「屈託のなさ」が身につくまで
久しぶりに「熊猫堂 Produce Pandas」の動画を観た。新曲だろうか。
ちょっとメンバーの皆さんが大人になった気がする。
多分ビジュアルを見たのは3年ぶりだから、そんな感慨も当然なのか。
プラスサイズの男性アイドルグループとして日本のゲイにかなり人気だったと思うが、私自身は市場的にそんなことが成立するという驚きと、プラスサイズのアイドルという「自己肯定感」イメージに圧倒され、その面で強い関心を抱いていた。日本で2021年に発売された「emo」というタイトルのCDをすぐ買って(店頭で C-Pop の棚はどこですかと聞いたら、この一枚しかないと言われたのが印象的だった)、ドライブ中に聴いていた――それで満足していたから、近況を追いかけずにいたのだ。
「自己肯定感」と書きはしたが、もちろんそれは演出されたものでもあるだろう。彼らは「プラスサイズのアイドル」という仕事をしているのだし、彼ら自身の自己肯定感がどうかという話は関係ないものとしてある。しかしどうあれ彼らは「プラスサイズの男の子たち」の愛らしさを確かに肯定する存在であって、それは多様化といわれる現代にあっても、日本で暮らす私には特別なものとして映っていたのだった。
上のような反応は、太目の男性に対する(あるいは男性全般かもしれないのだが)お決まりの「型」であり条件反射的な「笑い」であるから――この点に証明が必要だろうか?――伝統的な習いとして「コミカルなもの」として提供されるときに「コミカルなもの」として受け取ることは、ある意味自然なことかもしれない。しかし現代的な感性でそれもまた「美」として取り上げ直されるときも、先ず何がプロデュースされているのか考えてみることをせず「嘲笑」という直結的な反応で迎えることは、状況の変化に対する適応としてはやはり不全であるという気もする。生物としての疑問というか。
そもそも何かの条件下で他者/自己を嘲笑しなければならない決まりがあるとしたら、それはあまりにも息苦しいことではないだろうか。
プラスサイズの男性アイドルである彼らは、日本では危うくコミックリリーフとしての役割を押し付けられそうなところを、しなやかに回避しているように見える。それさえ作られたイメージに過ぎないのだろうか?
しかし私の憂慮をよそに、彼らは私が知らない3年間で日本公演も果たしていたらしい。マジか。特にメンバーの Otter 君は日本の「クレヨンしんちゃん」が大好きだという話だから、来日を楽しんでくれたかもしれない。
彼らの魅力を考えてみると、それは「屈託のなさ」である気がする。「笑われないこと/笑わなくてよいこと」と価値観が刷新される段階には、大号令に加えて古びたものについての禁止が必ずあるものだろう。自然発生的な「感性」を守るときにさえ、そうした段階は必要かもしれない。しかし解放のための禁止は、解放させまいとする力の禁止である点を考えてみれば、そうした禁止は歓迎できる――なぜなら彼らの「屈託のなさ」は、容姿的な囚われから解放されたとき、つまらない価値観から脱したときに、今よりずっと多くの人々が笑顔になる光景を想像させるからだ。
自分のアイドルをもたず「推し」文化を理解しない私が、なぜ長々とこのグループの話をしているか明かせば、昨日ある友人と、彼自身のコンプレックスについて言葉を重ねていたからだ。彼は「モテないから」と言うのだ。それは状況ではなく(彼はモテないのではない)セルフイメージの話だったから(彼は自己受容度が低いかもしれない)私は真剣になったし、思い込みを修正できないかと躍起になりもした。それで疲れていたのだ。いつも自尊感情は私の大きなテーマである。私はそれについての活動家だったのだ。ひっきりなしに人々は行き交い、私の前で傷を見せては立ち止まりもせず歩み去る。私はいくつも背中を見送ってきた気がしている。彼らは言いつのる私の言葉を聞かず否定する。対話は多くの場合そんな風に終わる。私は言葉の無力さについて、自分がよく知っている、と思う。
価値を削られ、自分を認められなくなった人に届く言葉はなかった。
私にも人並みにコンプレックスはある。容姿についても他のことでもそうだ。しかしどうやら彼らと私はちがうらしい、ということも感じている。それはなぜなのか。思うことは、私がもしある基準で自分を責め苛むなら、私はその同じ基準を他者に適用し、その心を切り刻むということだ。私がそうしようと思わなくとも、人は私が私自身をどう扱うかを見て学習する。だから基準はないことが理想だし、私は絶対に自分を「も」貶めてはならないのだ。その一面をみて人々が私を優しい人物と評価するなら誤りである――私は行動の意味を理解した上で目的的に闘っているのだ。幸せのコインが誰かに引き継がれ、また別の誰かの手に渡るなら、私は屈託ない笑顔だけみせて今日を生きられる。ほかに何もすることはないだろう。
熊猫堂 Produce Pandas 「不例外 ― Victims ―」