苦手を克服するor得意を伸ばす
「自分にできることをやる」
この頃よく考えているテーマ
小学生の頃から、とにかく苦手は克服するべきという価値観が私の中にあったような気がする
だれに教えられたかは覚えていないけど、学校教育なのか、家庭の方針か
一方で、得意を伸ばすべきという価値観も私の中にあった
割合的には50:50くらいか、もしくは40:60で苦手を克服することに重点を置いていた。
最近思うのは、得意を伸ばす:苦手を克服するの割合は
80:20くらい、もしくは90:10でいいのではないかなということ
得意なことというのは、他の人より努力せずに他の人よりも成果をあげられること を指すらしい
苦手なことはその逆
その観点から考えると、私の得意なことは、説明すること、作ること、人の気持ちを汲み取ること、贈り物をすること、あとは内省か(そうでなければこのようなnoteを書こうと思わない気がする)
苦手なことは、決まったルールの上できっちり執り行うこと、思考を挟まずがむしゃらに頑張り続けること、正解があること、受け流すこと など
前職は、毎日苦手なことをやってたな… と思い当たる
前職で躓き適応障害になったとき、何がいけなかったんだろう?と考えていた時に思い当たったのが、「得意じゃないこと、むしろ苦手なことをやっていたのでは?」「苦手なことをしてるのって、世界を俯瞰してみたときに合理的ではなくない?」という仮説
(私は思考の癖で、よく運命だとか世界だとか大きな話に考えてしまう)
プログラミングが得意な人がプログラミングをやったらよくて、苦手な私がわざわざやらなくていいじゃんねというだけなんだけど、こんな簡単なことに気づかずに苦しみに自分を案内してしまっていた
なぜわざわざ苦しい場所にいたかというと、
前述の 苦手は克服すべき という価値観に重きを置いていたから
この価値観を大切にしていると、自分が持っている強い武器に気づけない
発揮する場所がないから自分が得意なことを自分で褒めてあげる機会も減るし、苦手なことができなくて悲しい思いをする機会が増える
「苦手は克服すべき」思考って、要は完璧を目指そうをする姿勢から来るんだと思う
得意なことがあることは気づいてるんだけど、プラスの部分を伸ばすよりも、苦手な分野を補ってマイナスの部分をなくしたいって考えてしまうイメージ
でも、私は過去の自分を許しています
私は自分で失敗しないと納得できない性格だから
そしてもうマイナスを補って、全てを得ようとするのは諦めた
私はそれほど強くないので、得意な部分を見つめて苦手なことがある自分を許しながら生きていこう
そして、得意なことをして自分を褒めつつ、人に喜んでもらうようなことを生業にしたいと思っています
ざっくりな判定をすると、今やっている緑凪の活動は私の得意に合致していていい状態なのだが、もう少し解像度を高めていきたいと思っています
得意の中でも、さらに得意な部分をみつけてどんどん精度を高めていくということをしたい
具体的には、活動の中で特に皆の反応が良かったところはどこだろう?と考えたり、他の人はやってなくて自分が提供できる価値はなんだろう?と考えたりすることです
私のこのような文章に興味を持って読んでくださる人がいます
私が知る限りnoteで思考を書き連ねているハンドメイド作家や絵を描いている人はあまりいないので、これは面白い武器だと思っています
そして思考を書いている人は多分万人受けとは違う場所にいることもうっすら分かっている
しかし、受け入れてもらえた時には私の芯の部分まで好いてもらえる
私は活動を通じて、結構「分かる人にだけ分かっていただけたら幸せ」なタイプなので、このやり方は理にかなっています。
数多くの人にふわっと認知されるよりも、少数でいいから「推し作家です!」って強く言ってもらえるような。
そもそも、私が創作のテーマにしている 静寂 がみんなが欲しいものじゃないからね だからいいんだ
そして、フォロワー数は多くは無いのに、心が通じあった…!と思えるメッセージを交わした人が何人もいるという輝かしい事実がある
活動を始める前は、私が考えてることなんて誰にも理解されるわけない と思っていたし、だからこそ言えずにいた
言えたとしても、気心のしれた友人ほんの数人のみ
でもインターネットで発信したら色々な人と出会えて、私がこのような思想を書いたときに面白がってくれる人が何人かいる
本当にありがたいことです
もっとその人たちに喜んでもらえる活動を続けたらいいんだよ、それがとても幸せな事だよと思えるようになったのは、自分を否定するしかできなかった1年前の自分に教えてあげたいな