鎌塚 亮
いろいろ放り込むマガジンです。
セルフケアについて調べて書いたマガジンです。
調子が悪いとき、私は私を閉じてゆく。自己防衛するのである。シャッターを下ろすように。きょうは店じまいです、と。 昼食のあと、コーヒーを半分くらい飲んだところで、あ、きょうは調子が悪いんだと気づいた。となりの人のおしゃべりが遠い。日本語を受け取る力が弱くなっている。紗がかかっているようだ。会話の中身をよりわける前に、ただの音としてはたき落としている。 いま、意味を受け取るのはまずいのだ。とくに、噂話はよろしくない。こんなときに読める本は、ひどく抽象的な哲学書。作家の日記。あ
旅行から帰ってみると、いとこが長男を出産したという知らせが届いた。ふたりが電車とバスを乗り継いで、雪の積もった山あいの温泉宿でゆっくりしているあいだ、人ひとり生まれたのである。「おめでとう」とメッセージを送ったとき、ふたりはベッドでうつ伏せになり、ふくらはぎに貼った湿布が効果を示し始めるのを待っているところだった。 ときどき旅行へ出かけたが、計画を立てるのは決まって彼女だった。彼は方向音痴であるだけでなく、予定を決めることが苦手なので、提案を丸のみすることが多い。不思議なこ
彼はずいぶん前に紙巻煙草をやめたが、いまではパイプに凝っていた。時代に逆行した趣味なので、格安で道具を揃えることができた。一度も使われていない往年の名パイプ、行き場をなくした灰皿、独特の艶がある煙草盆が、彼の喫煙所たるベランダに集められた。一応、自分のおしゃぶりを買い集めていることを彼は自覚していたが、一方で、古代から続く喫煙の文化を受け継ぐ後裔を気取ってもいた。特に気に入っている道具は、大手に吸収されて消滅したブランドのブルドッグ型と、現代作家が切り出した握りやすいベント型
彼らはふたりで暮らしている。彼女はせっせと人と会っている。家に呼び、料理をふるまい、酒を飲む。彼はひとりでいる時間を大切にしているから、彼女の知り合いが来ているあいだ、かならずしも出ずっぱりにはならない。たとえば、彼は日課として決まった時間のあいだノートに向かうことにしているので、まだ日課がすんでいなければ、喫茶店でそれを済ませてから、戻ってきて会に参加する。あるいは、何時間もぶっ続けでおしゃべりして、それでもまだ終わりそうにもないときに、寝室に引っこんでひと休みすることもあ
彼は新聞を取り続けていた。朝起きてすぐ読み、仕事帰りにも読んだ。ときには、仕事中だって読んでいた。だから、昔に比べて、軽めの記事が増えていることには気が付いていた。彼は読み飛ばした。わざわざ毎月安くはない購読料を払っているのは、バズワードの解説を読むためではなかった。友達が紛争地帯に赴任して書いている記事を読むためだった。彼は自分が戦争当時者にほんとうに同情できるのか、あるいはしてもよいものか判断がつかなかったものの、数少ない友達のひとりが思いがけず戦争を取材することになった
ふたりが引っ越してきたとき、もっとも重視した家具は、ダイニングテーブルだった。椅子も書棚も大事だが、結局はテーブルが部屋の雰囲気を決めるからだ。それまで暮らしてきた部屋で、もっとも力を入れてきたのはベッドだった。一日の中で、いちばん長い時間をその上で過ごすものだからだ。が、これからはただ暮らすだけではなく、客をもてなすことのできる部屋にしたいと考えていたのだった。 ベッドが夜に乗る草の船なら、ダイニングテーブルは客を迎える主人の顔に相当した。郊外の家具店で買った合板の組み立
古着屋で買ったツイードのコートをよく着ている。1950年代のものらしい。修理しながら着ているから、ところどころツギハギや引きつれがある。一度など、背中に大きな穴があいた。元々高価なものでもないが、毛布のように分厚くて重い、その古くささが好きなのだ。 妻には「おじいちゃんのコート」と呼ばれている。私は早くおじいちゃんになりたいのかもしれない。喫茶店に朝から晩までいて、図書館をひやかし、新しいものを買わず、毎日ほとんど同じものを食べているおじいちゃん。なかなか悪くないような気も
はじめて夫婦でクラシックのコンサートへ行った。聴いたのは、ヴィキングル・オラフソンによるゴルトベルグ変奏曲である。 サントリーホールは、間近にせまったクリスマスの装飾できらきら光っていた。カラヤン広場に着くと、ちょうど開場を告げるオルゴールが鳴り、コートを着た聴衆が扉の中へ吸い込まれるところだった。 順番を待つあいだ、「芸術家はゼロから一をつくるという神話って何なんだろうね」と話した。よく知らない分野の創作は、まるで中空からつかみ出されたかのように見える。でも、自分の知っ
※映画『ガザ 素顔の日常』の内容を含みます 雨の降る日曜日の朝、午前九時に家を出た。ドトールでホットサンドを注文すると、届くなり指をケチャップで汚した。隣の席に座った白髪の男性が広げた朝日新聞の隅では、「世界の賢人」たちが集うフォーラムの開催が告知されていた。 電車の吊革につかまると、目の前の人が『風の谷のナウシカ』を広げて読み出した。カバーでは、王蟲の血で青く染まった服を身にまとったナウシカが、彼女の胴体ほどもある鋼色の銃を両手でぶら下げていた。背後はにじんだ朱色の空だ
週に二回、会社帰りにボクシングジムに通っている。 会員にはプロもいるが、基本的には会社員を対象にしたジムだ。 ボクシングを始めてそろそろ十年になる。ひとりでもくもくと練習できるところが、性に合っていたようだ。 ボクサーにはシャイな人が多いと感じる。 いくつかの動作の精度を極限まで高め、無限の組み合わせのうちに使用するボクシングは、どこか短い詩の形式を思わせるスポーツだ。 新型コロナウイルスの感染が拡大していたとき、ジムはピンチだった。外出自粛が続いていた時期は、ほとんど誰も
コンサートの開演に遅刻して、入場できなかった。 パリから来日した演奏家による協奏曲が聴けるはずだったのだが。 ほんの五分の遅刻だったが、きっぱりと断られた。 くやしいが、見事な対応だったと思う。 土曜日の午後、新宿から電車で小一時間かかる見知らぬ町で、暇になった。 喫茶店で一服した後、駅ビルの中に書店を見つけた。 「まさか」と思うほどのすばらしい棚づくりがそこにあった。 定番はおさえながら「これが面白いんだよ」と主張する、いい感じに偏った棚挿し。 玄人をにらみながら、ライ
考えることを減らせると、楽になる。 苦しくなっているときは、たいてい考えすぎている。考えているつもりが、悩んでしまっているのだ。「悩まない」ことが大事だといわれる。 しかし、悩まないことなどできるだろうか。少なくとも、私にはむずかしい。 理屈はわかっている。でも、いつも悩んでしまう。 「悩まない」はストイックだ。「ストイック」の語源であるストア派の哲学者たちも悩まないことを説いたが、じつは彼ら自身、政治や戦争について悩み続けていた。 どうすれば、よけいなことを考えすぎない
百歳近くで大往生した母方の祖母は、「おかあさん」とよばれるたびに、息を吹き返した。 いまわの際に、祖母の息と息の間隔は徐々に長くなっていった。 ついに息が止まったかと思われると、母と叔母が「おかあさん」とよんだ。すると、それに応答するかのように、祖母は「ハァー」と息を吹き返すのだった。 それは何度も繰り返された。ついに息を引き取るまで、彼女はよばれるたびに戻ってきた。 「人間、耳が最後やで」 通夜の席で、父はそう言うのだった。 往生際まで開いているのは目ではなく耳だとい
平日はフルタイムで働き、週末に文章を書いています。 発信は個人としてのものです。 担当編集の方によれば「チャレンジ→咀嚼→言語化」が得意です。 ■連絡先 執筆や取材のご依頼・ご相談は下記までお願いします。 coesp34@gmail.com ■連載 メンズメイク入門|講談社 VOCE(2020/8~2021/9) https://i-voce.jp/regular-series/mensmakenyumon/ 週末セルフケア入門(2019/9~2020/8) http
保留の言葉 長田弘『知恵の悲しみの時代』(2006年、みすず書房)は、戦争をしないでおくための「保留の言葉」をさがす本です。同書は「戦争の時代に刊行された本」にまつわるエッセイ集。1894年から1945年までに刊行された二十数点は、ほとんどが今はもう忘れられた本ばかり。著者はその中に、戦争をするための「果敢な言葉」に対する、戦争をしないでおくための「保留の言葉」を見出していきます。 なかでも、折口信夫・高浜虚子・柳田國男『歌・俳句・諺』(日本児童文庫、1930年)に感銘を
私は文章を書くことが好きだ。いまはエッセイのようなものを書きたい。もっと上手くなりたいと思う。面白いが何の役にも立たない文章を書いて暮らすことができれば愉快だ。 ところが、私は苦手なものが多すぎる。文章を書くにあたって致命的なものばかりだ。まず、記憶力がない。相当ないと思う。妻には「何なら覚えているの?」と言われる。固有名詞も忘れる。特に地名がダメだ。方向音痴なのである。登りと下りの電車を乗り間違えるし、自分が向いている方が北だと思っている。だから近道に成功したためしがない