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「本人主体」を「動きの心理学」で考える(アドラー心理学ゼミナール秋講座③)

2024年10月から月に一回、早稲田大学エクステンションセンター中野校で「アドラー心理学ゼミナール」の秋講座が開かれています。私は10年前から中野校でアドラー心理学を学び始め、最近はそこでの学びを自分の実践に重ねてnoteに記事を書いています。
まもなく1月の講座です。秋講座は1月が最終回です。その講座を直前にひかえ、12月に学んだことを実践と照らし合わせてふりかえります。

動き(Movement)の心理学

12月の講座では、アドラー心理学を「動き(Movement)の心理学」という視点で解説がありました。
動きがあるということの特徴は次の5つです。
 ①全体的であるということ
 ②目的的であるということ
 ③仮想的であるということ
 ④社会的であるということ
 ⑤創造的であるということ

①全体的であるとは…

心と体は一致している、言葉と行動が反するときは、その人が何を言ったかではなく、その人の動きがだいじであるということです。
また、行動とは異なる言葉(発言)は言い訳で、自己欺瞞として使われることがあります。たとえば、「行きたいけれど行かれない」というのは、本当は「行きたくない」それを「行かれない」と言うことで正当化しているということです。これが自己欺瞞です。
思い当たることはたくさんあります。会議の出席を求められたとき「ごめんなさい、出席したいけど、その日は忙しくて」というのはこの典型でしょう。

②目的的であるとは…

だいじなことは、その動きがどこに向かっているかということです。私たちは、ライフスタイルに基づく自己理想に向かって行動します。相手を理解するためには、その人の向かう先に関心を持つことが求められるということになります。

③仮想的であるとは…

私たちは、社会を自分の都合のいいように見ています。議論をすると「そもそも」とか「一般的には」と前置きをしてから話始める人がいます。しかし、それはその人の私的感覚(プライベートセンス)の中での常識です。
人は社会的な存在のため、他者と交渉し合意することが求められます。そうすることで私的感覚(プライベートセンス)を共通感覚(コモンセンス)にしなければいけません。

④社会的であるとは…

人は常に社会に居場所を求めます。周りの人にどのように受け入れられるかが重要で、役割や居場所がないと不安になります。最近はリアルだけではなく、バーチャルにも居場所があると説明がありました。

⑤創造的であるということ

私たちは自分の人生の多くを自分で決めることができます。自分で決められないのは、遺伝子と環境です。それ以外は自分で決めることができます。自分で決めることができるということは、私たちの動きは創造的であるということになります。

「支援」という視点で考える

私は、障がいのある人たちが利用する社会福祉法人の理事長兼相談支援専門員をしています。私の仕事は「支援」です。この「支援」においてはアドラー心理学を基本とする考え方が大切だと思っています。そこで、実際の支援場面を「動きのある心理学」の視点で考えます。

支援場面では…

障がいのある人(利用者)の支援をしていると、本人の言葉と行動が異なることがあります。たとえば、外食で「ラーメンが食べたい」と言ったのに、料理が運ばれてくると「イヤ」と言って、食べなかったり他の人の料理を食べてしまうということです。このとき、支援者は「ラーメン食べるって言ったよね」と、利用者に言います。また「自分で頼んだのだから頼んだものを食べなさい」と責め立てます。また、このやりとりはいつものことで同じことが繰り返されています。つまり予測できるということです。それなのに支援者は、その場で利用者が言ったことだけを取り上げてそれがその人の意思と決めつけます。支援の大原則は「本人主体」だからです。ただし、この場面では支援者の自己欺瞞です。

他にも支援者の指示に対して、利用者が「わかりました」と言ったあとに、支援者の指示と異なる行動をとることがあります。すると支援者「わかりましたって言ったよね」と立腹します。しかし、その利用者のアセスメントでは「言葉によるコミュニケーションが不十分である」と確認がされています。それでも、支援者は言葉による受け答えを重視します。

利用者の行動が、支援者と約束したことと違うということはよくあることです。支援者の望み通りに利用者は動きません。利用者には利用者なりの目的があります。しかし、支援者は「こうあるべき」という自分の理想、仮想的社会の中に利用者を押し込めようとします。これにより、利用者は自分の社会ではなく、支援者の社会の住人になっていきます。そのため、利用者の中には自由が効かず、大声を出したり、飛び跳ねたり、人を叩くなど不適切な行動に出る人がいます。そのとき支援者はそれを問題行動と呼び、さらに制御します。この繰り返しの中で利用者の人生は支援者の創造の産物になっていきます。

まとめ

支援者の研修では「本人主体」という言葉が必ず強調されます。しかし「本人主体」は大原則なので、研修でそこを深堀することはありません。そのため支援者は、利用者本人の言った言葉に引っ張られてしまったり、支援者が思う「本人のため」という仮想的な視点が「本人主体」に置き換わってしまうのではないでしょうか。

あらためて、利用者の動き、それは自分の人生における創造的な動きであるという見方をしなければいけないと感じます。

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