月1で大村屋に宿泊し、1年間嬉野の「人」を取材して見えてきた暮らし観光の意味
嬉野温泉 旅館大村屋がお届けする「嬉野温泉 暮らし観光案内所」にようこそ。連載のために月に1度は必ず嬉野温泉に泊まっている、ライターの大塚たくま(@ZuleTakuma)です。
さて、この「嬉野温泉 暮らし観光案内所」の連載は、今月で1年を迎えました。
普段、ガイドブックには載らないかもしれないけれど、嬉野で輝いている「人」。そんな方々に取材をしていると見えてくる、嬉野の魅力と課題。
通ううちに育っていく、愛着。深い取材を続けていくうちに、ぼくはどんどん嬉野のことが大好きになりました。
今回は番外編です。これまで取材と執筆を担当してきたライターの大塚たくまが、旅館大村屋の北川さんとこれまでの連載を振り返ります。
今回の対談はポッドキャストでも公開しておりますので、こちらもお楽しみください。
湯どうふを食べたことがないと話す嬉野の子どもたち
1年、あっという間ですね。
あっという間でしたね。
大塚さんが毎月、嬉野に行って記事を書くことで、新たに生まれたものはありますか?
嬉野を好きになればなるほど、嬉野の今や未来のことを考えるようになりました。そう考えると、いかに地元民が、地元を愛することが重要なのかということがわかってきたんです。でも「お前はどうなんだ」と。
なるほど。
「嬉野の若い人は、お店で湯どうふを食べたことがない人が多い」と聞き、心底驚き、日常と観光の分断について考えるようになりました。
嬉野高校の山本先生(左)は嬉野高校の高校生が「嬉野にはなにもない」と語っていたこと、宗庵よこ長の店長の小野原健さん(右)は嬉野の子どもたちが「湯どうふを食べたことがない」と話すことに危機感を覚えていた。
「福岡では日常と観光の分断は『明太子』で起きているよな」と感じるようになりました。福岡県外の人のほうが、明太子の各メーカーについて詳しいことがある。最近行っている明太子普及活動も、嬉野で学んだことがきっかけですよ。
明太子の情報発信を行う「福岡めんたいこ地位向上協会」
そこで、現在、明太子が好きすぎて、東京から福岡に移住した田口めんたいこさんと「福岡めんたいこ地位向上協会」という活動をはじめました。目的は、福岡でもっと明太子をたのしく語れる人を増やすことです。じゃないと、お土産の需要が落ちている昨今、明太子業界の未来が危ない。
大事ですよね。この前、嬉野・多良・鹿島地区の小中学校の校長会に呼ばれて、講演をしたときに「地域の魅力を磨き上げることは、教師に関係がある」と話をしたんです。「子どもたちが地元に魅力を感じてくれないと、帰ってきてくれないから、生徒数が減っていきますよ」って。
本当にそうですよね……。
人がいなかったら街は成り立たないんで……。やっぱり、この「暮らし観光」は非常に重要だと思います。
何度も通ってもらえれば「特別な場所」になる
「毎月通う街ができた」というのは、どうですか?
縁のない場所にこんなに通うって、就職でもしないとなかなかないと思うんですよ。毎回宿泊もしているわけで。自然に愛着は育つし「誰か他の人を連れていきたいなあ」って、自然と思っちゃいます。地元が増えたような感覚ですよ。
大塚はどんどん友人を嬉野に連れて行く
そういった宿泊プランをつくるの、いいかもしれませんね。毎月1泊してもらう前提で、12泊分のセットで安くなる。安くなった分は嬉野に愛着を持ってもらうための宣伝広告費ですよ。
いいですね、それ。1年も通うともう仕上がっちゃいますよ。
1年通うと、その後も来ちゃうでしょう?
行かなくなるのが寂しすぎるので、定期的に行っちゃうでしょうね。ニュースも追っちゃうと思います。
毎月、大塚さんに嬉野へ通ってもらって、記事を書いてもらうというのは、ある種「実験」でもあったんですよ。いったい、通うとどうなるのか。やっぱり「好きになっちゃう」ということですね。
好きになっちゃいますよ、それは。もう、嬉野から逃れられない。
「超コアファン」をつくっていくというのは、一つの正しい道だと思うんですよね。あまり、これまで観光地が得意じゃなかったところ。
そうですね。とくに「旅館」という括りで言うと、「2泊した旅館」というだけでも、けっこう少ないと思うんですよね。ということは、旅館側は2泊させるだけで、多くの人の「特別な旅館」にのし上がれるということだとも思うんです。
「通う」ということは、やっぱり大事ですね。最近「関係人口」という言葉がありますが、まさにそれです。そういう方は、勝手にコンシェルジュもやってくれますしね。
関係人口:移住した「定住人口」でもなく、観光に来た「交流人口」でもない、地域と多様に関わる人々を指す言葉。
もう、さも「俺の街」って感じで案内してるんですけど、楽しいんですよね。
いやあ、いいですね。それでは、過去の記事を振り返ってみましょうか。
第1回・2回 おひるね諸島 大門光さん・中村将志さん
大門光さん(左) 中村将志さん(中央)
嬉野の人への取材記事、第1回〜2回はおひるね諸島のお二人でしたね。おひるね諸島も開業1周年になりますね。今、バンバンイベントやってますよ。
ぼくはおひるね諸島の2本目、路地裏散歩の記事が印象に残っています。
温泉街のメインの通りしか知らなかったんですが、路地裏を歩いてみることで「確かにここで人が暮らして、生活しているんだ」と感じました。当然なんですけどね。路地を知っちゃったことで、愛着が急速に育まれた気がします。
嬉野まで高速道路で来て、旅館で過ごすという人も多くて、メインの商店街の通りですら歩かないという方もいらっしゃるんですよね。路地裏を歩くことで、街のリアルを感じられます。この記事のあと、リアルでイベントをやったんですよ。
へー!すごい。おさんぽ博士の中村さんと、嬉野博士の北川さんのタッグは最高でしたからね。きっと盛り上がったことでしょう。
福岡から日帰りで参加してくださった方もいました。中村さんの作品(一輪挿し)に散歩で見つけた野花を挿して、愛でようという企画も行い、盛り上がりましたよ!
おさんぽ後に撮影した記念写真
……それにしても、初回からかなり「暮らし観光」っぽい始まり方だったんですね。
第3回 アサヒヤ 赤澤宏さん・赤澤侑子さん
出た!究極のゆるキャラ「お茶っティー」誕生秘話!大塚さんは最初に「お茶っティー」を見た時、どう思いました?
お茶っティー:嬉野の洋服店「アサヒヤ」の娘さんが描いたイラストから生まれたキャラクター。嬉野の非公認ゆるキャラとして、ジワジワと地元で人気が出始めている。グッズがどんどん発売される。
最初は「お茶っティー」をどう受け止めて、どう楽しんだらいいのかがわからなかったので。そのあたりを詳しく深堀りしたいな、とは取材前から考えていました。
実際に取材してみてどうでした?
こんなに深みのあるキャラクターって、なかなかいないんじゃないですかね。
いまだに、あの記事へ反響があるみたいで。地元のことを調べ学習をしていた学生さんが「お茶っティー」の記事を見つけて盛り上がり、先生がアサヒヤさんを訪問することがあったそうで……。
アサヒヤさんの店内
地元の方が記事を楽しんでいるというのは、嬉しいですね。
やっぱりこのキャラクターって「愛」じゃないですか。最近、大塚さんがよく言っている「愛」。オトナのいやらしさがないというか。誰からも頼まれていないのに、勝手に生まれたお茶っティー。
勝手に生まれました
求められるようになったのは、誕生した後。そこから、人の心を掴んで、自然と広がっているお茶っティーは、かっこいいですよね。
ちなみにこちらのアサヒヤさん。今、佐賀県の「ローカリスト」という企画に赤澤侑子さんが選ばれまして。赤澤さんの企画で、来年3月嬉野のみゆき公園で子どもを主役にしたマルシェ&音楽イベントをやろうと企画されています。
えーっ、すごい。子どもを主役にしたマルシェですか。キッザニアみたいで、面白い。
自営業のご両親を持つ子どもが、お父さんやお母さんの商品を売る。たとえば、うちの子だったら、大村屋のプリンを売るわけです。主婦らしい視点で、いい企画ですよね。
いい企画ですね。子どもも、自分でがんばってお金を得た経験って、一生モノだと思います。ぜひイベントを覗いてみたいな。
第4回 嬉野高等学校 教諭 山本敏郎さん
まさか観光の記事で、高校の先生が出るとは。
スタート当初、かなりディープな記事が続きますね。
山本先生は昔っから学校にいないことで有名で。街でよく見かけると。
足湯に出没する山本先生
嬉野取材へ行くと、毎回街でお会いすることから、気になって取材を決めたんです。なんかこち亀の両さんみたいだなって、思ってました。
実際に取材してみて、どうでしたか。
「嬉野には何もない」と語ってしまう高校生を相手に「座学ばっかりはやめて、街に出よう」と促し、嬉野で活躍する大人たちと交流させようと一生懸命な姿が印象的でしたね。
ちゃんと出勤してます
もうどんどん、街ナカの人たちに突っ込んでいきますからね。実際、山本先生の活動の甲斐あって、嬉野高校の学生が企画した「リアル人生ゲーム」が商店街で行われるんですよ。商店街の各お店が「コマ」になってて。
この企画で、これまで行ったことがないお店に入るということですね。素晴らしい。楽しそうです。いやあ、記事のアフターストーリー、面白いですね。
第5回 宗庵よこ長 小野原博さん・小野原健さん
ようやく、観光記事っぽい取材先。嬉野の湯どうふの超有名店、宗庵よこ長さんですね。いかがでしたか?
ぜんぜん観光っぽい切り口じゃないんですが、「嬉野の方が意外と湯どうふを食べていないんじゃないか」という話が非常に印象的でした。考えさせられました。
地元の人よりも、外の人向けになっていたということですね。この記事はぼくの中でも、大事な気づきがありました。自分たちは嬉野の名物として「湯どうふ」を売っているにも関わらず、実際は地元の人はあまり食べてない。
宗庵よこ長の湯どうふはふわふわで個性的
「福岡の明太子も似たようなところがあるんじゃないかな」と反省しました。ここで「観光と日常の分断」というテーマの重要性がわかってきました。
まさに私たちが暮らし観光案内所で深堀りしていきたいテーマですね。ちょっとこの記事から、ちゃんと「課題」を見出すようになってきた感じがありますね。
この記事では湯どうふの歴史的な部分でも、まだ誰も触れたことがなかった重要な話が多数登場しており、湯どうふのことを知りたい人にとっては必見の内容なので、ぜひ読んでほしいですね。
ちなみに、湯どうふの面白さに関しては「湯どうファーズバイブル」をご覧ください。
第6回 ぎゅう丸 創業者 近藤浩さん
ぎゅう丸さんは、嬉野発の有名なハンバーグのお店。チェーン展開もされています。意外とその成り立ちやストーリーがWebに載っていないぞ、と。
車で30分かけて、1500円払って食べるハンバーグは、どんなものがいいか、とお客さん目線で逆算して考えて、商品設計をしているのが面白かったですね。ものすごい努力の方だった。
めちゃ美味しいぎゅう丸のハンバーグ
ジェントルマンな感じなんですけど、内側に持っているものがとても熱い方でしたね。ぎゅう丸のハンバーグの「満足感」はすごいですもんね。やっぱり、有名店、人気店には理由があるんだなと、感じさせられました。
こういうお話を聞くと、味の解像度が上がって、より美味しく感じられるんですよね。ぜひ、ぎゅう丸のハンバーグを食べる前に、この記事を読んでみてほしいです。
なんかディズニーランドでアトラクションに乗る前に見る映像みたいな感じですね。人気店ほど待ち時間があるじゃないですか。そんなときに冊子にして渡して、お店のストーリーを読んで、テンションを上げてもらうといいかもしれませんね。
第7回 シモムラサイクルズ 下村宗史さん
茶輪のお話!どうでした?
この記事は、まず実際に茶輪を体験した時のことが思い出されます。電動自転車を使わずに、登った嬉野。めちゃめちゃきつかった。電動自転車を使うと簡単に行けたんですよね。
それはさておき、下村さんが嬉野で開業する流れが面白かったですね。嬉野のオヤジたちに憧れた、という話。自分でグイグイというよりは、周囲に背中を押されながら、開業されたんですよね。
下村さんはもともと、Web関係の仕事をしていたサラリーマンだったんですよね。「嬉野温泉賑わいLab.」で下村さんが「ツールド嬉野」というプレゼンをされたところから始まり……、今本当に自転車屋やってますからね。
嬉野温泉賑わいLab.:佐賀県嬉野市の中心市街地の活性化を目的に、地元の住民を中心とした参加者が話し合い、実験的にイベントや商品開発を行うことを目的とし、定期的に会議を開いていた
住んでいる人に影響されて「自分もここに脱サラして住みたい」と思ってもらうのって、とてもいい形ですよ。
理想的、というか、すごくいいお話ですよね。
「補助金があるから嬉野に来た〜!」とか、そういうんじゃ全く無く、土地に住んでいる人が魅力的だから来たというね。それこそ、大塚さんが好きな「愛」ですよ。いい記事でした。
第8回 ナカシマファーム 中島大貴さん
次がナカシマファームさんですね。この記事はどうでした?
中島さんのゴールを見据えて、逆算して一直線に努力する力。その「企み力」に震えましたね……。
この時、まだ塩田津の「MILKBREW COFFEE」のオープン前で。今や、すごいですからね。メディアにバンバン出て、お客さんもバンバン来て。えらいことになってきましたね。
オープン前に建築雑誌に載るようなものをつくりたいとおっしゃっていて。本当に建築業界で取り上げられていてびっくりしました。
言ったとおりになっていますよね。中島さん、なにかコンサルとかやった方がいいんじゃないですか。この記事は、商売をやっている人に読んでほしい。
オセロにたとえた「カドを取る」という話はすごく印象に残っていますね。「勝てないかもしれないけど、カドは取ろうぜ」というメッセージは、すごく勇気を与えるいい話だなと思いました。同じ負けなら、カドを取った負けがいい。
カド1つくらいは、なんか頑張れば取れそうですもんね!なんかゾワッときますね、この話。いやあ、いい連載じゃないですか、これ。
自画自賛。笑
だれも誉めてくれないから。笑
第9回 茶農家 茶屋二郎さん
この記事はぼくらの記事の中でも、いちばん読まれた記事ですね。アクセス数もダントツに多いですよ。
noteの公式に取り上げていただき、それで多くの方に読んでいただけました。
茶屋二郎さん親が茶農家をやっているわけでもなく、茶農家に自ら飛び込んで修行して、新規就農を果たしたんですよね。「日常にある、お茶の価値を高める。」という、暮らし観光につながるテーマのお話を聞けたことも良かったです。
そういった意図で取材先を選定しているわけではないのですが、暮らし観光的な視点が出てきますよね。ちなみに茶屋二郎さんはこの後バーを開業されていまして。めちゃめちゃ人気みたいです。
とくに女性客が。なんか「ずっと見つめてるだけでいい」みたいな。
二郎さん、かっこいいんですよね……。
でもホラ、かわいらしさもあるじゃないですか。
あぁ、たしかに。
なおかつですよ。お茶はもちろん地域課題への想いも真剣。そして、出てくるお茶も美味しいとなればもう。もうちょっと「どこかなんか悪いところ見つけてやろうかな」って感じ。いい方ですよ。
ティーバッグでもおいしいお茶が淹れられるというお話も面白かったですね。自由度をなくすことによって、より作り手の意図通りにお茶を飲んでもらえるようにできるという。高かった敷居が下がりました。
茶屋二郎ティーバッグの淹れ方説明
この記事にはいろんな要素が詰まっていましたね。移住とか、新規就労農業の課題とか日本茶の問題点とか。面白い記事でした。
第10回 うれし庵 澤野典子さん
うれし庵のものがたり。こちら、いかがでしたか?
もともと呉服店だったところを新しい人が来て、リノベーションをしているんだと勝手に思いましたが、親子の絆があったんですよね。親がやってきた呉服店を残しながら、ご自身はスイーツ作りの腕を振るうという自然な形。
今でも看板は「山下呉服店」
レトロ感を出すためにわざと古い物件を選んでいるわけではないんですよね。どこよりも自然な和モダン。それまでは美味しいお茶スイーツのお店としか思っていませんでした。印象が変わりました。
うれし庵のお茶スイーツは絶品
まだ呉服店として機能していますからね。下駄とか草履とか帯とかが売っている。実際、うちもこの前、帯を買いましたしね。
今でも稼働中
うれし庵もやっぱり「愛」なんですよね。そこに、商業的な企みはない。
この記事もよかったですね。大塚さんが言っていた「自然体」というか「無理矢理感がない」というのはとても重要な気がしていて。もう「演出」ってバレちゃう世の中じゃないですか。もちろん「演出」は悪いことじゃないですけど、やはり「演出」は「自然」には勝てない。
澤野さん自身が、お茶が大好きで。お茶のスイーツショップであることすらも、自然なんですよね。「嬉野だから」ではない。とにかく、うれし庵はすべてが本物なんです。
第11回 ジャズシンガー 荒木眞衣子さん
ジャズシンガーまできましたよ。お茶っティーから、ジャズシンガーまで!
嬉野はキャラクターが豊富ですよ、本当に。荒木さんは公式サイトのプロフィール見たときに、ジャズシンガーだけでなく、食空間コーディネーターとしての経歴も充実していて。二人分の人生を生きているんじゃないかと思うくらい。
女性が嬉野で活躍できるって、嬉しいことですよね。文化的なことって、なかなか地方では表現しにくいと思って、都心部へ出ていく人が多いじゃないですか。でも、荒木さんの場合は嬉野に住んだまま、東京の方々と交流しながら、全国発売のCDをリリースする。
嬉野にいながらにして、やりたいことをどんどん実現していく姿はかっこいいです。
ぼくは若い子にこの記事を読んでほしいですね。高校生とか、自分の進路を迷っている子とかに役立つ記事だと思います。今の若い子は「選択肢が多すぎて悩む」ということがあるんです。
あぁー。なるほど。
ぼくらの時代はいい大学に行って、いい企業に入るという道筋がありましたけど、それがちょっと崩れてきている。予測不可能な世の中になっていて、どうしたらいいかわからない。そういった中で、いろんな人生の選択肢を持つというのが、ひとつの答えだと思うんです。それを体現しているのが荒木さんだと思います。
たしかに。「やりようはいくらでもあるんだよ」というのがよくわかります。「結局、あなたはどうしたいんですか」という部分が問われる時代だなと思いますけど……。荒木さんは「自分がどうしたいか」という想いに誠実に向き合ってきたからこそ、今いろんなことができているんだと思います。
荒木さんは、かっこよくて美しい。同性からも憧れられるような存在だと思うんです。地方でかっこよく生きている女性がいることを、読んで知ってほしいですね。
第12回 うれしの元気通信 編集長 松本聡子さん
そして最新記事。こちらはいかがでしたか。
連載開始当初から、お話を聞きたいなと思っていたマツコさん。普通なら「誕生秘話」なんですが、やっぱりうれしの元気通信は「継続」に価値があると思い「継続秘話」というタイトルにしました。
うれしの元気通信:嬉野市のローカルWebメディア。Webサイト、Facebook、Instagramで更新を続けている。
ぼくがマツコさんのお話で面白かったのが、自ら発信する人が増えてきて、自分がいないところで面白いことをやっていると嫉妬するというお話。マツコさんの愛が現れていて、可愛らしいなと思いました。
茶農家さんの写真を自ら撮影し始めたというお話も面白かったですね。「もっと茶農家さんの写真が表に出ていればいいのに」と思って、誰からもお願いされていないのに、撮り始めるという。これもまた「愛」ですよ。
マツコさんの立ち位置って、なかなかいないですよね。このような情報発信をする人の仕事がちゃんと成立しているというのが、本当にひとつの奇跡ですよ。
本当にそうですね。昨今、コンテンツの「中身」を信じられる方が少ないなと思います。ぼくも「自分たちの活動もこう伝えれば、これまで伝わらなかった人たちに届くかもしれないな」と思って、わくわくしてもらえるような提案をすることが大切だと思います。
ヘタになんか地元の代理店を使うより、想いのあるライターをひとり、まちで契約した方が、長い目で見るとまちのファンができるかもしれませんね。もっとうれしの元気通信や、マツコさんの存在を知ってほしい。
世の中に「やっているように見える発信」って多いですけど、「愛がないとこの切り口は出てこないよね」という発信ってあるじゃないですか。そういう迫力のある発信って、今どれぐらいあるんだろうって思うんです。マツコさん凄いな、と思えば思うほど、ぼくにもブーメランが突き刺さっていて。自分も福岡に何ができるのか、考えさせられますね。
嬉野の暮らしと観光は、これからも続いていく。
もともとは「採用のために情報発信をしたい」という趣旨だった、この連載企画。話しているうちに「求職者に嬉野というまちを選んでもらうことが先では?」という話になり、気がつけば、嬉野に月1で取材へ通う日々が始まりました。
記事の発表を続けていると、取材を受けていた方同士で交流が深まったエピソードを聞く機会も出てきました。記事の内容が地元でも知られていなかったような重要な情報であるケースも出てきて、やればやるほど、意義を感じるようになっていったのです。
記事を発表するにつれ、ぼくのことを知る嬉野の方々も増えてきました。そして、その都度、ぼくの嬉野への愛着は深まり、嬉野がどうすればもっと発展するのかを自分事として感じるようになっていったのです。
しかし、何度も取材活動を進めるにつれ、ぼくは自分の頭にたくさんのブーメランが刺さっていることに気がつきます。
「わたしは、地元のために何をしている?」
ぼくは正直、今住んでいるまちよりも、嬉野の話をするときのほうが生き生きとしています。それはなぜかというと、嬉野のことのほうがよく知っているからです。これでいいのか、自分。それでいいのか、自分。そんなことを考えるようになりました。嬉野の街と人が、ぼくに与えた影響は計り知れません。
これからも嬉野の暮らしと観光が続いていくように、この連載の問いかけも続いていきます。
これからの、暮らし観光とはなんだろう。
これからの、暮らしとはなんだろう。
これからの、観光とはなんだろう。
これからの、生き方とはなんだろう。
「嬉野温泉 暮らし観光案内所」次回もご期待ください。