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ナヨ、ハードボイルド。

「世界の終わりとナヨ・ハードボイルド・ワンダーランド」。無論、村上春樹さんの作品のタイトルをもじったものだが、これは私が大学生の頃に美術部で定期的に発行していた機関誌に寄せたエッセイのタイトルである。
どうも最近は昔語りが多くなって、自分でもどうにもうんざりするのだが、30年前と現在で変わらないことがあるとすれば、それはいま語ったとしても昔話ではないのかもしれない。

ハードボイルドという言葉を知ったのは、実はもっと前のことで、今から37年前、御年13歳の候(みぎり)であるから、いまよりずっと情報入手が困難な時代にしては早熟、といえばそうなのかもしれない。
そもそもハードボイルドの語源をたどれば、それはもちろん「固ゆで卵」のことである。それがどうして、あの「ハードボイルド」に転じたのか、軽くWikipediaで検索してみると、

「 転じて感傷や恐怖などの感情に流されない、冷酷非情、精神的・肉体的に強靭、妥協しないなどの人間の性格を表す。」(出典:Wikipedia)

ということだそうだ。

少し背伸びをしたくなり始める年頃であるには違いないが、当時の私にとって、フィリップ・マーロウのマチズモは、今であれば解釈に選択の幅が生まれるのであろうが、どうにも痺れるようなものがあったし、トレンチコート姿で振り向いたハンフリー・ボガートの渋さと言ったらなかった。生まれて一番最初に覚えた歌はジュリーの〝勝手にしやがれ〟という私だが、〝カサブランカ・ダンディ〟の歌詞にも登場するボギー様である。あれで『三つ数えろ』公開当時45歳だったというのだから、いまの私より5つも年下。その貫禄には驚嘆しかない(しかし実際あの頃の私からすると、小説の中のフィリップ・マーロウのイメージに比べて、ボギーはなんとなく顔の長いおじさん、という第一印象で、少しがっかりしたことをよく覚えている)。
あの有名なセリフ

〝If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.〟

も、ボギーの渋面から出た途端言霊になったのだろう。

そういうわけで、私の憧れたハードボイルドとは畢竟、ハットにトレンチコート、たばこの煙、バーボン、薄暗いバーカウンター、謎に満ちた薄幸の美女であり、そういった演出上の小物の数々のことであった。
男の中の男。そんな言葉がまだ存在した時代だ。しかし同じ時期、たまたま読んだ生島治郎さんの本の中で、吉行淳之介その人こそハードボイルドである、というようなエッセイを読んで、ハードボイルドのイメージが一変したことが忘れられない。スラッとして、しかしどこか柳のような繊細さもある白面の美男子。麻雀に勤しむも「腕は強くも弱くもない」という中途半端で、争いごとは大嫌い。喧嘩の腕もからきし弱く、揉め事があるとスッと姿を消す「逃げの達人」で男らしさの欠片もない。それでも、男性も女性も彼を放っておかないのは、根っこにある優しさやさりげない気遣いがあるからで、そういう吉行淳之介こそ、実はハードボイルドその人なのだ、というのだ。

それが真実かどうか分からないが、当時私が知っていた吉行淳之介のイメージがハードボイルドという言葉と結びつかず、ああ、ハードボイルドというのは、タフで、無骨で無口な佇まいに諦めと優しさを滲ませる、不器用な男らしさといった一面的なものではないのだもと、そのとき改めて背伸びすることの難しさ、大人の不可解さに混乱したものだった。 

寄り道が過ぎた。それで、タイトルに戻るのである。吉行淳之介の作品を懸命に読んだ覚えはあまりなく、文学少女だった母に借りた何冊かを、課題をこなすように読んだような記憶しかない(我が家では、18歳になるまで三島由紀夫、太宰治、坂口安吾、谷崎潤一郎らとともに吉行淳之介の作品も禁書の類であったように思う)のだが、実際に自分が成長していくにしたがって、この吉行淳之介的なハードボイルドの意味がわかるようになり、実は自分自身が憧れてきたあのハードボルドではなく、こちらのハードボイルドのほうがより私自身にしっくりくるような気がしてきたのだ。

それこそ長じては、中二病をこじらせたようなところがあり、いつも哲学的な思索から抜け出せない、遊びは知っている雰囲気の割に一番面白くないカタブツと呼ばれた私であった(実際には茶道を嗜み、アフリカン・アメリカンの音楽を評せば玄人、美術も能くする遊び人であったとは思うのだが…)が、それが人としての責務であると自分に言い聞かせていたと同時に、心の何処かで優しさということに本来的に敏感であったようには感じる。

これまた見かけによらずケンカはまったくダメ。武勇伝のひとつもなく、危ないニオイがしたら一目散にいなくなる。男気なんてものはこれっぽっちも感じさせない。痩せっぽちで腕っぷしも細く、愛想はいいが、気がつくといつのまにか一人でいることが多く、あいつどこいった?といつも言われてしまう。
決めつけや頭ごなしを嫌い、のらりくらりとしているような私であるが、自分の中にある芯だけは、雨が降ろうが槍が降ろうが、たとえ自分が損をしようが何かを失おうが、囁きにも脅しにも絶対に屈しない。そういう頑強さはある方だと自分で思う。だから、ときどき緊迫して誰も決断できないようなときに、所謂あの「男気」らしきものを発揮したりして人を驚かせたりするが、本人にその自覚はさらさらない。少し熱して趨勢が決まれば、たちまちいつもの昼行灯に戻ってしまう。

そんな自分を、いつしかナヨ・ハードボイルドと呼ぶようになった。生島治郎が評した吉行淳之介のハードボイルドの域に到達している自信はないが、もし私がハードボイルドを標榜するならば、ナヨを付けるのが正直で良心的だと思うのだ。
そうしたわけで、しばらく雑誌のライターをしていた頃、自分の書いた原稿の最後、名前の左側にナヨ・ハードボイルドとか、〝和製ミスターセンシティビティ〟(私がナヨ・ハードボイルドだと勝手に評していたR&B歌手のラルフ・トレスヴァントのヒット曲名のもじり)などという肩書を添えていた。

私を鉄人だという人が周りにいる。私を脆弱だという人もいるだろう。そのどちらも当たっている。悪くない読みだと思う。だから私は、ハードボイルドと出会った昔もいまもきっと、ずっと変わることなくナヨ・ハードボイルド・ワンダーランドの住人、なのではないだろうか。(了)

Photo by ntnvnc,PhungNguyenPhotography,Pixabay


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