子別れ
先月だか先々月の話。
浅草演芸ホールの5月下席は芸協の真打昇進の予定だった。
その日私は浅草にいた。
が、延びた。6月下席からとなって、今は池袋でやっている。
ことばは失礼だが、「すっぽ抜けた」真打披露公演、急遽師匠が主任をつとめることになった。土曜には鶴光師匠、日曜は笑遊師匠がトリだった。(普段寄席には連日行くことはないが、たまたま故あって浅草に連日行くことになったのだ)
土曜は伯山が出るというので、前方は大入り、それを察してか、ネタもわかりやすいものが多かった気がする。これはこれで初心者向けでよかった。笑遊師匠は半分漫談の「やかん」、鶴光師匠は「西行鼓が滝」、その前に松鯉先生が中入り前で「太田道灌」をやられていて、これは迫力がなかなかであった。
日曜は打って変わって、寄席の上級客が多かったイメージ。笑いのテンポも速かったし、噺家さんのいう「客とのコミュニケーションが取れている」ってこういうことなのか、と思わせられる高座。連日だったので途中目をつむりながら聞いているところもあった(ツレがいたので、寝るのはさすがに憚られた)。前の皆さんが割とさくさく済ませていくなぁ、これじゃトリ時間余っちゃうんじゃないの、とおもっていたところで、トリが登場。
「ありがとう、ありがとう。
噺のほうはといいますと、」
マクラもなしにいきなり噺に入っていった。
お題はタイトルの通り、子別れ。
私からあらすじ説明の必要はないだろう。人情噺の大ネタである。
これが、よかった。非常に、よかった。
「噺のほうはといいますと」で、一気に持っていかれた。場の空気が完全に噺家に支配される。こんなの初めて。わずかばかりの緊張感、そしてとめどなく立ち上る興奮、期待感にぐいぐい引き込まれていく。
そのままたぶん40分ほど、笑遊師匠はしゃべり続けた。昨日の漫談じみた「やかん」が嘘のようだ。まじめにまじめに、ごくごくまじめに続けて、そして、しゃべりきった。最後の拍手でブラボーを、入れ忘れた。というより、大きな声は上げてはいけないそうだ。
これまた失礼な話なのだが、笑遊師匠はもうちょっと軽い感じの師匠なのかと思っていた。完全に先入観である。
普段はお茶目だけど、まじめなところも見せてくれるのよ。ほんとは。
だけどね、まさかね、人情ものの大ネタを見られるとは思わなかったね。
観終わって、感じたことはふたつ。
ひとつめ。実は師匠がトリで子別れをやることは楽屋はなんとなく知っていたのではないかということ。
この日は本来なら弟子の小笑がトリをとる日。楽屋の中である程度どんな客かの話が伝われば、師匠がトリでやるネタもある程度見えてくるもの。
で、この日は確かに客がよかった。私自身は寄席通いをしているといえるほど寄席には行っていないのだけれど、客は受けるとこちゃんと受けるし、どこかしら寄席らしさの漂う客なので、なんとなくそんな風に感じていた。
これがふたつめにつながってくる。
寄席という空間の融通無碍さ、これがやはり寄席の良さなのではないかと。
行ってみないと何が起きるかわからない。当たりの日もあれば外れの日もある。晴れの日もあれば雨の日もあるように。そして当たりがよくて外れが悪いとも限らない。どちらも寄席の一日なのである。
それを生み出すものは芸人のその日のテンションだったり(何しろ基本的に寄席は毎日開いているものなので、トップでチューニングなんてどだい無理な話)、来ている客だったり(前日の伯山の客は素人の自分が見ても、寄席慣れている客ではなかった)、あとはその日の流れだったり(演者がそろっていて、客がよくても絶対数がすくないと、打数が少ないから打ち損じが出たりする)と変数がいろいろ。
上から目線でエラソーに書いているのだけれど、行ってみないとわからない、それを芸人も客も了解の上でやっているのが、寄席の良さ。伸びもすれば縮みもする、その自由なところがやはり魅力なのではないかと。
ごめんなさい、もうひとつありました。
師匠と弟子の関係性。
一度芸人になると客席には二度と戻れない、これは有名?な話。そうすると師匠は稽古をつけるか、高座で背中を見せることによってしか、弟子を育てることができない(いや本当はほかにもたくさんあるんでしょうけど、ざっくりと腑分けした中での話)。
この日の師匠は弟子に背中を見せていた。
「これくらいのネタやってみろ、お前ももう真打じゃないか、師匠の俺からの華向けだ、おめでとう」
子別れを噺す師匠の姿からはそうしたオーラさえも感じられた。実に気迫のこもった噺だった。
笑遊師匠、ありがとう。(勝手に)感動してました。
さて、真打興行は末廣亭から始まり、浅草の10日間をも終え、今は池袋に来ている。同じ芸協で末廣亭もやっているが、こちらは夜の部伯山が出るもんで(主任は伯山の師匠松鯉の夏の恒例怪談の長講)池袋は余裕があるのではないかと思っている。
あと一週間、池袋に行く機会があったら、しけた寄席だが、池袋演芸場に足を運んでみてほしい。幻の披露目を迎えてしまった新真打たち、そしてその師匠たちが、特別な思いで高座に上がっているんだと思う。