大村はま「教えるということ」(教える技術 2回目より①)
01月09日(木)から早稲田大学のエクステンションセンター中野校で向後千春先生の「教える技術」が始まりました。今回もそこで学んだことを障がいのある方への支援場面で活用すること、また支援者の働き方改革への活かし方考えて書いていきます。
2回目は、認知技能の教え方でした。講義では、前回講義についての質問に答えたあと、記憶の仕組みについて説明があり、その後グループに分かれて、アフリカの国名を覚える、教えるワークを行いました。
講義の中で、向後先生から伝説の国語教師、大村はまさんの話がありました。大村はまさんの話は以前の教える技術でも取り上げられ、私は、そのときに文庫本を一冊買いました。それが「教えるということ」という本です。
大村はまさんは、明治39年横浜出身の国語の先生です。生涯に渡り、よりわかりやすい授業を実践するために研究を続け、独自の教材を作り教鞭をとってきました。大村はまさんは、本著において職業人として自覚を持って生きなさいと教えています。本の一節を引きます。
深い内省力、本当に良い仕事をしているかどうか、厳しく自己規制できる人、それが尊敬にあたいする人です。
本を読んでいて、ドキッとすることがいくつも出てきました。そのひとつが「静かにしなさい」という言葉です。私は、アドラー心理学や教える技術を学び始めてから「静かにしなさい」ということは言わなくなりました。利用者が私の話を聞くか聞かないかは、利用者が決めることです。それ以前に私の話は、聞くに値する内容だったかどうかが大事だということに気づきました。それについて大村はまさんは著書の中で、常に自分の方に目を返すことが必要だと教えています。
また、大村はまさんは著書の中で、指示を出すだけでは素人でもできる、「わかりましたね」と聞くとき、わからないことはまちがっていると思って聞いている。それはこの仕事に就いているだけで、世間から「良いお仕事ですね」と言ってもらえることにうぬぼれていると言います。
私たちも、障がいのある人の支援をしているということで「大変なお仕事ですね」と言われてきました。その都度、そんなことはないですよ、と言ってきました。でもそれは、私たちが楽しさよりも大変さばかりをアピールしてきたからなんだろうと反省をしています。仕事は大変が当たり前です。
最後にもう一節、大村はまさんの言葉を紹介します。
子どもに指図する、命令する、そういったようなことは、あまり先生の言うことばとして価値あることばではないのではないか。(中略)
やらないのはその生徒が悪いのだと言ってしまっては、本職を放棄したことになります。言ってもやらない人にやらせることがこちらの技術なのですから。