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整理のほとんどは趣味|週末セルフケア入門

 整理整頓はめちゃくちゃセルフケアになると思っています。作業に没頭していると余計なことを考えずにすむし、部屋がきれいになると「自分えらいなー」と思います。

 ただ、得意不得意もあります。例えば、私は服をたたむのは得意ですが、洗ったお皿をしまうのは苦手です。一方、妻は真逆です。面白いなと思いますが、なぜなのでしょうか。

 ちょっと考えてみて思ったのは、私たちが別々の感覚を生きているからではないか、というものでした。私は服がたたまれていないと気持ち悪いと感じます。なぜ気持ち悪いかと言われても、そう感じるからとしか言いようがありません。

 そうすると、整理の技術は、自分の感覚に沿って、感覚世界を快適にアレンジする技術であると言えるのではないでしょうか。 だから実は、整理は世界観の問題になってくる。

整理の技術

 澤一良 『一番わかりやすい整理入門』によれば、整理とは人間とモノとのかかわり方を決めることだといいます。不必要なものを取り除き、モノを使いたい時に使いやすくする。
 
 同書では「整理収納スキル5つの鉄則」が紹介されていました。

①適正量の決定
②動作・動線にかなった収納
③使用頻度別収納
④グルーピングの効果
⑤定位置管理

 まず①必要なものと不必要なものを区別し、②使用シーンを想定しながら③よく使う順に④小分けにして⑤それぞれ置き場所を決めることで整理は完了します。

 ここでキモになるのは①です。必要なものと不必要なものを区別することが決定的に重要なのですが、これをどうやって決めるのか?

 モノには本来の用途があり、それに適した量と置き方がある程度決まっています(包丁が大量にあってもしょうがない)。そういった「便利」にしたがって、ある程度適正量を決めることはできそうです。

 もうひとつ重要なのが「ストーリー」だと同書は述べています。例えば私が愛用している万年筆は、誕生日に妻に買ってもらったものです。 だから、使用頻度が少なくても、肌身離さず持っています。これは捨てられません。

 しかし、考えてみればみるほど、一体何が自分にとって必要で、どれくらいが適正な量なのかは、やっぱり人によって全然違うんじゃないか、と思えてきました。

整理のほとんどは趣味

 そもそもの話、絶対にやらなくてはならない整理整頓はごく少量です。生きていけるだけの清潔さと空間を保つだけなら、多少散らかっていても全く問題ありません。
 だから、はっきり言って、整理のほとんどは趣味だというのが私の考えです。

 家材の配置に、唯一正しい回答なんてないですよね。例えば、私にとっては「たたまれていない服=気持ち悪い」なんですけど、「またすぐ着るんだから、そのままが楽」という人もいるでしょう。
 「いや、服をたたまないのはだらしないからダメだ」とか「たたんだ方が服は長持ちする」という意見もあるかもしれませんが、このレベルでは、しょせん好みの問題だと思います。

 海外に日本の美術思想を紹介した岡倉天心は、著書『茶の本』の中で、「茶室は、ある個人の趣味にかなうように建てられるべきものだとは、芸術における原則をつらぬくことである」と書きました。
 どういうことかというと、茶室は芸術の原則にのっとってモノが配置されているのだ、ということです。

 仕事場だったら「生産的かどうか」が重視されるでしょう。ただし、生産性が高まったとしても、必ずしも居心地がいいとは限りません。

 つまり、最低限必要よりほかの整理は、世界観によって変わるのではないでしょうか。茶室と同様に、自分の部屋だって「個人の趣味にかなうように」整えればいいのです。
 セルフケアのためであれば、自分が快適だと感じることを大切にして整理すればいいと思います。

 しかし、この整理という活動は、一人暮らしをしている場合と、誰かと暮らしている場合とで、全く別のゲームになってくるんじゃないかと思っています。

誰かと暮らしている場合

 誰かと一緒に暮らしていると、整理はパワーゲームになってきます。まさに世界観同士のぶつかり合いです。世界観同士のぶつかり合いで難しいのは、どちらが間違っているということがなく、どちらも正しいというところです。これってほとんど政治の問題に等しいんですよね。
 私にとって「床に何も置かれていないこと」がめざすべき世界観なのと同様、妻にとっては「食洗機もシンクも空で、いつでも調理に入れる台所」もまた、ゆずれない世界観なのです。

 私と妻がとっている対策、それは言語化と共有です。相手は気にしていないけど自分が気にしていることは絶対にあるので、「洗濯物はすぐにたたまないと気持ち悪いんだよね」とか「シンクに汚れた皿があること自体が許しがたいのである」だとか、ほとんど完全に自分の趣味だと理解した上で、相手に伝えるようにしています。

 面白いのは、言語化と共有をしていると、「言われてみれば別にどうでもよかったな」とか「自分で言っていてアホらしくなってきた」という風に、世界観の組み変わりが起こることです。おそらく、これは他の動物が持っていない、人間だけが持つ能力だと思います。

 整理することを、自分の世界観の一貫性を保つ活動として捉えるか、あるいは自分の世界観をアレンジしていく活動として捉えるのか(ちなみに、整理は英語で「arrangement アレンジメント」といいます)。
 
 結局のところ、ほどほどにコントロールを手放していくことが、整理のコツのような気もしています。「これは絶対この並びじゃなくちゃ嫌なんだ」ということって、よくよく話し合ってみると、それほど多くはないものです。
 であれば、最後に残るちょっとしたこだわりをお互い許しあえば問題ない。整理のことだけを考えれば、ほとんどの場合、これでいけるはずです。

 整理は、モノとの関係であると同時に、人間との関係でもあり得るのだと思います。整理は、自分が「趣味を押し付けている」と理解した上で、言葉にしてすり合わせることが大切。めちゃくちゃ当たり前の結論ですけど、たぶんこれが真実だろうなあと思っています。

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鎌塚 亮
読んでいただいてありがとうございます。