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歳を重ねることを楽しめるようになってからが、本当の勝負。
先日、鳥取在住のフォトグラファー・藤田和俊さんとカレーランチをしてきました。
近況報告を中心に色々とお話をしたんですが、その中で藤田さんから「顔つきが変わったよね」という言葉をかけていただきまして。
その言葉を聞き、咄嗟に僕の口から出たのは「前よりも歳を重ねることが楽しくなったんですよ」という言葉です。自分で言っておいてなんですが、素敵な言葉だなと感じました。
というわけで、今日は『歳を重ねること』をテーマに書いてみます。
大人になるのが怖かった20代前半
共感してもらえるかわかりませんが、20代前半の頃の僕は、とにかく大人になることに怖さを感じていました。
ご存知ない方もいるかもしれませんが、『23歳で人生が終わるつもりで生きる』と自分勝手に過ごしたことも、大人にならないで済む安心感を欲していたからこその自己表現だったんだろうと、今振り返れば腑に落ちます。
そして、25歳になった誕生日に書いたブログには、こんなことも書き残していました。
正直に言うと、25歳になんてなりたくなかった。
25歳ってだけで、ちゃんとした大人を演じなきゃいけない。
25歳ってだけで、ちゃんと社会に適応していかなきゃいけない。
そんな強迫観念みたいなものを強く感じてしまうから。
(そんなわけないんだけど)
ちゃんとした大人になんてなりたくないし、ずっと永遠に14歳のまま厨二病を患っていたい。
なぜこんなに恐れていたのか。
それはきっと、自分の中で “どう生きていけばいいのか” という指針が無かったからなんだろうなと。『大人になる』という暗闇に向かって漠然と歩いていかなければならない感覚が、僕に恐怖心を抱かせていたんだと思うんです。
遠くが見えるようになってきた20代後半
でも、酸いも甘いも経験を積んできたいま、ようやく光が見えてきた気がしています。
どうすれば自分がツラく感じるのか、どうすれば人が喜んでくれるのか、どんなことを自分は求められているのか、どんなことを人にしてあげたいのか。
この社会で自分の軸を持ちながら歩いていくための指標が、おぼろげながら見えてきた。それが、20代後半の今なんだろうなと。
真っ暗闇の中で足元だけを見ながら進むしかなかったところから、行きたい場所への道筋を高台から確認しながら一歩一歩進んでいけるようになった。
その感覚を得たからこそ、歳を重ねることでもっと広く遠い世界まで見える楽しみを感じているんじゃないかと思います。
歳を重ねる楽しみを感じ始めてからが本当の勝負
だから、今の僕は 30代 に突入するのが楽しみでなりません。
28歳になった誕生日のブログで『残りの20代の期間はしっかりとした自分の器を大きく育てていくことに意識を向けよう』と書きましたが、この言葉通りに土台を築いた30歳の僕がどうなっているのか、今から自分で自分に期待してしまいます。
だけど一方で、経験を積んだからこその危うさもあると思っていて。
それは俗に言う『慢心』の部類のことだと思うんですが、ここまで出来るようになったからと、自ら成長する意欲を無くしてしまうのだけは絶対に避けたい。
だからこそ、心に刻みつけていたいのは「自分とした小さな約束だけは凛として守り続ける」ことや、「挑戦なき評論家になっていないか?」と自問自答を繰り返し続けることだったりします。
そして、それが本当に難しい。
きっと歳を重ねる楽しみを感じ始めた『今から』が、人生においての本当の勝負なんだろうなと。
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今日の記事は以上です。
自分に負けない日々を、これからも積み重ねていこうと思います。
では、またあした〜!
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