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"令和"で得をする人生。~名前の由来~

昨年の4月1日、新元号である”令和”が発表になった。その発表を、地元である沖縄で、母と祖母を車に乗せながら、ラジオで聞いていた。沖縄で長年DJを務めている人気アナウンサーが「新元号が発表になりました。”レイワ”です」と伝え、続いて漢字が発表されたのだけれど、そこで車内はちょっとした騒ぎになった。なぜなら、自分の名前が”レイワ”のレイ、つまり”令”だったからだ。「名付けた甲斐があったわ!」と何故か自信満々の母の声が記憶に残った。

そう、自分の名前は”令”と書いて”リョウ”と読む。令という漢字字体、名前ではあまり見かけた記憶はないし、かつリョウと読む人はほとんど見たことはない。今回の令和のニュースで、メイプル超合金のカズレーザーが”和令”だと知って驚いたけれど。

電話などで自分の名前を伝えるとき、これまでは”リョウの感じは命令の令です”と伝えてここまで生きてきたが、去年からは”令和の令です”と言えるようになった。そして令和となって以降は、ビジネス上で名刺交換をする度に「おっ、令和ですね!」とネタにしてもらえるのも助かっている。令和の発表があった日には、多くの人から何故か「おめでとう!」と祝福のメッセージも貰った。自分がどうした、というわけではないものの、なかなか出来ない経験だし、気持ち的にも悪くない。まあどちらかというとちょっとこそばゆいかな。

小学校の宿題で「自分の名前の由来を調べなさい」というのは定番だが、その時に調べた記憶を遡るに、父曰く「人に命令ができるように、人の上に立てる人間になれるように」として付けたようだ。まあもちろん字画などもあるだろうけど。ちなみに我が家は父も名前が漢字一文字、母と妹がひらがな3文字と、ある意味ちょうど良くなっている。おそらくそれも意識したのだろう。

もっと調べていくと、実は沖縄にはまだ”門中(もんちゅう、ムンチュー)”という文化が残っていて、特定の苗字には名前の頭文字も特定のものになっている。そしてその門中というのは、沖縄においてはかなりの派閥を形成していて、同じ門中だと仕事が有利になると言われているくらいのもの。生まれた時からずっと沖縄に居た身だとあまり疑問には思わなかったが、良く考えてみるとこの時代まで残っているのはまあまあ凄い。

分かりやすい例で行くと、ボクシングの元世界チャンピオンである具志堅用高氏は”具志堅”&”用”がセットであり、実際に父親や弟も名前の最初に”用”がついているようだ。ちなみに僕の母方も男性の名前には同じく”用”がつく。苗字は全く違うけれど。

そして我が桑江家においては、”良”がつく血筋と”朝”がつく血筋が別で存在しているようで、現在の沖縄市の市長の桑江さんは”朝”の門中、我が家は”良”の門中ということらしく、祖父は桑江良〇という名前。なお父方は祖父も祖母も同じ”桑江”である。

だが我が父は”良”がついておらず、漢字一文字だ。父は次男だが、何故か長男も良とは別の一文字で、弟もそうだ。どうやら祖父自身は次男なので、直系じゃないしいいか、ということで名前に”良”をつけなかったらしい。

で、自分の名前に戻ると、漢字は”令”だが呼び方が”リョウ”なのは、おそらく”良”を意識したからであろう。読み方くらいはリョウにしておくか、というくらいの理由だったかもしれないが、子供の頃の自分はローマ字にした時の字面(=RYO)が格好良いので気に入っていた。まあ名前なんてそんなものかもしれない。

ちなみに、今まで自分自身が名前を付けたことは、ペットの猫やベタくらいで、まだ子供が出来たことが無いのでリアルな名付けは出来ていないが、あえて言えばインターネットを利用し始めた時に名乗っていたハンドルネームくらいだろうか。以前にも書いたように、当時は歴史系チャットに出没していたので、必然的に武将っぽい名前にしていたのだが、それはまた別の機会に膨らませて書こうと思う。

最後に余談であるが、沖縄では命名札をかなり大切にする風習がある。出産の内祝いで命名札を配るというのが当たり前で、それもあって命名札のデザインも豊富である。そして貰った命名札は家の壁に貼り、古くなればなるほど縁起が良いと言われていることもあって、捨てるに捨てられずにいつまでも貼られたままだったりする。さすがに昔配ったであろう自分の命名札は、もう40年近く前になるのでどの家にも残ってないとは思うが、それでも探せばどこかの家のタンスの奥にでも仕舞われているかもしれない。

そう考えると何だかロマンのあるような話だなあと思うのは、沖縄人だけだろうか。親戚同士や幼馴染同士が結婚することも多いので、命名札を保管している家同士で結婚したら、もしかすると生まれた時の命名札を並べて飾る、ということもあるかもしれない。うん、やっぱり素敵だな、間違いない。

貰う側だと処分に困る、ということには目を向けないことにして、この稿を終わることにしよう。

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