アドラーフェストでの発表から/目的論と原因論
03月13日、オンラインによる第6回アドラーフェストで発表をさせていただきました。アドラーフェストはアドラー心理学を研究、実践する仲間が集まるお祭りです。
私の発表は、アドラー心理学を応用した障がいのある人の支援についての事例でした。特に相談支援における導入やふりかえりで、アドラー心理学の技法や思想を意識した対応をしています。その具体例について発表をしました。
昨日のnoteには、支援の現場ではアドラー心理学が受け入れられないことがあるということを書きました。支援者の中には、私がパセージで学んだことを実践して見せても、講座で学んだことを言葉で説明をしても冷ややかで否定的な反応をする人がいました。今日は、なぜ支援者の中にはアドラー心理学を基本とするかかわりに否定的なのか、その点について事例をあげて考察します。
目的論と原因論
アドラー心理学は、目的論を基本とします。目的論の反対は原因論です。原因論の立場をとるのは、精神分析学で有名なフロイトです。福祉の現場では、まだまだフロイトの原因論が主流です。学校で教わる一般的な心理学はフロイトが中心です。私もそうでした。
目的論と原因論の違いを実際の支援場面で説明をします。
原因論的な対応
たとえば、利用者がなにか間違ったことをしたとします。他の人を叩いてしまったりすることです。そのとき、支援者は「なんでそういうことするの?」とか「なにがあったの?」と問い詰めます。動機を聞き出そうとすることに重点をおいたかかわりが原因論です。
しかし、「なにが」とか「なんで」とか問い詰めても解決はしません。利用者は、なにを答えてもどうせ怒られるということを感づいています。もしくは、どう答えていいかわからず笑ってしまいます。そうすると「なに笑っているの」と怒られます。結局、怒られます。
動機を求めても解決しないのに、支援者は動機を聞き出し、注意をすることで解決した気になります。これが原因論的な対応です。
目的論的な対応
同じ場面を目的論で考えると「なにが」が「なにを」に変わります。利用者が他人を叩いてしまったときも、本人にとっては目的があります。それはその本人にとってみれば良くしようとする行動です。
もしかしてその環境が苦手なのかもしれません。相手と気が合わなかったのかもしれません。それを上手に伝えることができずに、限界がきて叩いてしまったのかもしれません。その目的がわかると支援方法が見えてきます。苦手な人同士が一緒になる場面を作らなければすみます。しかし、支援者にとってはその方が負担です。
目的論と原因論のちがい
目的論で目的がわかると、あらかじめその場面を作らないようにします。そこでは「予測」というスキルが求められます。原因論で原因を追究することは、大事故でないかぎり支援者が注意して終了です。とくに他のスキルは必要ありません。その方が簡単です。
これが原因論で考えた場合と目的論で考えた場合のちがいです。
目的論で考えると、支援者が利用者を注意する場面が減ります。しかし、利用者に対して謝る場面が増えるかもしれません。利用者同士でトラブルになったときは「ごめんね、間に入ってあげられなくて」と、声をかけます。
そのかわりに利用者は、注意をされないので安心してその支援者にいろいろな話をしてくれるようになります。アドラーフェストの報告を書き始めた最初のnoteに「利用者が変わった」ということについて書きました。この目的論の対応も利用者が変わったきっかけの一つです。
明日は、目的論をふまえて、アドラー心理学の技法と思想をどのように使っているかという事例を紹介します。