慣れ、変わらない自分
無職になって3ヶ月が経った。
無職になるときは少々精神的に追い詰められていたこともあり、清水の舞台からヒョイっと飛び降りるが如く、会社を脱出してしまった。いつもは石橋を叩いて渡る気質なのに。
「無職になれば時間があるから、日中空いてるカフェも行きやすいし、ストレスがないから飲み会とかに参加して人間関係つくるのも楽だろうな」と、少しだけ胸を膨らませてワクワクしていた。
でも、”無職”が日常になってしまうと、仕事をしている時となんら変わらなかった。ぼーっとしていると、今の自分のままトロッコに乗って進んでいくような感じ。「仕事した方が良いんだろうけど、今は今でまぁまぁ楽しいし、追い詰められてから動けば良いかな」と思い、果てが見えないトロッコへ乗り続ける。
かつて、会社員として働いていた頃に考えていたことを思い出すと、思考パターンが全く同じ。「いまは景気が良いとか聞くけど、今の会社にそこまで不満があるわけでもないし転職はいいかな…そりゃ今の会社には嫌な点はあるけど、どの組織に入っても嫌な点はあるからね。経営が傾いたら転職しよう」と思い、日々を過ごしていた。
大学生の頃も、似たようなことを考えていた。「お金ないし友達も少ないし、時間だけ持て余すなんて地獄だなぁ。でも大学を辞めて働くことを考えたら今の方が圧倒的に楽だし、そのうち就活して働くことになるだろうから、今のままでいいかぁ。でも友達いないのは寂しいから、飲み会くらいは行こうかな」と思い、学食でひとりぽつんとご飯を食べていた。
ぜんぜん変わってないな。どんな環境にいても、それなりに順応して「不満はあるけど今はいいや」と考えて、そこに留まろうとする。
とはいえ、学生の頃は情報不足や視野の狭さゆえの現状維持バイアスが効いていたが、働きだしてからの現状維持バイアスは諦め、怠惰も多分にミックスされている感じがするけど。
そんなこんなで、次の仕事を何にしようかなと悩んでいるけど「明らかに向いていないことや嫌なこと」を排除した中で、いちばん良い条件の場所で働ければそれで良いのではないかと思った。明らかに社員を使い倒すことしか考えていないブラック企業などを選ばない限りは、どの環境に入ってもあまり変わらないんじゃないかなと思い至った。
無職でも会社員でも、現状維持トロッコへぼんやり乗り続けてしまう自分を見出したから。そして「時間ができたらやりたい」ことって、仕組み化して意思に関係なく行動するようにしないと、無職であろうと未来永劫何も起こせないことがよく分かった。自己管理がきっちりできる人なら良いのだろうけど、なんせ自分は怠惰に流されやすいので今の有様である。
そして、怠惰に怠惰を重ねて「無職をはじめた頃にやりたいとこころざしていたこと」が頭からスポーンと抜けて、昼夜逆転生活を送るだけとなった。そうなると「無職、飽きてきたかもなぁ」と思うようになってきた。
会社員として過ごしていた頃、就職したての頃や転職したての頃に「こういうことやりたい!」と志して入社したのに、すっかり忘れて「毎日同じことの繰り返しで飽きたなぁ」と思った感覚と似ている。
本当は無職でも会社員でも、そこでしか出来ないことがあるから、ぼーっとせずに「何ができるんだろう」と考えてコツコツと行動するほうが幸せになりやすいのだろうね。そう思っても、今の自分はできない。悲しいけど仕方がない。意思を忘れて怠惰に過ごしやすいわりに、理想を高く持って、できもしない「べき」論を自分に当てはめて苦しむ人。
無職を通じて、会社員時代の自分となーーーんにも変わっていないことを、スルメのごとく噛み締めさせられている。
…まぁ、こんなことを考えられる程度にメンタルが回復したのでよしとしよう。