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信じてあげられなかった。#33
あなたの魂に
火がともりますように…
今日、職場で一人の検査員のKさんから
「拡大鏡を使おうとしたら調整つまみが取れていました。その器具を最後に使用していたのはNさんでした。」
と報告が入ったのを聞いて
ぼくは
「ちょっとNさん…!壊したん!? てか、そんな所壊れるー?笑 まだ新しい器具やのに。もうごまかさんといてー!!なんでそのまま隠すかなぁ?素直に言ってほしいわ。」
とNさんには何も確認せずにそう思ってしまいました。
…なぜか?
【Kさんはすぐに仕事を覚えてやる気が見える態度で勤務している。一方、Nさんは仕事があまり出来なくて覚えるのが遅いから。】
日頃の勤務態度で信用や判断してしまっている自分がいた。
でもその考えっておかしくない?
この出来事がずっと気になり始めた。
嘘ついてごまかしているのかはまだ予測でまだ本人に聴いていないから分からない。
いつもの態度とその時の行為は違う。
仕事が出来ない人はごまかしてしまう【はず】というフィルター。
本当か?
いつもの態度で判断しやすくなるのが人間。
日頃のイメージでそう思うのは大きい。
仮に本当に嘘をついてしまっていた場合も
そうさせてしまう環境を自分が作ってしまっていたんではないか?
と思うんです。
僕の心の奥には
【信じてほしかった。】
という思いがあるんです。
ぼくは昔から頼りなくて自分では何も出来ないと思い込んでずっと人に頼って生きてきました。だからずっと自分は何も無い存在。だれかいないと何も出来ないと信じこんでいました。
でも自分で何も一歩踏み出そうとすることが少なかったから
自分で自分の首を絞めていたことも後々気付いてきました。
これがしたい。と思って「挑戦したい」と親に言ってもあまり認めてはくれなくて一人では不安がられて常に親がすぐに手を出してくれる環境で親の意見で世界がYES、Noが決まるぐらいの環境に思いこんでしまったり、やろうとしても無理やり止められた過去も多々あります。
こんな心の叫びがありましたが…いつのまにか諦めてしまう事も多かったです。
だからNさんを見ていると僕は過去の自分を見ている感覚になります。
でもそれすらも自分のとらわれなのでそれも取っ払ってできる限り、
勝手な偏見にとらわれずに今回の事実だけを見ようと思います。
だからまず、Nさんに聴いてみようと思います。
「最後にNさんが使った検査器具の調整するつまみが外れて置いてあったんですけど最後に使った時はどうでしたか?」
と後は相手がどう答えるかの結果は神に托身します。
どんな返事であろうと僕はNさんを受け止めます。
もし知っているんだったら伝えてほしかったし
Nさん本人が壊してしまったのだったら素直に伝えてほしかった。
と伝えようと思います。
誰がやった、壊した、よりも伝えてくれないのが僕は一番悲しかった。
まあ、鈍感な人だから本当に気付いていない場合もあるけれども…笑
今日のひとこと
「自分がひっかかること=自分の願望ではないか?」
あなたの心ひとつで
目に映るすべてのものは
メッセージです。
今をご大切に…
いつもありがとう。
※記事はオリジナルですが、画像は引用して掲載させて頂いています。
引用画像:アイカツ、魔女の宅急便、ネット記事より抜粋。
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