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田舎でもやりたいことはできる。嬉野のジャズシンガー・荒木眞衣子とは何者なのか

嬉野温泉 旅館大村屋がお届けする「嬉野温泉 暮らし観光案内所」にようこそ。連載のために月に1度は必ず嬉野温泉に泊まっている、ライターの大塚たくま(@ZuleTakuma)です。

今回も嬉野で活躍する方にお話をうかがってまいりました。こちらをお聞きください。

美しい歌声に心を奪われます。「Cherish」という、スタンダードなジャズナンバーを集めたアルバムで、CDデビューを果たしたジャズシンガー・荒木眞衣子さんです。

今回の暮らし観光案内所は、荒木眞衣子さんにお話をうかがいます。


荒木眞衣子とは何者なのか

今回、荒木眞衣子さんにお会いするにあたり、すぐに荒木さんの歌を聞いてみたいと思い、YouTubeを散策。するとこんなものが出てきました。

ジャズを歌う荒木さんに、旅館大村屋のスタッフとしても活躍しているヘネシー吉川さんのカスタネット。フランクで、すごくいい雰囲気のジャズライブ。さらにこんなものも。

旅館大村屋の北川さんが作曲した「嬉野談話室」のテーマソングを荒木眞衣子さんが歌っていました。透明感はあるけど、やさしくて温かい歌声が嬉野の街のイメージともよく合います。

そんなやさしくて温かい歌声を活かし、CMソングでも活躍されていました。心にスッと入ってくるような雰囲気を持った美しい声をお持ちだと思います。

作品に触れるうちに興味が増していったぼくは、デビューアルバム「Cherish」を購入。

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軽やかな「I Got Rhythm」でスタート。すぐに心を奪われました。

スタンダードなジャズナンバーを集めているだけあって、ジャズに馴染みがないぼくもすんなり聴くことができ、自分の部屋がワンランク上がったような気がします。CDの音質がよく、その場で演奏しているような臨場感。

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ブックレットを見ると、こんな一文が書かれてあります。

ある時はジャズヴォーカリスト、ある時は食空間コーディネーター、ある時はMC。

ん?どういうこと?

疑問に思ったぼくは、荒木眞衣子さんの公式サイトへ行って、プロフィールを確認してみました。

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すると、たしかに「JAZZ SINGER」の項目と「COORDINATOR」の項目があるじゃないですか。しかも両方に「Biography」の文字が……。

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「JAZZ SINGER」のBiography

「JAZZ SINGER」のBiographyには、ジャズシンガーになった経緯と実績がたっぷりと書かれていました。やっぱり、ジャズシンガーがメインのお仕事なのでしょうか。

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「COORDINATOR」のBiography

こっちもびっしりだ。

食空間コーディネーターの方のBiographyもそれに勝るほどの充実具合。もはや2人分の人生を生きているような、濃密な経歴です。なんだこれは。

下調べのはずが、よけいに「荒木眞衣子とは何者なのか」がわからなくなってしまいました。今回はなぜこんなことになっているのか、詳しくお話をうかがっていきたいと思います。


嬉野で生まれたジャズアルバム「Cherish」

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ーーリリースされた「Cherish」を聴きました。素敵なアルバムでした。

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買ってくださったんですね。ありがとうございます!

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今回発売したアルバムは、3年以上前から構想があったそうですね。

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もうずっとアルバムをつくりたいと思っていたんですよ。ただ、歌唱そのものはもちろん、発音が仕上がるのに時間がかかって。

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ーーそうだったんですね。

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たくさん勉強して、練習しました。それでようやく師であるウィリアムス浩子さんに歌入れしてもいいと判断してもらえたんです。

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ウィリアムス浩子:日本のジャズ歌手。荒木眞衣子さんの音楽の師。オーディオファンでもありハイエンドオーディオ向けのアルバム制作を行うことでも有名。

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浩子さん、厳しいですね。

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真摯に物事を考えている方で「作品をつくるのなら、一生胸を張って販売できるようなものをつくりましょう」というスタンスなんです。音楽だけでなく、いろんな側面から勉強させていただいています。

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レコーディング風景(荒木眞衣子さんのFacebookより)

ーー今回のアルバムでは、北川さんがライナーノーツを担当していましたね。

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そうなんですよ。書かせていただきました。

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浩子さんが「ライナーノーツは健太くんがいいんじゃないか」と言っていたんですよ。たしかに、嬉野の人がいいなと思って。私は嬉野にいるし「地元感を出したい」と思って。

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Amazonで2位になっていましたね。こんなアルバムが嬉野から生まれたことが嬉しいです。「嬉野」という文字を見て、「どんな街なんだろう」って思ってくれたらいいな。

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そう。だから、絶対に嬉野の人にお願いしたかったんですよ。「田舎でもこういうことができるんだ」って、思ってほしい。自分の街にプライドを持ってほしい。田舎でも、太刀打ちできるって。何の問題もないよって。ハードルは何もない。

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ーーたしかに「田舎にいると可能性が狭まる」と思い込んでいる人は多いかも……。

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田舎にいても、やりたいことはできるんですよ。私もそうだし、(北川)健太くんもこれからいろいろやろうとするうえで、嬉野にいて何も不便なことはないはずで。

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田舎は普段の暮らしが豊かですよ。刺激を受けたいときは都会に行けばいい。嬉野という土地でも、文化に触れながら、自分らしい生き方ができる。荒木さんは、それを体現した事例だと思います。

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想いさえあれば、やっていけるよね。

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多様性のある生き方は、地方でもできます。地方にいるからといって、自分らしい生き方を諦めてほしくないですね。

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※撮影用にマスクを外しております

そんな嬉野への想いが詰まったジャズアルバム「Cherish」。荒木眞衣子さんの歌声、ぜひ一度味わってみてください。


1コンテンツではない生き方

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ーー荒木さんは、お一人でもジャズシンガーに、食空間コーディネーター、MCなど多様性をお持ちですよね。

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私はとにかく人との出会いがきっかけになって、やることが広がっているんですよね。

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普通は「この人はこの仕事」と1コンテンツじゃないですか。「どれもやりたいこと」と位置づけて、自分の生き方を素直に自然に貫いているところが、凄いなと思います。

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ーーでも、本来それが自然な姿ですよね。人生、いろんな人と出会い、いろんなことが起こるじゃないですか。それぞれと向き合うと、一つの仕事しかしなくなる方が稀な気がします。

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人類の歴史上、いろんな仕事をやっていた期間の方が長いと言われているそうですよ。「一つの仕事しかできない」ことを、「キャリアが低い」と判断される文化を持つ国もあるそうです。そういう文化圏では「きみは何個仕事ができるの?」と話をする。

(※参照Podcast「働くことの人類学」)


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ーーそれはそれで、厳しい世界ですね。笑

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「アルバムを作ってシンガーとして活動していくなら、もっと歌を磨いた方がいい」と言われて。だから「もっと歌に専念しないとダメなのか」と思ったんですけど……。

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ーーあれ、そうじゃないんですか?

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「違う。眞衣子ちゃんは元々持ってる才能も実績もあるテーブルコーディネートをしっかり基盤にして、その上で歌も磨けばいい。両方がさらに磨かれていく。自分を磨きなさい。」と言われて。

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ーーなるほど。たしかに両方やれる人はなかなかいないでしょうからね……。でも、それを歌の先生が言ってくれるのは凄い。

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「歌に集中しなさい」って言われそうですよね。

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そうそう。だから、テーブルコーディネーター教室も両方やりたいと思っているんです。今やっている盛り付けの教室も好評で。今、写真を撮る人が多いから、家で自分の料理を盛り付けたい人が多いんですよ。

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ーーあぁ、わかります。ぼくもコロナ禍で、家でお取り寄せグルメを盛り付けて撮る機会が増えて……。よく編集者に写真のダメ出しをもらって、頭を抱えていました。

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いいじゃないですか、それ、やりましょうよ。お取り寄せグルメをうまく盛り付ける教室。

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それ、すごくいいですね! 皆さんに「ポイント」をお伝えしています。

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ーージャズシンガー、テーブルコーディネーターにとどまらず、司会のお仕事もされていますよね。

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歌を始めてから司会の仕事を始めました。歌うときにどうしても喋ることになるじゃないですか。それがきっかけです。

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ーー元々、喋るのはお好きだったんですか。

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いえ、まったく。私は赤面症で、学校で当てられると顔が真っ赤になってしまうほど。それで、もっとトーク力が必要だと思って、司会の勉強を始めました。30代後半の頃ですよ。

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ーー本当に何でも「やろう」と思えば、想いがあればできるんですね。土地も年齢も関係ないんですね。


食空間コーディネーターを始めたきっかけ

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ーー社会人になりたての頃のお話を教えてください。

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東京へ行ったり、福岡へ行ったりしていた。嬉野へ帰ってきて「何をしようか」と思った時、小さい頃からお洋服がとても好きだったので「洋服屋さんがしたいな」と思っていたんです。でも、母に言うと「アンタの着てる服が嬉野で売れるわけないやん」と。

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ーーえっ、当時どんな服装だったんですか?

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全身、ギャルソンとか、ヴィヴィアン・ウエストウッドとか。

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ーー尖ってるなぁ。

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ファッション誌から出てきたような服装ですね。

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力が入りすぎた服装だったんですよね。自信が持てない自分を隠すように、武装してたって感じで。そんな頃に、友達から有田の街でテーブルコーディネートをやることをすすめられました。「絶対合うよ」って言われて。

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ーーそんなタイミングで出会ったんですね。有田で実際に目のあたりにしてどうでした?

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「すごいなこれは」と。今まで自分が習ってきたお花とかお茶とか、そういった全てのものをここに集約できるんじゃないかと思いました。「自分に合うかもしれない」と思って、習い始めたんです。

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有田でテーブルコーディネートが根付いているというのは、やっぱり焼き物をきれいに見せるディスプレイの仕方とかで需要があったんでしょうね。カタログをつくるときとか、どうしても必要になる要素でしょうし。

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有田はバブル期だったことも後押しして、テーブルコーディネートがちょっと流行っていました。既に有田にプロで活躍されている方が何人かいらっしゃったので、しっかり学べば自分でもできるかもしれないと思ったんです。

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ーー何年くらい習っていたんですか。

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24歳くらいから、14年間先生についていました。その14年間の間に、お仕事ももらい始めていましたよ。

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ーー14年ですか!かなり長期間ですね。

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お仕事が増え始めたのは、どんなきっかけからだったんですか?

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コンテストに出て、入選を続けてからですね。テーブルコーディネートって、都会では知られていたけど、実際はあまり知られていなくて。仕事をもらうには、賞を獲るしかなかったんですよ。

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仕事をもらいだしてからは、テーブルコーディネート一本でやっていた時期があったんですか?

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それがそうもいかなくて……。家庭の都合でお店を1軒切り盛りしないといけなくなって。洋服屋がしたかったのに、なんかラウンジみたいなところで。

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ーーえーっ。それ大変ですね。

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で、お店を見に行くと、円形のカウンターがどーんとあって。嬉野のお店にしてはかっこよかったんですよ。それで「このお店ならできるかも!」って思って。

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ーー切り替え早い。前向きに始められたんですね。

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お店は水商売の人じゃなくて、昼間に普通のお仕事をしている人たちがアルバイトに来てくれて。水商売の世界の人が誰もいないお店になったんです。

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へぇー! それは斬新ですね。

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だから、お客さんがとても多くて。当時、そのお店の切り盛りをしながら、テーブルコーディネートをしていたんですよ。

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それ全然寝れないんじゃないですか?

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もう本当、寝てないですよ当時は。昼はコーディネート、夜はお店。その夜に稼いだお金があったから、コーディネートもできたんですよ。6年くらいやりました。子育てしながら。

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ーー子育てしながらですか!想像を絶しますね……。

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そこまで熱中するほどの、テーブルコーディネートの魅力って、どんなところなんですか。

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テーブルコーディネートって、影の仕事が多いんですよね。つくるまでいろいろ考えたり、商品を売るためのコンセプトを練ったり、コピーライト考えたり、使う器を考えたり。テーブルコーディネートのことだけを考える時間が長く続くんです。そういう時間も楽しくて。

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荒木眞衣子さん公式サイトより

ーー目立たないところで、地味な作業がたくさんあるんですね。

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私は1から物を作るのではなく、既存のものを組み合わせるのが得意なんですよね。影の調整役だと思っています。

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ジャズシンガーとなったきっかけ

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荒木眞衣子さん公式サイトより(photo:Yasuhide Muto)

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ジャズはテーブルコーディネートを始めた頃から、並行してやり始めていたんですか?

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いや、まだ当時はやっていなくて。

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音楽活動自体、それまでは全然やっていないんですか?

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音楽はやってなかったんですけど、学生時代はバンドブームだったり、周囲にパンクスが多かったので、影響は受けていて。私はファッションパンクでした。

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ーーまさかのパンクですか。

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私たちの世代って、今みたいに自己表現の手段がたくさんないわけですよ。私たちの世代だと、ちょっと目立とうと思うとヤンキーかパンクしかなくて。

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表現方法がね。笑

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ーーそんなことないでしょ!笑

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いやいやほんとに。たとえば、当時に今のようなオタク文化が発展してたら、わたしはゴスロリとかしてたと思う。

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ーーなぜそんなに自己表現を追い求めたんでしょうね。

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なんでしょうね。弱さと強さが入り混じって、自分を過大にかっこよく見せたいもんだから、妙なオーラが出ちゃってたんじゃないですかね。

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当時、やる気に満ち溢れていたんでしょうね。

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怖いものがなかったのかも。今はもう、いろいろ世の中の仕組みがわかっているから。当時は自分の世界だけでいいですしね。人生経験とともに、カドをとってもらいました。笑

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ーーどこからジャズシンガーの道が始まったんですか。

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サックスをやっている同級生から誘われて、結婚式のときにジャズを歌ったのがきっかけですね。そのときに「Fly me to the moon」とかを歌いました。

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歌ったときに「これをやりたい」と思ったんですか?

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そうですね。もともと歌うことは大好きだったんですよ。中学の頃から、本当に音楽が大好きで。朝昼晩にテーマを分けて選曲して、カセットテープをつくっていました。

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師匠にあたるのは、ウィリアムス浩子さんですよね。浩子さんとは、どこでお知り合いになられたんですか。

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とあるホームパーティで知り合いました。お会いする前にネットで調べたら、歌唱力がものすごくて。当日はノンマイクで歌われたんですけど、それがもう本当に凄すぎて。そのときに仲良くなり、すぐ教わり始めました。2012年からの関係です。

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それぐらいから、自分の歌唱をもっと伸ばそうとやり始めたんですね。

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浩子さんの歌への向き合い方にすごく共感しました。それで、自分の今後の指針が決まったんです。人が違えば歌は違うけど、想いに関しては浩子さんと同じような「歌わせていただく」という気持ちで臨みたいと思うようになりました。

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空間ごと楽しめる音楽イベントをやりたい

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ーー荒木さんがこれからやりたいと思っていることを教えてください。

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音楽だけじゃなくて、コンセプトを掛け算したライブをやりたいんですよ。音楽だけ見て帰って終わるのに自分が少し飽きちゃっていて。空間ごと楽しめるものをやりたいんです。

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いいですね。音楽だけじゃなくて、その時間を過ごしたいっていうね。

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そう。時間をまるごと包み込んで、「どうぞ」って渡したい。

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海外のジャズフェスとか、それに近い感じかもしれませんね。ジャズ好きの富裕層の人たちがバカンスに来て。街がまるごとフェスになってて、至るところからジャズが聞こえてくる。ホテルに滞在しながら、その1〜2週間をただ楽しむ。

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そう! 音楽だけじゃないのがやりたいんですよ。

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日本のライブって、アーティストを見に行くだけに近いですもんね。べつに知らないアーティストでも良くて。

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音楽があって、気持ちいい空間があればいいなって。空間のコンセプトを決めてやるっていうのをやりたくて。

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ーーアーティスト目当てではなく、空間目当てで行く音楽ライブって、いいですね。音楽はよくわかんないけど、空間が好き、とかも成立するという。ぼくみたいな、おしゃれじゃない人も行きやすいです。

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こういう仕事をしてきたからかもしれませんが、「おしゃれ」すぎるのにも飽きてきていて。「おしゃれ」も大事だけど、それ以上に地域色とか。

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気を抜く部分がないとね。緩急が大事ですよね。嬉野でやるとしたら、夜はスナックがライブ会場ですかね。足湯でかっこいいギター弾いている人がいると思ったら、有名なジャズギタリストとか……。

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ーー面白いですね。笑

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やる側もお客さんも自然に楽しめるものがいいですよね。それ、ちょっと企画しましょうよ。

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ーーなんか面白そうな話がどんどん出てきますね。今回の対談がきっかけで、何か新しいものが生まれるといいですね。本日は貴重なお話をありがとうございました!


想いがあれば、やりたいことはできる

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※撮影用にマスクを外しております

経歴やプロフィールを読む限り、荒木眞衣子さんは、やりたいことがいくらでも溢れ出てくるようなギラギラした人なのかと思いましたが、実際はとても柔らかく温かい雰囲気の女性でした。

人と人との出会いの中で、自然に見つけたご自身のやりたいことと、しっかり向き合っているからなのかなと思います。

インターネットを活用することで、自分自身のアピールもしやすくなりました。今では住む場所、年齢も関係なく、やりたいことがやりやすい世の中になりました。もっと、自分のやりたいことに実直に向き合い、いろいろな仕事へ貪欲に挑戦する人が増えてもいいのかもしれません。

いくつになっても、やりたいことと向き合う荒木眞衣子さんのデビューアルバム「Cherish」。ぜひ、聴いてみてほしいなと思います!

「嬉野温泉 暮らし観光案内所」次回もご期待ください。


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