りょくちゃわり
大学生の頃が本当に本当にイヤだったので、その頃の思い出を昇華するためにわーっとかいた記事たち
自分が無職について書いた記事をまとめる
うつ病と診断されての休職中、情報がほしくて本や電子書籍を読んだ。 おすすめ度の情報にグルーピングして、本の情報を整理する。 ※URLは貼りません。 💡はじめに今回紹介する本は、下記の通り分類している。 Kindle・本の両方で出版している本(🍏とつけています) Kindleのみで発行している本(🍎とつけています) 🍎については、ほぼKindle Unlimited対象本なので、1ヶ月のみ加入してたくさん読むのも良い選択肢の一つになりそう。定期的に加入99円くらいのキャ
仕事を頑張りすぎてしまって、気付いたら休職していた。 きっかけ仕事を頑張りすぎた。ベタな理由である。 ちいさなIT企業へ転職して数年。社内で信用をコツコツと積み重ねた成果か、あるプロジェクトのリーダー打診があった。リーダー経験はないが、社内でサポートもあるとのことで安心して快諾した。フルリモートかつ、明確な終了日が決定していないプロジェクトだった。 実際に業務を行ってみたところ、予想以上にやることが多かった。最終決定責任を伴う交渉、説明、利益管理等はほぼ初心者のため手探
昔の自分が書いた記事 https://note.com/ryoku_cha_wari/n/nb1a557d52f89 を読んで、今はどうなるかなーと気になり再度ディグラム診断を行ったら、Aトップ型(結論ファーストな完璧主義)だった。昔の自分、よかったね。 https://digram-shindan.com/result/at
昔は書かないと思考できなかった。 今は書かずにぼ〜っとしてるほうが思考できて、書いて発展させよう!と思って座った瞬間に脳内で霧散する。なぜ。😭
前はnoteを開くとなにか書こう!と思えた。人に言いたかったけど言えないこと、気持ちの整理、色々あった。だけどいまnoteを開いてみても、書きたいことがないのでもう何も書けない。 劣等感も溶けてしまった。厳密にいうと心の底にうっすら淀んでいるけど、川の流れのなかで少しずつ澱がたまっていくようなもので慣れる。 自分をもっとよくしたいと思うこともない。自分がそこまで悪い状態ではなくて、少なくとも自分が選んだコミュニティの中では比較的まっとうに受け入れてもらっているので満足してし
プライドさんの相手をするのが面倒である。プライドさんとは、自分がその場で特別かつ一番でないと不機嫌になり他人に原因があると見るや否や攻撃的になる人のことを指している。自分のことが大好きなのだろうが他人へ興味がないのだろうな、と思ってしまう。自分がすごくないと気が済まないことが無意識レベルでインプットされている人、実力がなくても謙虚に腕を磨いてくれればいいのに。 かつての自分もこんな感じだったのかな、と思う。自信がなくて、居場所がなくて、自分と比較してすべてが上位互換というに
学生の頃に課されたルール(門限)が思ったより自分の活動に制約がかかり苦しかったので、苦しさを言語化してみる。 ルールが悪いのではない。ルールの中で人生を楽しく過ごせるほどの魅力がない人間なので、ルールを破ったところにある少しアングラな領域で楽しく生きていたかった。学校のクラスがいやだから保健室へ行くように、学校に馴染めないから夜の街のどこかで居場所を見つけたかった。 そのルートを潰された(ような気分でいた)ので、今の自分そのままで勝負しようにもどこにも行けない…という詰み
自分自身との約束を遂行して信頼関係を築くために、ちいさな山を登る経験がよかったので日記として記載する。 ふだん運動なんてしないのに、柄でもなく山を登った。 会社の人にここ初心者でも行きやすいよ、と教えてもらった初心者向けの山。普段から山登りをこよなく愛す人からしたらこんなの山じゃない、と叱責を受けそうな山。 仕事に没頭しすぎて疲れがちなので、気分転換をしつつ身体を動かしてくたくたになりたかった。かといって誰かと運動したり芸を試されるスポーツは、人と比較しできない自分に疲弊
最近、毎日4時間ほど残業し働いていた。「何故ここまで残業続きになるのだろう」と思いつつ、体力がないうえに疲労がボディーブローの如く重なり、疲れ果てていた。今の問題点を見つけて改善したほうがよいと思いつつ、夜に仕事を終えるとそのまま疲れ果てて考えることもせず、眠りにつく毎日だった。 そんな毎日を愚痴っていたところ、要領が悪いからじゃない? と言われた。オブラートなしで一言だけポンっと飛んできて、胸の真ん中に刺さってしまった。図星は胸の真ん中を星に見立てた言葉なのかな、とか関係
年末になったので、年始に記載した「今年はこれをやるぞ!」リストを見返した。まったく「これをやるぞ!」リストの内容を達成できていない。何かを買う類の目標であればお金を出せば達成できるからギリギリ達成しているけど、何かを継続して身につける系はできていない。 おそらく同じことを10回以上、繰り返している気がする。 目標の類を考えるときは自己啓発本を読んでいる時と似た様な気分で「こうなれたらいいな」「楽しいな」とワクワクし、達成した自分をイメージする。「こんな風になれたらいいな。
職場の人たちで休日に遊びに行く話が出てきた。「楽しそうだな、みんなでワイワイするのかな」と思って参加を表明してみたところ、その後に半分以上の人が欠席表明をしていた。参加の有無を問われなければ「いいね!」というリアクションをするが、いざ決断を迫られると「ごめんね」と断られる図式がきれいに作られていた。 各々事情があるので行けないのはしょうがないとして、自分が馴染みのある場所で集いがあるといつも嬉々として「行きます!」という態度をとってしまう自分が、ものすごく惨めに思えた。自分
職場にて二週間ほどの夏休みを勝ち取ったので、心は再びニート状態となっており、久々にnoteをかいてみる。このnoteをはじめたのは、無職期間を書き留めておくことが目的だったなって懐かしくなった。 休んでみるとこれまでの労働は当然頭からすっぽり抜けるので、働く前の記憶がわーっと蘇ってくる。思い出す必要ある?って思うような辛いことハイライトが頭を駆け巡るので、ちょっとした地獄である。つらいことは言葉を尽くして外に吐き出したってカウンセリングを軽く受けてみたって、なかなか落ちない
仕事ができない自覚はある。だったらせめて、自分が所属する集団の中でみんなが笑顔でいてくれたら嬉しいから、なるべく明るく笑顔でいよう。――そんなことを思って働いてきたが、自分の直属の上長は段々カリカリして自分への当たりが強くなっていた。 当時は「自分がダメなんだ、それでもせめて暗い空気を出しちゃダメだから明るくいよう」と思っていたわけだが、年末に「自分が仕事で病む契機は何か?」を洗い出してみたところ、上記の対応自体に上長たちがイライラしたことが原因だったのではという考えに行き
じょじむらさんのうつ猫シリーズが好きで、忙しい時や理由不明のしんどさがあるときに読むことが多い。 最近のうつ猫作品で、バケツの底に穴があいている比喩表現が出てきた。この感覚は結構馴染みがあるなぁと思った。たいてい精神的に沈んで自分でどうしようもない状態になっているときは、蟻地獄のようにバケツの穴が自分の心の健康な部分をすべて吸い取ってしまう感じがしていた。この状態のきつさは誰にもわかってもらえない気がするけど、私以外の人もそこそこ経験している可能性があるキツさなのだろうと思
カウンセリングを受けた。自力では解決できないアプローチで、自分の生きづらさを具体化してくれる。餅は餅屋だなと強く感じるから、もっと早く頼ればよかったと思う。 今回、感情を認識することがド下手であることを認識した。一度怒りの感情がわいてくると止まらなくなってしまったのは、感情の認識が下手ゆえにため込んだ状態で噴火してしまうだけだった。(10代の頃に親と口論になり話が通じない悲しさが閾値を超えると、家の皿という皿を割りまくったり布団を投げまくっていた。我ながら怖い) この事実
転職後、会社で早くに認めて欲しいと思い仕事に取り組んでいた。そんな中でだんだんと職場の人との交流が増えてきて、職場の人を交えて雑談しているときに言われた言葉がぐさっと心に刺さった。 「仕事頑張ってるけど、仕事をすること以上に自分を認めて欲しいって気持ちがベースなんだろうなぁって感じするよね」 ぶっちゃけのトーンで言われたし、周囲の人はそれわかる〜ってトーンで笑いながら同意していたので本心に近いのだろうと思った。 確かに転職したてだから「仕事ができる人」という枠に入りたい