家族の座のプロセスに身を委ねる。すると【私】という輪郭がはっきりしてくる
子育てをしていると、自分のお母さんが自分にして、嫌だったり嫌いだったのと同じことをわが子にしている。
気をつけているのにどうして?
わが子に対して後味の悪いことをしながら、自分の子ども時代の嫌だったことを思い出す。
そんなAさんが家族の座を受けてどう変わったか?
つづきのお話
家族の座コーディネーター りんりんです。
自分が育ったときのことを思い出して
お母さんのようにはなりたくない。と
子育てをしているのに
気がついたら、お母さんみたいだな。って思う。
子育て=新しい家族と、
自分の育った家族への思いとの両方にある
気持ちのひだをていねいに書いてくださった感想を
ご紹介しました。
そんなAさんが、家族の座を受けてどうなったか?
プロセスに身を委ねてみる、そんなお話からご紹介
座のワークで見る。そしてプロセスに身を委ねる。
私がオーガナイズする家族の座は
2日間連続での開催です。
それは、師匠・斎藤ダソの意向でもありますが
ちゃんとその背景がある。
座を開いて、「ああこれが問題の根っこだったんだ」とか
「ああ、これがこうなっていたんだな」って
頭でわかっても、一時的に満たされた気持ちになるだけでは
何も変わらない。とダソは言います。
家族の座では、アタマで問題と思っていたこと
そしていろいろやってきたはずなのに解決しない
そんなジレンマを感じることについて
「座を開いていく」と
ああ、私が見ていたのは、本当はこれだったんだ
(今までは何も見てなかったなー。でも知っているなー、これ)
ということと、
内面の世界が変わっていく
という経験をします。
だけど、アタマでわかったつもりで
馴染んだ毎日に戻っていくと、
変化=プロセスしない(あるいはしにくい)のです。
プロセスするための、
準備をする時間と場がある。
プロセスをともにホールドしてくれる
時間と場がある。
2日間があることで、わかったふりで終わらせない。
それが私が関わっている【家族の座】の
良さでもあると思います。
身を委ねるって難しい?だからこそ、家族の座がいい
頭派=アタマで考えることが多いAさんも
ゆっくりとプロセスの中に降りていきました。
そんなAさんの変化の声です。
当日から実感してるのは、首が初めて頭を支えてる感覚。一本とおったような感覚があることです。
先週一日朝、貧血みたいにふらふらして足がつかない感覚があったのですが、その日は自分には重たい内容の時間が控えていたからだとあとから気づきました。
家族の座で、自分の座をひらいたときに教えてもらったように、歩くときも目線をまっすぐみるようになったらアタマがふらふらしなくなりました。
自分の体調と心ってつながってることを実感しました。
ワークショップって、何が変わった?という目で見がちですが
Aさんのシェアしてくれた感想には、
座のワークで「体感した」ことが
日常にも生きていることが見て取れます。
たとえば、
座で「こんなとき自分はこんなふうになる傾向がある」ことを知って
あ、今日感じているフラフラする感覚は
重たい時間がある前に感じるものだ
そして、それに対してどう対処すればいいかがわかった。
自分の座をひらいたときに教えてもらったように、
歩くときも目線をまっすぐみる
を意識的にしてみる。
それは、心と体がつながっている
心と、体感覚がつながっているを
Aさんが座を通して知ったから。
家族の座のワークショップ自体が終わっても
プロセスは続いているのがわかります。
そして、プロセスを深めていくことができるから、変わる
いろんなことが続いていることに気がつきました
似たような気付きは他でもあって、小学生か中学生のころ、一気に体重が増加して、部活があったのであまり太れないと思っていたことを思い出しました。そのころはお腹に力を入れていました、ある時、別に誰も見ていないやと思い、お腹に力を入れることをやめてしまいました。
あの時、誰も自分を見ていないし、どうでもいいとなってしまいました。他人しか見れてなったです。
関連して、一年前くらいから、下腹部に力を入れることを習ってやっています。
中学生からずっと腰痛を繰り返していることに、お腹に力をいれることをあきらめてしまった自分がいたからだと言う気付きも繋がりました。ここ数年で心と体を見直すタイミングがきていると思っていたのですが、家族の座を受けて、いろんなことが繋がっていることに気づきました。
この数か月楽しいことが多く、知りたいやりたいがたくさんあって、せっかくのこの時間を無駄にしたくないと詰め込みすぎていましたが、今は、自分の心をみる余白みないなものを作るようになりました。
これは、Aさんが今しっかり自分を見れているから
でてきた気づきだなあ。と思います。
そしてだからこそ、過去の自分のご両親とのことも
しっかり受け止められる
最後に。
「お母さんのようには・・・」と思っていたことは
こんなふうに変わりました。
手放せた。昔のことが思い出されても、のまれない。
家族の座の中の私のワークで、父と母はいろんな思いを背負ってるなと前からわかっていましたが、実際代理としてみて、私が父と母の思いを背負う必要はない。と手放せた感じがあります。とばっちりを受けてただけと受け止めてます。
とばっちりの代償は恐怖心と私の自信への思考に大きく影響していて、母からのだめだしでできない自分がよく顔を出してくるので、ジャッジしないようになりたいが今の願いです。
そしてもう一つ。
家族の座でやった、父と母との関係を観るワークのなかで、心の中では物凄く行きたい思いがあるのに、一歩を踏み出せない自分がいました。
このエネルギーや、怒りのエネルギーが幸せのエネルギーに循環すればいいなぁと感じてます。
わかっているけどぶり返す思いがある。ってことはないですか?
いろんなワークを受けていらっしゃる方で
「仕方ないってのはわかっている。
お母さんだって、若かったし余裕がなかったし
一生懸命だったのはわかっている。
だから仕方ないよね。
わかってる、だけどさ。」みたいになる方は
多いように思います。
理解しているけれど受け止められていない。みたいなとき
実はそれは、「わかってないし、受け止められない」
としたほうがいいと私は思っています。
それはまだまだ、自分の中では執着ある思い。
Aさんはそれとはちょっと違う感じです。
頭でわかったではなくて
ゆっくりプロセスに入っていく。
そしてそこから毎日を変えていく。
家族の座の良さは、そんなところにもあります。
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もし毎日の生活でなんだなかな?という思いがあるとき
そのなんだなかな?を家族の座で見てみるのもオススメ。
そして私は、斉藤ダソの座が好きです。
開催予定の家族の座はこちらから。