感動を見失うな。感動できる自分を見失うな。」
どっかでこんな言葉と出会ったのを思い出してました。
けっこう自分の中では大事にしてる言葉で、まさに今、感動できてるなと嬉しくなりましたわぃ。
ほたるの光って、なんか拠り所になるような色をしているし、光り方(ほわーんって定期的に灯る感じ)も見ている少し瞑想的な気分になります。
これって、実は現代社会に適した憩いの時空間なんちゃうかなあとかも思ったりしました。
今の町は明るすぎるし、テレビ、スマホとかパソコンとかで、一日中人工的な明かりに囲まれてる現代人にとって、ほたるはかけがえのない存在なのかもしれないと感じましたねえ。
(ちなみに、ほたるをキャッチした時に後ろに人が通ったので、嬉しさのあまり「ほたる」といって見せようとしたら、「ふええっ!!?」ってめっちゃびっくりさせてしまいました。確かに暗闇の中でさらに黒い服装の髭面の男から急に「ほたる」とか声かけられたらビビるよなぁ、普通にキモイなあとおもいましたとさ。)
子どもを連れた親子や老夫婦の人たちもホタル観賞をしていました。
ああ、良き良き。
これぞ、をかしをかし、いとをかしぃ~
周りにこの想いを共有できる人がいなかったので、一気にノテ書いちまいました。
別に自分が風流人やとは思わないけど、なんというかこういうノスタルジーな気分も一緒に共有できる人が近くにいたら嬉しいなあとも思いますなあ。
梅雨もいいねェ。日本いいねェ。地元もいいねェ。ほたるちゃんさんきゅう