映画「シックス・センス」/人を信じるということについて
noteに「映画館の思い出②_眠れなくなるほど恐怖編」という記事を書いたところ、「シックス・センス」という映画が面白いから観るといい、とすすめられました。早速、レンタルで借りて観ました。おもしろかったです。今日は、映画「シックス・センス」と私の身の回りのことをあわせてnoteを書きます。
映画「シックス・センス」
「シックス・センス」という映画を観ました。シックスセンスとは、第六感です。この映画の主人公の少年には、死者を見ることができる、死者の声を聞く能力があります。映画は、この少年と少年をサポートする小児精神科医の交流を描いた内容です。
少年は、その特殊な能力から周囲の人々に「化け物」と呼ばれて孤立しています。また死者の叫び声に怯えています。しかし、その苦しみを母親にも受け止めてもらえず、一人苦しんでいます。その中で少年は、ひとりの小児精神科医と出会い少しづるに心を開き、小児精神科医もまた、少年を理解するようになっていきます。
映画の中で、少年の叫びが何度も登場します。「ボクを信じて」少年は、そう叫び続けています。少年は、嘘をついていません。本当に死者が見えています。死者の声に怯えています。その答えは、映画の中にあります。
信じるとは…
さて、もし自分の知人に「私には死者が見えます。信じてください。助けてください。」と言われたら信じることができますか。助けることができますか。私は、同様の相談をうけることがあります。
私は、社会福祉法人の理事長をしています。理事長と兼務で相談支援事業所の管理者をしています。その中でいろいろな相談を受けます。「死者が見える」という相談はありません。しかし、「怖い人が来た」、「悪い人が見ている」という相談はあります。共通するところは、本人が怯えているということです。
私の目に見えているもの、私の耳に聞こえてくること、それだけが真実ではありません。私には認識できないものを認識し、怯えています。私は、相談者の話を聴くとき、「怯えている」というところに着目して話を聴きます。
怖い人が入って来た
グループホームの入居者から、「怖い人がホームに入って来た」という電話がかかってきたことがあります。
以前、「〇〇さん(ホームの支援者)がいるから大丈夫だよ。」と言ってしまい、状況を悪化させたことがあります。利用者が、私に電話をかけてきたということは、私に助けを求めているということです。解決できるのは私です。しかし、常に私がその場に行くことは不可能です。
また、私がそばにいても「怖い人が入って来た」と言うことがあります。私には見えません。そのときも私が「大丈夫、入って来てないよ」と言ってしまい、状況を悪化させたことがあります。怖い人が入って来たのは、「ここにある家」ではなく、その利用者の「心の中」でした。
私も入れて…
怯えている人の話を聴くときは、最初から「大丈夫、入って来ないよ」と言わないことです。私は、話を聴きながら、どうやったら私も入って行かれるかを考えます。ある利用者のときは、話を聴き続け、話が止まったころで私の顔を思い出してもらい、私も中に入れてもらいました。
「〇〇さん(利用者の名前)、私の顔、覚えてる?、思い出して、顔の形は…、髪の毛は白髪が増えてきて…」そんな言葉をかけながら、利用者の中に入って行きます。中に入れたら、そこで怖い人を監視します。
ただし、すべての人が私を中に入れてくれるわけではありません。そのときは、一緒に怯えます。
映画の中で、少年が「ボクを信じて」と語りかけます。信じるということは、今その人がおかれている状況を肯定することから始まると思います。それが寄り添うことにつながります。
連続投稿1000日まで、あと93日。