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1980年、中学三年生、広島の夏 ①

1980年08月06日、08:00、私は広島、平和記念公園のはずれに立っていました。当時、中学3年生だった私は、もっといろいろなことが知りたくて、夜行列車と各駅停車を乗り継いで一人で広島まで行きました。

私にとってアメリカという国は特別な国でした。理由は2つあります。

一つは、定期的にアメリカから洋服やお菓子が届いていたからです。戦後まもなく、叔母さん(母の妹)は、女学院を卒業してすぐにアメリカ兵と結婚をしてアメリカに渡りました。その叔母さんから定期的に荷物が届いていました。学校やテレビで広島・長崎のことを知った私は、叔母さんがアメリカ人と結婚したということが不思議でなりませんでした。

もう一つは、私の父の実家が横須賀にありました。横須賀にはアメリカ海軍の施設があります。私が子どもの頃の横須賀は今以上にアメリカ人がたくさんいました。それも体格の良いアメリカ人ばかりです。さらにそのアメリカ人は陽気で、子どもに大きな声で笑いながら話かけてきました。小学生だった私には脅威でした。

昭和50年代、私にとってのアメリカは、カラフルな服やお菓子があふれる国、陽気でごっつい人が住む国でした。でもその国の人たちは原爆を落としました。

子どものころ、アメリカの叔母さんが日本に来るたび、アメリカ人は怖くないのかと聞いてみようと思っていました。しかし、それは聞くこともなく、今日まで来てしまいました。

まだ、今のように情報があふれる前のことです。わからないことが多すぎた、私は、自分の目で広島を見ようと思い広島に行きました。高校三年生の8月4日のことでした。東京を23時過ぎに出発をする、夜行、大垣行きに乗りました。(つづく)

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