Hello note 僕にとっての「背番号10」

おはようございます。note初投稿のポケモントレーナー。

アベック団のりょうまと申します。

富山でYouTube投稿をしている25歳無職。

小学校2年生の時、父親が借りてきてくれた「少林サッカー」の

影響でサッカーを始め、高校1年生まで本気で続けていました。

「プロサッカー選手」を志したのは小学校4年生の頃。

これまた父親が借りてきた「キャプテン翼」に魅了され、

「自分も翼くんのようなプレイヤーになってたくさんの人を魅了したい!」

そう思ったのがプロサッカー選手を志すきっかけでした。

小学校の昼休みには同学年や年下の子達をグラウンドに大勢集め、

毎日のようにサッカーをしました。

チームの練習は火曜、木曜、土曜の週3日。

もちろんそれだけでは物足りず、練習がない日には自宅前の公園で

真っ暗になるまで練習していました。

友達は遊びたい盛り。学校が終わると友達の家に集まってゲーム大会!

僕はというと...

「家に帰ってサッカー!」

「ご飯食べたらサッカー!」

「夢の中でもサッカー!」

まさにサッカー漬けの毎日を送り、

一日一日を楽しんでいました。

小学校6年生の時にはキャプテンに任命され、

「背番号10のトップ下キャプテン」という、

まさに翼くんと同じ肩書きを手に入れました。

しかし、僕たちのチームは県内有数の弱小チーム。

市内では無双できても、いざ県大会になると一生もできず敗退。

これがデフォルトのチームです。

サッカーはチームスポーツと良く耳にしますが、

僕は完全に個人スポーツだと思っていました。

「どれだけチームが弱くても、俺が圧倒的なら負けない」

この履き違えた自信が、

この頃の僕にとっては成長を後押しするカギになっていたのかもしれません。

中学はチーム自体に実力があって、自分の力をさらに高めたいと思っていた私は、

僕の地域では圧倒的な実力を誇るクラブチームに入団を決めました。

始めての「チームジャージ」。

なんとチーム専用のジャージがあって、それで移動するんだと...?

そんなのカッコ良すぎる。

小学生の頃から、強いチームはみんな揃いのジャージ着てたけど、

僕のチームはてんでバラバラ...

「よし。これで俺も強豪の仲間入りか...!!」

気持ちがどんどんオフサイドしてきました。

ありがたいことに、中学1年の時から学年のキャプテンをやらせてもらえました。

10番は後に浦和レッズユース(Jリーグチームの下部組織)に行くヤツ。

トップ下は富山第一で高校選手権優勝するヤツ。

こいつらに譲りましたが、キャプテンマークだけは死守できました。

あれだけ負けまくってた小学校時代が嘘のように、

負けた記憶の方が思い出せないくらい勝ちまくることができる、

非常に強力なチームに入団したようです。

チームメイトの技術に呼応するようにメキメキと上達し、

「トレセン」と呼ばれる富山県の代表選手に選ばれるまで成長しました。

なんと...!!

そのトレセンで渡された「富山県代表のユニフォーム」に

記されている背番号は「10」。

まじかッ...!!!!!!

たまたま名簿順で決まっていた事は闇に葬る事にして、

僕は「富山の背番号10」の肩書きを手に入れたのです。

弱小チームで威張ってるだけだった小僧が、

後にJリーガーになる選手からもらったパスをゴールに決め、

富山県の名手たちの輪の中心にいる。

脳汁ブッシャーです。

そんなこんなで、中学サッカーは毎日が充実し、技術的にも

精神的にも飛躍的に成長したかけがえのない3年間になりました。

中学最後の県大会では決勝まで進むも、

1-5で清々しく大敗。あざした。



さぁ、物語は高校編に進みます。

富山県の高校サッカー界は、長らく「2強時代」と言われてきました。

「王者・富山第一」と「ライバル・水橋」

この2校が毎年のように「全国」への切符をかけて

決勝の舞台に当たり前のように駒を進める。

つまり、中学時代に県内で名を馳せた選手は、

こぞってこの2強のどちらかに進路が決まっているようなものでした。

「そんなの面白くねぇな」

中学時代、それなりに活躍できた僕は、

3つの高校から特待生としての入学を求められ、

そのうち1つは「王者・富山第一」でした。

王者からのオファー。断る理由の方が見当たらないこの状況に、

僕は何故か頭を悩ませました。

確かに1番のチームに行けば「全国」にいけるかもしれない。

でも、極度の目立ちたがり屋で、なおかつ自己中の僕は

「自分が圧倒的エース」という立場でチームを勝たせたい。

こんなエゴを持つ男でした。

俺なら、富山県代表の10番(ラッキー)の俺なら、

中堅ぐらいの高校に行って、

またキャプテンとしてチームをまとめ、

「背番号10」を身につけて、

「富山一の選手」になれる。

本気でそう思った僕は、

人工芝の整った環境でプレーできる常勝軍団ではなく、

毎年ベスト8に進むのがやっとのような

「不二越工業高校」に進学を決めました。

中学時代のチームメイトが2人と、

中学時代に対戦したことがあるそれなりに実力がある選手が

この高校に進むことが、「新入生顔合わせ」でわかりました。

「おう、こいつらならなんとか富山第一ぶっ倒せんじゃね?」

夢と希望に満ち溢れた高校生活の始まりです。

すでに部の練習には参加しましたが、

どの先輩もパッとしません。

「レベル低っwこの程度ならすぐ試合出れるわw」

完全に舐め腐った僕をさらに調子付けてしまうかのように、

僕は1年生からただ1人スタメンとして試合に出ていました。

この優越感がたまらない。

そして冬の選手権が始まり、

監督が選手権に臨むメンバーを発表しました。

「1番〇〇...」

「2番〇〇...」

そして...

「10番 西本」

...

...

...

「...はい。」

僕は雰囲気を出した低い声で返事しました。

1年生ながら、先輩たちを抑え背番号10。

優越感の極みから、昇天寸前でした。

1回戦、2回戦を順調に勝ち進み、会場でばったり遭遇した

中学時代の元チームメイト。

王者・富山第一に進んだ彼らから、

「お前1年から10番かよ!やるな!」

そう声をかけられ、僕の鼻は隣の石川県に到達する勢いでした。

そして迎えたベスト16。

相手は「富山国際大附属高校」。

正直僕たちの高校よりも実力は上。

ここで活躍し、チームを勝たせてこその10番。

気張るに気張って入ったゲームですが...

結果は惨敗。悔しすぎてスコアも覚えてない。

びっくりするくらい何もできなかった。

自分の実力不足に腹が立った。

引退する3年生が涙を流す中、

膝をついて立ち上がれなくなった僕に監督が一言。

「10番は考え直す。」

あまりにも悲惨な現実を突きつけられました。

それでも僕は

「10番は譲りません」

そう答え、気持ちをすぐに「新チーム」へ切り替えました。

負けた3年生に申し訳ない。

そんな気持ちは不思議と一切ありませんでした。

力を発揮できなすぎて。

選手権が終わり、2年生になって新チームになりました。

今年こそ。

今年こそ「不二越の10番、西本はやばい」と、

富山県中に知らしめてやると奮起していた矢先...

ある練習試合でうっかりユニフォームを忘れた僕は、

高校に入学して初めて、スタメンから外れました。

「まぁ、しゃーないしゃーない」

「また次の試合から頑張ればいっか」

こんなふうに考えていました。

しかし...

次の試合になっても、

また次の試合になっても、

スタメンのメンバー表に僕の名前が出てきません。

「もーう///監督ったら意地悪〜!そんなにユニフォーム忘れたこと怒ってるのぉ?」


その時はこのぐらいの気持ちで思っていましたが、

このうっかりミスでスタメンを逃した瞬間。

ここから僕の人生が狂い始めました。

試合には途中から出場する事が多くなり、

なんだかプレーもうまくいきません。

その度に、威張ってたツケが回ってきたのか、

「おい涼馬💢簡単にボール取られんなよ💢」

「おい涼馬💢」

こんな風な叫び声が、グランドで響き渡るようになりました。

今まではチームの中心で、どちらかといえば言う側だった僕はとても困惑し、

どんどん自分らしいプレーができなくなる状態に陥りました。

「ふざけんな」

「俺より下手くそが」

「試合出てなかったくせに」

今まで下に見ていた奴らから、罵声を浴びせられる苛立ちが、

さらに不調に歯車をかけました。

「あれ?」

思い描いてた新チームと違う。

「まぁ、きっといつかは気づいたらスタメンに戻るでしょ。」

「だって俺一番上手いし...?」

そう思っているだけで、2年の選手権はベンチで終わりました。

「おかしいな」

「監督は目でもイカれてるのか?」

「あいつらの怒鳴り声でこの俺がプレーしずらいんだから黙らせろよ」

「黙って俺にボール集めて、俺を中心にすればいいんだよ」

そう思って迎えた高校3年生。

ずっと夢見てきた「高校サッカー選手権優勝」も、この年で最後。

「流石に3年だし、先輩も抜けてポジションが空いたからスタメンでしょ。」

...3年もベンチだった。

ずっとベンチでした。

鳴り物入りで入学し、一年生で10番を背負った僕の最後は、

グラウンドの外からチームメイトを見守って終わりました。

ずっと「早く負けろ」と思ってました。

自分が出てなくて、活躍してなくて、10番でもキャプテンでもないこんなチーム、

早く負けてくれ。

毎日の練習が憂鬱なんだよ

怒鳴られて

怒鳴られて

孤立して

皮肉なことに、あんなに楽しかったサッカーは、

当時の僕を一番苦しめる存在になっていたのです。

これも、全部自分が招いた結果です。

挫折を経験してこなかった僕が、

初めてぶち当たった壁から逃げて

逃げて

逃げて

逃げて

気づけばもう25歳

サッカー選手を目指して毎日がキラキラしてた僕の今は、

薄暗い部屋でこの記事を書くただのニート。

あの高校生活の苦悩から逃げずに立ち向かい、乗り越えていたら...

そんなことでクヨクヨして、「たられば」ばかり

並べていたらあっという間に20代半ば。

もう跡がないぞ涼馬。

今度こそ立ち向かえ涼馬。

お前ならできる。







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