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父と過ごした最後の100日、幸せな時間 1日目

はじめましての方も、noteのご近所さまもお久しぶりです。ゆのきりょうこです。
父が亡くなってから2年近くになります。
2年前の今日、3月1日に、父を在宅で看病するために娘とふたり飛行機に飛び乗り、鹿児島へ向かいました。

父と過ごした在宅医療での日々、ひとつずつを思い出すことがつらかったのですが、でも、たくさんの幸せもあって、同じように大切な方を看病や介護されている方の気持ちのどこかに寄り添えればと思い、少しずつですが書かせていただきたいと思います。

もちろん、私の今作っているおいしいものもアップさせてください。
これから、また、お付き合いいただけますと幸いです。


2月17日朝、父、倒れる!

2年前の2023年2月17日の朝、鹿児島の母から東京に住む私へ電話がかかってきました。
父が朝起きようとしてどすんと倒れて、座ったまま起き上がれない。動くことができなくて「俺は入院する」って言うって。

父のかかりつけ医は、その時、怪我の手術で病院を閉じていました。
以前から父に何かあったら連絡するようにと言ってくれていた高校の同級生の呼吸器内科の医者にすぐに電話をしたら、病院が受け入れてくれるというのでそちらに行くように母に伝えました。
お隣の方が親切で、車に乗せて病院まで連れて行ってくれましたが、なにせ朝の渋滞の時間。なかなか車は進まず、病院からも「今どこですか?」と何度も電話をもらう。「今、橋をわたったところ」、「もう少し」、「あとちょっとで着く」などどの連絡をしながら、やっと病院へ。
病院に着いたときは、先生がストレッチャーを用意して玄関で待っていてくれたそうです。

父の病

父の病いは、COPD(慢性閉塞性肺疾患)です。肺が機能しなくなり、自分の力で酸素を吸い二酸化炭素を排出することができない病気です。

入院

肺の状態がかなり悪く、喘息も引き起こしていて、呼吸がままならない状態でした。
先生から電話がかかってきて、強いステロイドを点滴するので、入院となりますとのこと。
とにかくたどり着けただけでもほっとした私たちでした。
入院中のことはまた書けたらと思います。

父、家に帰りたいと言う

何日か経過して先生との2人だけの病室で父が、「家に帰りたい」ってお願いしたと先生から電話がありました。
でも、在宅で看るのに年をとったお母さんでは無理なので私が帰ってきたら日程を調整して家に帰しましょうということになりました。
そんな父を看るために、私は帰省することに。
1日でも早く帰ってあげたかったのですが、仕事の締め切りに追われたのと、私の仕事をほかの方にお願いしたりなどを含め、2週間ほどかかりました。ほんとに飲まず食わず状態で仕事をして、2週間で2キロ痩せました。。。

飛行機🛫に乗る

そんなこんなで2年前の今日、鹿児島へ。
幸いなことに娘が一緒に付いてきてくれました。娘がいてくれたからできた日々でした。

東京から、鹿児島へと2年前の3月1日。

東京はビルだらけ
初めてモノレールに乗る娘が小さなときから一緒のぬいぐるみたち。
羽田エアポート 広い。


まだコロナのころでした
飛行機の中でCAさんがぬいぐるみに向かって「お名前は?」って聞いてくれた上に
ぬいぐるみあてにジュースを持ってきてくれた。
きっと娘と私がとても不安な顔をしていたのかもしれません。
その日、実家の側から見た桜島

病気の話、父に寄り添う家族の話、管理栄養士の私にできたことできなかったこと。力を貸してくれたご近所の方や友達。心をこめて父を看てくださった医療機関の方々、感謝してもしきれません。
そんな話をこれから、ぽちぽちと話させていただければと思います。

                          ゆのきりょうこ


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ゆのきりょうこ
おやつ買って、好きな絵本買って、娘とほっこりさせていただきます♪ありがとうございます🧡