コミュ力ってなんだ?
今日は平田オリザさんの「わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か」
劇作家なので場面展開が沢山あって、さながら演劇作品をみているような感覚でもあり、それぞれのトピックがこう繋がるのか!と読みながら面白くもあった。
本書を通じて考える「コミュニケーション能力」とは、社会的な動物である私たちは他者との関係性の上でしか存在し得ないが、根本的に他者のことは分かり得ない、という前提条件を認識した上で言葉として発せられる記号の奥にある人物像や意思、想いを汲むこと。そして自分を表現すること、記号では伝わり切らない部分をすり合わせるために対話ができること、と現時点でまとめる。
これまでは何となく、色んな人と隔たりなく会話というか世間話ができることが俗にいう「コミュ力高い」人だと思ってきた。
人間が持っているノイズという特徴に何が込められているのか、同じ言葉でもそこに込められているバックボーンを、コンテクストのズレをどう認識していくかを身につけていく必要があり、これがコミュニケーションの本質であり、本書にも例にあげてあった、単語で喋る子どもでは言葉という記号を発しているだけなのだとわかった。
印象に残ったのは日本では主に女性が使う「かわいい」という言葉が、日本の文化的に少ない対等な関係における褒め言葉であるという点。
実際に私もよく使うし、「かわいいばっかりいうね」とも言われたこともある。ボキャブラリーの観点からすると寂しいことではあるが、嫌味が少なくどんな相手に対しても使える言葉として浸透しているなと感じる。
「察する文化」の日本は世界からすると少数派であるが、このように少しずつ、自分達の生きた言葉や表現方法を増やしていき、コミュニケーションの幅を持たせられるよう、気づいた人から必要な部分を変えていかなければあっという間に世間から取り残されてしまうのだろう。