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人にはそれぞれ、役割がある。
30代の背中が見える年齢になり腑に落ちてきたことがあります。それが『人にはそれぞれ役割がある』という当たり前な気づきです。
今日はそんな話を。
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20代前半は「誰でもない誰か」に憧れた。
思い返すと、10代後半から20代前半の10年間は『誰でもない誰か』になろうと必死だった気がします。
自分は天才だと思いたくて勉強に明け暮れた大学時代も、一度の人生だからやりたいことだけをして生きてみようとした大学院休学時代も、自分で事業をしていることにドヤっていたカフェ経営時代も、姿なきロールモデルを追いかけることだけを考えて生きていた。それが傲慢だったあの頃の僕だったりします。
世界中に70億の人が居ようが、世界にたった1人になろうが、目指す先は変わらない。『誰でもない誰か』になることだけを目指していたんだろうなと。
人との関わりの中にしか『自分』はない。
でも、鳥取で経営したカフェを閉めて肩書きのなき自分に立ち戻ったとき、誰でもない誰かの中に自分がいないことに初めて気がつきました。(そして、このとき僕は鬱っぽい状態になりました)
そんな僕の大きな契機になったのは、熱海に生活の拠点を移すと決断したことだったりします。
この記事の中でも触れてますが、当時の僕にとって最も嬉しかったのは『必要とされてる感』でした。ほかの何よりもその感覚が本当に重要で必要だったのだと今になればよくわかります。
ほど良く距離感の近い熱海の街に住みながら、人との関わりの中で徐々に【自分の役割】に気づいていく。そうやって自分の役割に気づく感覚からしか『自分』は見つけられないんだろうと実感を深めているこの頃です。
自分のことばかり考えていると鬱になるし、他人のことばかり考えていてもツラくなる。
以前『隠居系男子』というブログで「自分のことばかり考えているから鬱になる。」という記事がアップされていました。
2年以上前に書かれた記事なのに未だにツイッターではシェアされ続けている神記事のひとつでもあり、まさにその通りだなと強く感じさせてくれる記事でもあります。
でも、(この記事に反論するわけではないですが)他人のことばかりを考えていてもツラくなるんじゃないかとも思うんです。
僕のように「結局自分のことが大好きなタイプの人間」は、特に自分ではなく他人のために尽くそうとすれば、その分だけどこかに無理が生じてくる。
だから、結局はどちらが正しいという話ではなく、自分に合ったバランスを見つけることが重要なんだろうなと。
そして、きっと、そのバランスは『人との関わりの中で見出される役割』を実感しないと見つけられないんだろうなと思います。
自分の役割に気づくためにどうするか。
では、自分の役割に気づくためにはどうしたらいいのでしょうか。
現時点での僕の解は3つです。
まずは「丁寧に、大切に、1対1のコミュニケーションを積み重ねよう」とすること。
その上で「やっぱり、一緒に働く人の「幸せ」を一番大事に考える」こと。
そして、それでも「負けずに“ココ”に立ち続けたい」と思える何かを持つこと。
きっと、この3つを愚直にやり続けていけば、自ずと自分の役割に気づけるんじゃないかなと。そうやって「自分とした小さな約束だけは凛として守り続ける」ことこそが大事なんだろうと思います。
僕はそう信じて、これからも淡々と続けていくつもりです。
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今日の記事は以上になります。
読んでくださった方の中で、何かしらの気づきが生まれると嬉しいです。
では、またあした〜!
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>> 世の中には「すぐわかるもの」と「すぐわからないもの」の二種類がある。
>> うまくいかないタイミングを潔く受け入れて、ストンと腑に落ちる瞬間が訪れるまでドシッと腰を据えて待てる胆力こそが、本当は最も重要なんだ。
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