若槻千夏さんのバッシングに対する違和感:教師の時間対応だけの問題なのか?
7月21日に若槻千夏さんが「news zero」に出演した際の発言が“モンペ(モンスターペアレント)発言”としてバッシングを受けている。時間外対応に追われる教師の状況を改善するための議論が番組中では進んでおり、現役教師とのやりとりの中から若槻千夏さんの一連の発言が出る。確かに若槻千夏さんの発言は適切ではなかったかもしれない。しかし、これを一概にテレビ中でタレントが“モンペ発言”をしたということで片付けていいのだろうか?若槻千夏さんがこのような発言をした裏には、きっと彼女自身がうまく言語化できなかった気持ちがあるはずで、そこを汲み取ってこの記事では新たな切り口でこの問題を取り上げていきたい。
この記事では時系列にこの問題を追っていくが、問題の経緯が分かっている人は、目次の「3.これに対する若槻千夏さんの対応」くらいからお読みいただけれればと幸いである。
1.問題発言が出た経緯について
若槻千夏さんの問題発言の経緯は以下の通りだ。
そんな中、コメンテーターの一人として出演した若槻は、「何かあったらどうするのか。18時以降対応しないで、もし子どもが帰ってこなかったらどうする」などと教師に反論。教師は「それは学校の役目ではなく、たとえば万引きがあったら警察の役目、他に何かあっても親の役目と思う」と意見を述べるも、若槻は「寂しい。もし子どもが帰ってこなければ心配になってさがすが、見つからなかったら学校に電話する。(時間外なら)それも対応してくれないってことですね」と疑問を呈した。
(THE PAGE記事 2019/07/22 より引用)
他にもSNSや動画投稿サイトで検索してみると発言の一部始終を見ることができるので、興味のある人は見てみてほしい。
番組の進行では、「小中学校の教師が不足している」、さらに「過酷な環境下で仕事を強いられている」という情報が伝えられたあとに、現役教師のコメントに対して「18時以降も先生に働いてほしい」と捉えかねない発言は確かに炎上するには十分であった。
2.若槻千夏さんの発言に対するバッシング
このテレビでの発言を受けて、SNSで炎上。モンスターペアレンツ的であると非難轟々の嵐となった。
以上のように関連ツイートも7月26日(金)0時時点で5万を超えるリツイートもあった。他の投稿でもモンスターペアレント的であるという批判が目立ったし、ネットメディアも同様にモンペ発言として取り上げた。
動画の発言の前後を捉えるために動画の文字起こしも試みたいところだが、とてもその余裕がなかったので、以下のNAVERまとめの記事「教員不足問題の発言で謝罪…選挙特番出演の若槻千夏に様々な声」を参照していただきたい。このまとめの中にはどうしてこの発言が出たかの経緯も出ているし、若槻千夏さんに対する批判だけでなく(圧倒的に批判が多いものの)、一部擁護する声も上がっているので参照してほしい。
3.これに対する若槻千夏さんの対応
若槻千夏さんはInstagram上で一連の発言に関して謝罪することになった。以下の画像がそのコメントである。
若槻千夏さんのInstagramのこの投稿に対しても多くのバッシングコメントが止むことはなかったのだが、この投稿の中で最も着目すべきところはここだと思う。
毎日ご一緒する先生方との繋がりが、子供達や保護者にとっての安心のよりどころになっている事もあり、そこをきっぱり割り切ってしまわれると言うお話に対して、一個人として、悲しさを覚えてしまったのは事実です。
そう、若槻千夏さんは子どもの対応について、きっぱりした時間の割り切りに対して疑問を感じたのである。(その後のごくせんや金八先生の云々は彼女がタレントとして盛り上げるための例えであったと信じたい……。)彼女の感覚の中で最も尊重するべきは、この部分であることに違いない。
しかしながら、Instagramのこの投稿に対して、「本当は反省してないのが見え見え」という批判もあった。若槻千夏さんが一個人として覚えてしまった「悲しみ」を言い訳と捉え、批判に対して納得してないし本当は反省していないと指摘するのだ。
そのような指摘もある一方で、この記事ではその若槻千夏さんが感じた「悲しさ」に寄り添って、何が言えるのかを考えてみたい。その考察については後述のこととする。
4.教育研究家・妹尾昌俊氏の見解
妹尾氏はの発言が出た翌日の7月22日にこの記事をYahoo!ニュースJAPANで投稿した。考察を記述する前に、この記事についても触れておこう。
記事の内容の流れは「若槻千夏さんの発言を具体的な場面に落とし込んである一定の理解を示す。」→「しかしながら、教師は生徒の問題について業務時間外に対応するのは難しいし、責任は問えない。」→「教師の使命感や責任感があるけれども、それでも業務時間外に対応を強要するのは間違い。」→「原則としては、学校の責任外で起きたトラブル等については、保護者が対応するべきであり、警察に相談いただくのが筋」→「かと言って、今回の若槻千夏さんの発言をモンペとラベリングするのではなく、教師と保護者のコミュニケーションを大切にしたほうがいい」……ざっくり要約すると、こんな感じである。
要約しているということもあって、細かいニュアンスについて伝わっていないかもしれないので、なるべく原典の記事を読むことをオススメする。
この記事の中で妹尾氏は若槻千夏さんがした発言に対して一定の理解を示しつつ、反論をしている。しかし、妹尾氏の考えの中に対しても僕は違和感があるのである。
原則としては、学校の責任外で起きたトラブル等については、保護者が対応するべきであり、警察に相談いただくのが筋
至極まっとうな意見にも思える。「保護者が対応するべき」というのは多くの人が納得する点であるかのように思える。しかしながら、これは本当に保護者だけで解決できる問題なのだろうか?現在の日本の法律(民法820条など)ではやはり保護者たる親権者が子どもの責任を負うことになっている。世の中の価値観的にも保護者が責任を持つべきだというのが大半だろう。
しかし、僕はそれに異を唱えたい。家出や万引きを繰り返す子どもに本当に家庭の居場所はあるのだろうか?もし、保護者たる親権者がその責務を果たしていないときに、子どもは誰に守ってもらえるのだろうか。
少なくとも警察は治安維持のために犯罪行為に対する警察権を行使するだけなので、子どもを守る役割は果たしてくれないだろう。ましてや家出捜索などの場合、事件性が低ければ警察はすぐに対応してくれないし、どうして子どもが家出したのか理由を突き詰めて中長期的に寄り添ってくれることはしないだろう。
妹尾氏の記事は学校外のトラブルは保護者や警察が対応するべきということであった。確かに一時的な対応としてはそうなるだろう。しかしながら、中長期的視野で見たときに、子どもの居場所たる学校も非行に走る子どもについて何らかの支援に関わる必要がある。そして、それは学校の教師だけが負うものでもないことを付け加えておく。具体的な対応については後述することにする。
【※追記※】妹尾昌俊さんはこの問題に関して、続編の記事をご執筆・ご公開なされました。下のリンクの記事も合わせてお読みいただければ幸いです。
5.若槻千夏さんが本当に訴えたかったことを推察する
若槻千夏さんの例の発言はこんな流れから生まれた。
キャスター「18時以降は学校の電話出ないとかですか?」
ゲストの教師「そうです、そうです。18時以降は学校の電話出なかったりしてます。」
若槻千夏「えー何かあったらどうするんですか」
ゲストの教師「何か起こったときは、それは学校の役目ではなくて、例えば万引きなどがあったら警察の役目ですし、えーっと、他に何かあっても家の役目だと思うので、ま、そこを勤務時間を超えて(学校の)教員がやることは、おそらく今後なくなっていくんじゃないかなと。」
若槻千夏「えーなんか寂しいですけどね」
(中略)
若槻千夏「だってもしね、子どもが遅くなって帰ってこないなって心配になっていろいろ探すけど、結局見つからなかったときに学校に電話するのが多分親だと思うんです。それでも対応してくれないってことですよね?」
ゲストの教師「もし子どもが帰ってこないとなれば警察が対応しますし……」
若槻千夏「えーなんかそれ寂しくないですか」
もし非行少年/少女が、ただ警察が事務的に万引きなどの事件を処理したとしても、子どもはまた同じ問題を繰り返すかもしれないし、あるいは別の問題を起こしてしまう可能性もあるだろう。若槻千夏さんの中では、きっとそのようなことも念頭にあって、「学校の教師が時間外だから対応しない態度はそれでいいのか」と感じたと推察する。
若槻千夏「そこをビジネス化しちゃダメでしょ」
その後のやり取りでこのような発言も見られた。教育についてはビジネスライク化すると失われることは確かにあるのである。効率化では済まされない問題も中には存在する。
ただし、この番組のテーマ自体は教師の超過労働をいかに解決していくかであった。現役教師のゲストは教師の労働時間のことについて語っているのだ。一方でこの発言が出た前後から、若槻千夏さんは子どもの居場所や更生のことを考えていているので、これでは議論が噛み合う訳がない。番組のテーマとは異なる発言だと弾糾する意見もあるかもしれないが、若槻千夏さんが感じ取った疑問は無下にしていい問題なのだろうか。
ただでさえ業務過多で大変な現状にある小中学校の先生方に、これ以上の業務時間を課して働いてほしいとは僕も1ミリ足りとも考えていない。ただ、このテレビの発言の中で若槻千夏さんが捉えた課題感は、子どもが何らの問題に巻き込まれてしまった際に、学校(教師)は時間外に起こした問題だからといって関係のないという態度を取ってしまっていいのだろうかという懸念ではなかったのであろうか。
6.子どもが抱える問題はどこが引き受ける?
例えば万引きを犯した生徒が義務教育課程であるならば、退学などはせず教師が担任をするクラスに戻ってくることになる。このようなときに教員はどのような態度でいればいいのだろうか。
非行少年/少女が万引きなどの犯罪行為に走るのは、彼/彼女らが悪人で道徳心がないからということではなく、彼/彼女らが抱える境遇がそれをさせてしまっているかもしれないのである。例えば、母子家庭で母親は夜の仕事をしていて起床時間が全く合わなくて子どもに孤独が多い家のケース、父親がアルコール中毒になっていて家庭内暴力(DV)も激しい家のケースなどなど、挙げればキリがないが、非行に走る少年/少女には生まれ育った厳しい家庭環境が影響していることが往々にある。
このような子どもが何か学校外で事件を起こしたとき、それは学校の責任ではなく警察が対処するものだと放っておけば、子どもはますます孤独になって繰り返し非行に走るだろう。
義務教育課程であれば、子どもは学校で多くの時間を過ごすことになる。その際に子どもを見守るのはやはり学校の教員しかいないのである。学校外で起こった子どものトラブルについても、学校での普段の行動や様子を気にかけることは必要であるから、教員もその問題の解決に向けて何らかの役割を担ってもらうこととになる。ただし、そのすべてを学校の教員が一手に引き受けるべきではないことも繰り返し付け加えておく。
やはり多種多様な子どもの問題を見るのには保護者と学校の教員だけでは限界がきている。そして第三者的な立場の人間が子どもの見守りや居場所づくりに参加していくべきではないだろうか。
例えば、子ども食堂などもその一例である。
「スクールソーシャルワーカー(SSW)は児童・生徒を取り巻く環境に注目して問題の解決を図る専門家と位置付けられています。」
スクールソーシャルワーカーという職種もあって、まさに第三者的な立ち位置から問題解決に取り組んでくれる存在なのである。
ただし、スクールソーシャルワーカーの配置は十分に追いついていないし、現状は制度も追い付いていない。教員自体も不足しているので、学校の教師が現在の状況からどうこうしても早急に解決できない問題であることも事実である。ただし、制度が確立されていったら、学校の教員も第三者的な立場のスクールソーシャルワーカーと協働して子どもの問題に取り組むことが必要だろう。
そして、この問題に気付いた人たちは何らかの解決に向けた取り組む意思を見せるべきではないだろうか。(例えば、ちゃんとした制度化をしてくれる政治家を選ぶために選挙に行くとか)
7.まとめ
この日のnews zeroはあくまで教員不足問題や教員の超過労働問題を取り上げた内容で、その流れで一連のやりとりがあった。教員不足問題や教員の超過労働問題に対するコメントとしては若槻千夏さんの発言は火種を生むものであったことに違いはない。しかしながら、また別の論点を浮かび上がらせる可能性があったにも関わらず、ネットメディアやSNS上のアカウントはその可能性を「モンペ発言」と片付けてしまったのである。
「教員の超過労働問題」と「子どもの居場所問題」については相反する課題でもある。若槻千夏さんは金八先生やごくせんを例にして挙げていたが、このドラマの主人公たちは超過労働を意に返さず子どもの問題に取り組む教師のストーリーを描いた作品である。しかし、その役割を学校の教師が一手に引き受ける時代はとうの昔に過ぎている。
一方でやはり子どもの居場所問題は取り組まなければならない問題である。それを保護者や学校の教師だけが担うのではなく、スクールソーシャルワーカーやNPOなど地域の人々も巻き込んで取り組むべきなのではないだろうか。