怪しいネットワークビジネスにハマる人たち
20代の頃に知り合いに誘われて、渋谷のセンター街を抜けた場所にある会場で頻繁に開催されるセミナーに、付き合いでたまに顔を出していた。そこに出入りする人は独特の雰囲気を持っている人がとにかく多かった。ちょっと浮いているというか、浮世離れしているというか、大学のサークルのノリともまた違う人種の集まる場所だった。
そこで行われるセミナーには、どっぷりとハマっている会員だけではなく、誘われて興味本位できた人やなん事情も説明されないまま連れてこられた人まで様々なスタンスの人が参加していた。
この団体の文化なのか、それとも、たまたまそういった人たちが集結していたのか、セミナーにしろドリンクやお菓子にしろ、都度小銭で精算している姿がアチラコチラで見受けられた。
セミナーは古典的な心理テクニックを使っただけの中身のないふわふわした内容なのだが、周囲の聞き入る人たちは熱心にメモまで取って聞いてる。BOOKOFFの100円コーナーに平積みされている本の内容を薄めたような話ばかりで、小さい頃に飲んだ、茶色のビールのビンに入ったカルピスを思いっきり薄めたような薄さだ。それでも聴衆は目を輝かせて聞いている。
セミナー講師はいかに簡単に不労所得が得られるかを力説しているのだが、なぜかその不労所得を得るためにかかる営業工数や、製品を買うために毎月膨大にかかる費用のことは、まるでこの世に存在しないかのごとく説明しない。一切しない。
ネットワークビジネスにハマる人はたいてい自分の労働時間はカウントしない。膨大な時間を投下して、「不労所得」というものを得ようと必死になっている。
不労所得は、魔法の言葉だ。
不労所得の言葉を口にするとき、なぜか彼や彼女たちは瞳を純粋な少年のように輝かせて、将来の夢を語る。こそで語られる夢はインスタの写真の様なものばかりだ。
海外旅行に招待されることに対して、何らかのステータスを感じているらしい。自分以外の誰かが招待された話を延々と話し続ける事ができる。
世の中が思う以上に、海外への憧れがあるようだ。
そういえば、小学校の頃テレビ番組で豪華賞品は決まって海外旅行だった。当時為替レートが1ドル200円を切りはじめた頃で、海外旅行は庶民にとってゆめのまた夢だったのだ。だた、2000年以降の海外旅行は、学生でもお気軽に行けるくらいお手頃な値段に落ちてきていて、ヘタに沖縄に行くよりも海外に行ったほうがむしろ安上がりなくらいだった。
本業として、十分生活できる人もいないわけではないが、関わっている人の大部分は別に仕事を持っていて、ある意味複業の先駆け的な存在なのだけれども、かなり冷めた目で見ていた。