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映画/永遠に僕のもの(2018)/永遠に子供であるということ

こんにちわ😆✨

 春分の日も終わって、お花見の季節🌸が到来です。
 ニュースではこのタイミングで「リベンジ消費」という言葉をよく耳にします。蔓延防止期間によって抑圧されていた人間の購買意欲が開放されて、反動で多額の商品を沢山買おうと思う衝動だそう・・・
 私もそうですが、この春の季節は寝ても💤寝たりない、食べても🍚食べたりない、もう沢山持っている👠のに買たりない、新しいことを始めたいと感じる根源に、足りない、足りない、と、不足を感じる、そんな季節でもあります。

 さて、今回ご紹介する映画

「永遠に僕のもの」(2018) El Angel/The Angel

 この映画はまさに欲望が満たされず、不足を感じ続けるある一人の少年の物語です。
 まずはストーリーのご紹介。
 舞台は1971年、アルゼンチンの首都ブエノスアイレス。主人公カルリートス(17歳)は高校も真面目に通わず、昼間から豪邸を見つけては忍び込み、盗みを働いています。両親や恋人にもなんてことなく嘘をつき、盗みを繰り返す日々を送るカルリートスがひょんなことから犯罪一家の息子ラモンと出会い、この犯罪一家とタッグを組み、より大きく、より大胆に犯罪を重ねていく中で、カルリートスの欲望はどんどんエスカレートしていきます。満たされない欲望の赴くままに罪を重ねていくカルリートスの末路とは・・・と、こんな感じの物語です。

 さて、この映画が最も衝撃的である部分が、この映画が実話を元にした作品であるということです💦アルゼンチンで最も有名なシリアルキラーの一人カルロス・エドゥアルド・ロブレド・プッチの少年時代から犯罪、そして逮捕までを描いた作品で、ある程度もちろん脚色はされているものの、犯罪の内容や殺人の細かい内容など、忠実に再現されています。そして、これは余談となるのですが、この実在するシリアルキラー、カルロス(通称:カルリートス)は現在も元気に刑務所で服役中😆💦笑 この映画の上映に関してどのような気持ちなのかなぁと気になるところです。

 今回この作品で注目したいのが、17歳にして強盗・殺人を繰り返す少年カルリートスの欲望について。一見、このカルリートスの犯罪歴や映画でのカルリートスの描かれ方を見ると、彼は異常者であり、サイコパス、そして、猟奇的連続殺人者のように感じられます。

 はたして、彼は本当の意味で異常者なのでしょうか?

 話は冒頭の「リベンジ消費」に戻りますが、ここ最近の蔓延防止期間などの「我慢の時期」を通して、我々人間はみんな、多かれ少なかれ何かしらの欲望を持っていることが明らかになりました。その反動で「リベンジ消費」といった、押さえつけられていた欲望が一気に解放され、購買意欲✨へとその欲望が移行していったわけです。
 しかし、一方で私を含め多くの人が感じることとして、その欲望を満たそうとすればするだけ欲望が膨らんでいくような感覚、そして、常にその膨らんだ欲望は満たされることはなくて、常に、不足している、という感覚です。

いくらあっても足りないし、もっともっと欲しくなってしまうのです。

 さて、1971年のアルゼンチンに住む少年カルリートスも同じ感覚に陥っていたのです。いくらあっても満たされない、不足しているような、そんな感覚です。いくら盗みを働いても、いくら大金を手に入れても、もっともっとと体が、欲望が騒ぎ出します
 そう、カルリートスも同じ感覚に襲われていたのです。

では、人はどんな状況で欲望が満たされていると感じるのでしょうか?

 映画の中でカルリートスと親友ラモンが大きなジュエリーショップへ夜中に忍び込み、盗みを働くシーンがあります。親友ラモンが急いでかばんの中に金目のものを詰め込む姿をみたカルリートスが「なんでそんなに急いでいるんだ!」と少し苛立ちます。「俺達は盗みをしているんだぞ?いそがないと誰かに見つかる」とラモンがカルリートスをなだめるのですが、そこでカルリートスはこのような言葉を発します・

「盗みをしているんじゃない、今、生きてるんだ。」

 この言葉こそ、「欲望」が満たされる、という感覚の最大のヒントとなります。
 カルリートスにとっては、「盗んだ事実」や「沢山の高価なものを所有している状態」によって「欲望」がみたされることはありません。彼にとってもっとも大切で、欲望が満たされていると唯一感じることができるのは「その過程」の中でしかないのです。盗みを働いている瞬間、誰かに見つかるかもしれない、警察に追われるかもしれない、高価なものを手に入れる事ができるかできないか、その感覚が彼を刺激し、興奮させます。その興奮状態の間が唯一「欲望が満たされているように感じる」瞬間なのです。
 この感覚はまったくもって理解し難い感覚ではなく、むしろとても身近に、自分のなかにもある感覚だと思います。物欲にしろ、食欲にしろ、人はそれが満たされていると感じるときはそれが手に入るまでです。手に入ってしまうと、なんだか急に興味がなくなってしまう。不足がまだ繰り返されるのです。

 ではなぜ、カルリートスは犯罪者となってしまったのか。

 では、連続殺人犯カルリートスと私達との違いは何なのか。それは、カルリートスが本当の意味で永遠に子供である、というところです。
 精神分析学の概念に「快楽原則」と「現実原則」というものがあります(これはかの有名な心理学者ジークムント・フロイトが定義したと言われているもので、私はフロイトのその極端で偏った思想が全く持って好みです😊✨笑 余談でした・・・)。この概念はとても簡単に説明しますと、人間は生まれつき快楽を求め、苦痛を避けようとする、そして欲望に貪欲であるという「快楽原則」を備えています。しかし、成長し、大人になるに従って現実が見えてきて、その快楽原則を我慢しよう!抑えよう!という「現実原則」が備わっていく、というものです。赤ちゃんが好きな時に泣き、疲れたら眠り、好きな時に好きなだけ食べる、そのある種「わがまま」と言われる言動は「快楽原則」に基づく行動、そして「現実原則」が備わっていない状態なわけです。
 さて、この概念を元に考えていくとカルリートスは永遠に「現実原則」が備わっていない、17歳にして永遠に子供であった、と言えるのです。
 彼のセリフでこんな言葉があります。

 みんなどうかしている、世界はこんなに自由なのに。

 そう、現実原則が備わっていないカルリートスにとっては世界は自由であり、快楽に基づいて行動することで、生きている、と感じることが出来るのです。ある意味で他の人々と比べてもっとも純粋で、人間のあるがままでい続けたことが、彼をこの恐ろしい犯罪者へと導いたと言えるのです。

 さて、今回ご紹介の映画「永遠に僕のもの」(2018)はそんな意味でとても身近であり、少し人生を踏み外すと陥ってしまいそうな恐怖を感じる映画となっています。スペインの映画製作会社el deseo(スペイン語で「欲望」💦まさにこの映画にふさわしい・・・)の独特の世界観と色彩の美しさも魅力です✨ぜひ、興味を持たれたかたは御覧ください♪

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