第2回 仮想論 (アドラー心理学入門より)
2018年04月12日から2018年06月07日にかけて、中野エクステンションセンターで開催された、向後千春先生の早稲田大学オープンカレッジ2018春講座、「アドラー心理学入門」全8回で学んだことを、障がいのある方への支援場面でどのように活用できるか報告します。
(Facebookに投稿した記事の転用です)
04月19日、2回目は仮想論についてです。
人は世界を自分の見たいように見ている。事象に対してはその物ではなく、その事象に対する意味づけに反応する。そしてそれは私的感覚というマイルールに基づいているという考え方です。
アドラーの基本前提の一つです。
さて、本日のお話を自分のフィールドにおきかえてみます。
障がいのある方への支援において支援者は自分のマイルールのみにたよって支援をしがちです。本来は、支援計画に基づいた支援がなされねばなりません。しかしその支援計画そのものが私的感覚のかたまりになっています。
支援者は常に利用してくださる方にとって良いことをしようと考えて支援しています。しかしその基準が自分の生活であったり、自分の生い立ちであったりします。つまりそれがマイルールです。
例えばAさんは落ち着きがない。にぎやかすぎる。もっと落ち着いて活動できるよう支援します。という計画があがってきます。
しかしここに絶対的な真実はありません。Aさんは落ち着いていないのではなく、支援者が座っていて欲しい時間にAさんが動きたいだけなのかもしれません。
逆にこの支援者はとても物静かな家庭に育っただけなのかもしれません。
今日は、見る人や角度によって異なる絵に見える事例を使った実験を行いました。有名なところではルビンの壺があります。一度、その絵が向き合った人の横顔に見えると、もう壺には見えません。
Aさんを一度、落ち着きがない、うるさい人だと決めつけてしまうと、何か目的があってソワソワしていても、Aさんは落ち着きがない人だという見方をしてしまいます。ちょっと何かを訴えただけで、いつもうるさいというふうに思われてしまいます。結果、支援者はAさんの本当の目的を見失ってしまいます。
またそうしているうちにAさんの障害はどんどん重たくなり、書類には「問題行動」という言葉が並ぶようになります。
障がいのあるAさんも自分のマイルールに従ってより良く生きようとしているということを支援者は知らなければいけないということを学びました。