自分の限界
ちょうど50本の記事を公開したところで5日間ほど夏休みをいただいてしまいましたが、今日からこちらの連載も再開していきます。
また別連載に浮気してしまう日もあるかもしれませんが、ストーリーが分からなくなってしまった方は【原書本公開】のマガジンからお好きなところを読み直していただければ幸いです。
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感じていた異変 言えなかった本音
介護事業所スタッフとしてフルタイムに近い勤務をこなす傍ら、家に帰れば慣れない1人暮らしにヘルパーの手配や育成、さらには通信教育のレポートをこなす日々・・・。意地とプライドだけで3足のわらじを履いてきましたが、やはり身体は正直でした。
2011年9月、私の身体はついに悲鳴をあげたのです。今思えば8月上旬頃から異変を感じてはいたのですが、言い出すことができませんでした。この頃にはすでに無気力状態、食欲不振、朝起きられない、会社に行きたくないといったマイナス思考の連鎖に陥っており、明らかに普通ではありませんでした。
こんな状態を1ヶ月隠し、迎えた9月の昼休み。必死に午前中の仕事をこなし、社員食堂で昼食を取っていた時、顔なじみの調理スタッフに声を掛けられました。
「どうしたの?最近様子が変だよ」と言われた途端、私は感じていた異変をすべて打ち明けました。それまでは20分ほどで完食していた昼食も、この頃になると半分を食べるのに1時間かかるような状態でしたから、さすがに異変に気付いたのでしょう。
「事務所に戻って、すべてを打ち明ける」ことを約束し、食堂を後にしました。この時はまだ入社5カ月足らずで、半年間の試用期間も終わっていませんでしたから、クビになることも覚悟しました。
それでも、「どうした?」という言葉に続き、食欲不振や倦怠感、呂律が回らなくなっていることを伝えました。怒られることを覚悟していたので正直、有難かったです。少し休んだ方がいいということで3日間の休暇を与えられた私は、(カミングアウトが金曜日だったため)翌週の月曜日にはすぐに心療内科を受診することになりました。
望まない夏休み
診察の結果、「抑うつ状態及び適応障害」と診断され、同時に医師からは「1ヵ月間は仕事を休むように」と言われました。この声を聞いた瞬間、私の緊張の糸は一気に切れたことは事実ですが、すぐに「会社に伝えなければ」という次のプレッシャーに襲われたことを覚えています。
怒られるのではないかという恐怖ももちろんですが、それ以上に私が支配さえていたのは、(休みを許可する代わりに)急転直下のクビ宣告をされてしまうのではないかということでした。それまで、私が1つ報告をすると必ず2つ以上の指示が返ってきていましたから、なおさらです。その思いが、余計に私を電話から遠ざけ、不安を増長させました。
診断書の甲斐もあって休むこと自体を咎められることはありませんでしたが、「体調不良で不安が強いと伝えれば、ヘルパーの時間数が増えるはずだから、休み中に交渉してみて」という声が聞こえてきました。こんな時にできない・・・と思った気がしますが、正直、ここから先のことはあまり覚えていません。とにかく限界でした。
不意に舞い込んだ少し遅い夏休み。これが、私にとって地獄の始まりだったのです。
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