もじゃもじゃ

中学生になった頃くらいから、髪の毛の癖が強く出た。生え際が外側に変にカールしており、「癖っ毛だけどパーマみたいで可愛い」という髪型の人が非常に羨ましかった。

学校でからかわれるまで、当時は容姿について無頓着だった。ファッションやメイクには興味がなく、かっこいいリュックのほうが好きだった。思春期に突入した女子から見たら、森から出てきた何かに見えたんじゃないかと思う。

そして、「もじゃもじゃ」と言われるようになった。最初は気にしていなかったけど、段々と癖っ毛であることが蔑称になっていることに気づいた。今でも忘れないのは「髪の毛フワフワで気持ちいいね〜♡」と言いながら触ってきた女子。あの時の自分は、人ではなくその辺にいる犬か何かと一緒だった。

親に数回「縮毛矯正がかけたい」と言っていたがそこまで取り合ってもらえなかった。言っても動かないからそういうものかなと思っていたが、ある日突然親が「縮毛矯正、かけよっか」と急に美容院に予約を入れてくれた。そして、美容室で縮毛矯正を行い、髪の毛がツルツルの真っ直ぐとなった。

今思い返すと、学校であったことをつらつらと話す中で、「髪の毛の癖が強いことで、いじめに近い状態に追い込まれている」ことを親が察知したのだろうと思う。あれほど「いや〜縮毛矯正はね〜」と渋っていたのに、ある日急にスチャッと動いたから。

あんなに早く動けるなら、最初の訴えをもっと早く聞いてくれれば、傷が浅く済んだのになぁと思う。

当時はクラスメイトの女の子たちとうまく馴染めず、スクールカーストは最底辺にいたこともあり、頻繁に蔑称の対象とされていた。容姿はもちろん、存在自体を軽視して笑われたり、関わりたくない態度を取られることも多々あった。(スクールカーストという単語はかなり嫌いだけど、そう表現する方がわかりやすいので敢えて使っている)

この頃を境に、人の目を異常に気にするようになった。そして、髪の毛に癖がある状態が嫌になった。髪の毛以外の部分でも、容姿などを理由に笑われることをなくしたく、「普通」になりたいと思うようになった。

これを書いている今は、かつて望んだ「悪目立ちしない普通」の皮をかぶることに成功した。そして、(表面的な)社会性などがある程度育まれたことは良かったと思いつつ、「普通」になることへリソースを割いたことは非常に馬鹿馬鹿しかったなと思う。

普通になること以上に、「自分が何をしたいか」を明確に意識して、それをかなえるために自発的に行動する方が大切だと思うことが増えたからだ。かつて、「普通」になりたいと願ったもじゃもじゃだった自分は、こういう資質を持っていたと思う。一体どこに置いてきてしまったのだろう。

おまけ

かつて「もじゃもじゃ」と言ってきた人たちのことは、この記事を書くまで忘れていた。彼ら/彼女らに傷つけられたけど、そんなことがどうでも良くなるくらい、自分は自分の人生を生きてきたことの証だと思う。

過去に縛られて過去を呪うことをアイデンティティにせず、行動して改善したかつての自分は、本当に素敵だった。ありがとう、15年前くらいの自分。

でも、ちょっとした傷とはいえ傷つけられたことは忘れないし、許せないなぁと思う。復讐したいとかは思わないけど、許さない。

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