中国福建省、30年前の運転事情/中国ひとり旅 其の七
今年のゴールデンウイークもスティホームです。そこで30年前、23歳のときのひとり旅の写真をスキャンして思い出にふけっています。私は、ファミレスのバイトで中国から来ていた男性と友達になりました。その友達を訪ねて、中国福建省に行ったときの写真です。今日は、街の様子と当時の運転事情です。
昨日のnoteでは、福建省の動物園と遊園地について書きました。中国は、個人の自由旅行が禁止されていたため、私が出かけたときもまだ十分に観光地化されていませんでした。その分、街の喧騒とは違った静かさが残っていました。
まずは街の様子から
遊園地は、山の中腹にありました。トップ画の写真が私を運んでくれたバスです。このバスが出発した街の様子はこんな感じでした。
まず、街の乗り物を説明します。バスは遠くにいくための特別な乗り物でした。主流は、下の写真の乗り物でした。名前はわかりません。
後ろから見ると座席がわかります。
また、こんな乗り物も普通に走っていました。
街は、いろいろな音が混ざっていました。車のエンジン音、自転車のベル、必然的に人々の声も大きくなります。私は、この喧騒に疲れていました。友だちは、そんな私を静かな山の観光地、遊園地に連れて行ってくれました。
風光明媚な景勝地
目的地までは、舗装されていないくねくね道をバスで上って行きました。ガードレールも不十分だったと思います。
昨日のnoteをご覧いただくと、目的地の遊園地の静けさを感じていただけると思います。また、その遊園地は風光明媚なところでした。
この遊園地からさらに上に上ったところにお寺がありました。
この頂上にお寺がありました。場所がわからないのが残念です。私はその寺で、旅の無事を祈りました。
このとき、無事に帰れるかどうか不安になっていました。
30年前の中国の運転手
これはあくまで30年以上前の話です。行きのバスの運転手さんがとてもいい人でした。私の友人が、この運転手さんに私が日本から一人で来たことを告げました。すると、この運転手さんは大変喜んで私を特等席に座らせてくれました。助手席です。
道は狭くでこぼこ、窓の向こうはは崖でした。また、バスは道幅ギリギリで走っていました。
運転手さんは、運転しながら私に日本のことをいろいろ聞いてきました。車の話になりました。運転手さんが、私に車の運転をするかと聞くので、私は一年前に車の免許を取ったことを話しました。すると運転手さんは言いました。「そうか、日本人は免許がなければ運転できないのか…」
私は、不思議に思い運転手さんに「あなたはどうして運転できるんですか?」と聞きました。運転手さんは言いました。「車を持っているからだよ」
これは、30年前の話です。
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