#noteでよかったこと
完成とは何か?
紙の日記をつけているひとは、ペンを置いてノートを閉じたとき、ブログを書いているひとは、記事を更新しSNSで拡散したとき、書くことを生業としている人は、締め切りのある原稿を書き上げたとき。
これらは、一時的な完成であるといえる。
私は上記にあげた3つを実際に経験したが、紙に書いた日記を改めて推敲することはないし、ブログはSEO対策など、よっぽどのことがない限りリライトしない、原稿は納品してしまえば、ほとんど訂正などはせずに、原稿料をもらっておしまいだ。
過去に向かって流れるベルトコンベアに、自分を削ってつくったスパイスをひとつまみ、できればキレイに並べ、乗せていく作業である。
私にとってのnoteは少し違う。ここで書く作品に一時的な完成はない。
noteは、気の済むまで未完成、で、いい場所をつくってくれた。
今日も朝がきて、私の人生に24時間という1ページが加われば、note内に置いてある作品たちと、新たな関係性が生まれる。
デジタルの世界で、綺麗に整頓してくれた自分の作品を、私は、何度も読みかえすし、リライトする。
いつか読んでくれる人の為に、自分の中でベストな表現を、模索し、散りばめ、足しては削り、絶えず更新していく。
著名人がよく使う「まず行動、他人からフィードバックをもらい、それから修正していく」というフレーズ。
「なるほど、的を得ている。では、まず書いてみて、発表し、そのつどアレンジしていこう。」と思っても、それが手軽にできるプラットフォームが今までなかった。
何度でも手軽にリライトできる機能は、逃げ道の確保なのかもしれない、と思うときもある。
しかし、私達は絶えず変化している。noteの運営陣、アクセスしてくれる読者、そして私を含む作者は、あーでもないこーでもないと、それぞれの思惑で、終えるものを見つけるために闘っている。
それぞれ未完成でいい、という許しが、私とnoteの付き合う条件となった。
0.9999...とリライトを繰り返しても、いつまでも1にはならないだろう。
しかし、「今朝はよく寝たし、少しマシなことが書けるかな」と机に向かう。
そして、私はnoteを開き、昨日までの小数点をたどって、新しい9を付け加える。