見出し画像

どんなラララ(週記:2025/01/18)

鬼は心に棲み、心に育つ。そんなラララ。


子鬼の小袋(豆富本舗)

 なんだめちゃくちゃ可愛いセットだなあと。

小さい子がいる同僚にあげた。有名インスタグラマーとしては画像を撮影すれば用はねえんだぜ

 べっこう飴かな、足跡のカタチ。かわいい金棒、お面、豆、いろいろ。鬼を家から追い出すのではなく、子鬼ちゃんになって楽しみましょうという感じなのだと思う。こういうのに弱い。年齢なりに、普通におじさんになった

700円くらいだった

「ボクのお父さんは桃太郎というやつに殺されました」

2013年度新聞広告クリエイティブコンテスト最優秀賞

一方的な「めでたし、めでたし」を、生まないために。
広げよう、あなたがみている世界。

山崎博司

どのエピソードにも胸をえぐられる、ペプシ「桃太郎」CM。

 覇とは。統べるとは。ジュード・ロウとは。


webではお取り扱いがございません

 岩波ジュニア新書の「詩のこころを読む」。特装版(画像右)が出ていたのを知らずにいて、紀伊國屋書店で「おっ」となった。探せば家のどこかにあるのだけど、つい購入。岩波新書風。ただし(後から知ったのだが)これは書店でしか買えないそうで。結論:「買って正解だった」

岩波シニアも楽しめる「岩波ジュニア新書」ロングセラーの特装版。二重カバー仕様です

 そうそう、おかもんさんが紹介されていた「住所とギョウザ」という詩は、おれこっちの本で知ったんだよな。でもこの詩が「恋愛詩集」に収められているのは、納得できるけど驚く。驚くけれど、納得している。リイ君、おれが好きだったか――この詩は自分の子ども時代の、訪問したろう学校での経験を思い起こさせる。いつか書こうとしながらずっと書けないあの話。


webでもお取り扱いがございます

 「詩のこころを読む」と一緒に購入した、歌集「ラインマーカーズ」。もちろん福田尚弘さんに感化されたのだ。「真夜中の大観覧車にめざめればいましも月にせまる頂点」、ああいいですね、「夜中に遊園地が営業してるか」とか「観覧車に乗ってすぐ寝るってある?」とかどうでもいいんだよ。ロマンチックだよ。きっと田中章義系だ。絶対おれが好きなやつ。

 読み始めて「あれ、思ってたのとちがう?」って思った。福田サン……?

「酔ってるの? わたしが誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃないかな」

「ラインマーカーズ」

 いずれに致しましても豚じゃねえか。だがまあこれくらいなら、「こういう失言で一生恨まれるんだよなー」ってヘラヘラしながら読んでた。でも、「脱走兵鉄条網にからまってむかえる朝の自慰はばら色」って何? 分かんねえよ、何からの脱走なんだよ何でマスかいてんだよ。「後ろ手に縛ったおまえの瞳をみれば 潜水艦に満ちる音楽」は、視覚的に興奮して海綿体(潜水艦)が充血した(満ちる音楽)ってことでいいのだろうか。深く静かに潜航せよってか。やかましいわ。歌人穂村弘はほとんど変人にみえる。俵万智が世間をあっと言わせたときの驚きともちがう。あの、恋は現代語で詠んでも歌であった、人はずっと恋を詠っていたのだと現代人に知らしめた事件(サラダ記念日)の裏で同じように短歌で穂村弘がやってきたのはナンセンスか、諧謔か、共感の拒絶か。思わず「人はなぜ理解しようとするのか」とまで考えてしまった。だって、穂村弘は「本当のおかっぱにって何回も云ったのに、意気地なしの床屋め」と詠むんだよ。人は共感を拒むココロにさえ、共感しようとする――ホラこうして考え始めたことが既に。そんなことを「金曜に仕事を休んでやったぜしめしめ何しよう」とクランツを買いに行く電車のなかで考えていた。本当にね、「ここでの鉄条網プレイがばら色で薔薇色でもバラ色でもないのには意味があるんじゃないか」とか悩み始めるからね。おれバーカ、意気地なし。「はい、と頷いて、しばらく考える、イエーイの方がよかったかしら」――そうだね、穂村弘イエーイ。

 どれほど優しい口調でも、どれだけ開いた言葉でも、それが理解を待って差し出されたとは限らないのではないか。現代人は「ハイハイこれ系ね」と言うために待ち構えている。でも「俺系」なんていう「俺」はねえのよ。


バカやりたくて街をウロつく

 またクランツ売り切れてたのが天啓な気がして、もうちがう何かが必要なんだしちがう何かでいいんだよ、「思い出」の後に続くのは「ス」じゃなく「サナイ」でもいいだろ、節分くらいでいちいち胸をかきむしられるのやめろ、家族は死んだんだからと思って東武をグルグル。それでもまだ「思い出の」東武かよ、てめえのバカ家族は憐憫の入り込む余地もないほどクソだっただろうが。でもしょーがねーだろ池袋なんて東武(西口)か西武(東口)しかねーんだからとココロもウロウロ。なんかとんでもなく愚かでバカげたことがしたかったが夜の池袋を4時間歩き回ったところで何もない。いやそのうち1時間くらいはベローチェ池袋東口店でプレーンドッグ食って休憩してたし、歩き出せば裏道にヌード部屋なるものがあったりしてすごいなとは思ったんだが。だってヌード部屋て、ホラ割と全国的に令和だと思ってたからさあ。平成は「客だけ脱衣」とかあったじゃんか。で、いま令和なんだけど昭和に戻ったのか? 野生返りかな。若い頃、職場の人に連れて行かれたストリップ劇場……あったなあ。いつだってどこでだって誰相手だって馴染もうと必死だった――また思い出シテる。

 そういや isa さんがグラマシーニューヨークのケーキって言ってたなと思い出シタけどショーケースは空。アンジェリーナのモンブランは実はそれほど好きじゃない。……DEMELにケーキが残ってた。一個で1,000円近くするのって、買って来てポイッと捨てられたら村上春樹でもキレるレベルだな。あのう、一個だけでも買えますか。ケース撮っていいすか SNS の病なんすよ。


DEMEL トリュッフルトルテ

ハプスブルク家の紋章「双頭の鷲」が燦然と。こりゃそーとーな――いや今のナシでお願いします
見せ方を工夫しようとした努力の跡。この辺がね、トリ・ケラトプスがいた白亜紀ですねー

 海外のチョコレートってどれでも好きかというとそうではなくて、おれはベルギーチョコレートがそれほど好きじゃないしハーシーズを美味しいと感じたことがない。オーストリアのチョコは確か初めてだし、どうだろうなと思っていた。でもこれは(でかい塊を食べている間)ずっと最後まで美味しかった。これ参考になるかどうか分からないけど。ボリュームあるし濃厚だが、甘みをくどく感じることは一切なくて、むしろスッキリとした食後感であり、ひたすら「とても満足する」だけなのだ。美味しかったですね。
 王妃エリザベートの宿命を考えつついただく……なんてことはしてない。

 また食べたいかというと、機会があれば何度でも食べたいけど、これはそれくらい好きでしたという話であって、自分のケーキひとつに1,000円弱を払うのってなんかまだ抵抗がある、でも価値はちゃんと認めてる。大変美味しいし好きです。――こう書けばいいかな、おれはコージーコーナーで500円のカットケーキは買うけど、コージーコーナーで700円のカットケーキを買うのであれば、プラス数百円でこっちのトリュッフルトルテを買う(でも日頃はスーパーのケーキでも満足している)。消費者行動学的にはこれ、不合理の典型なのだろうか。でもウィーンを思い出すじゃない? 行ったことないけど。ウィーンに行って食べたら、おれ「ああこれ池袋東武で買った懐かしい味!」って思い出すんだろうな。ああいいよそれで、そこを悩むココロは持ち合わせてないんだ。どう経験として低劣なのかあなたが言いたいのであれば、あなたは早晩ウィーンより池袋が格下だと論じることになるだろう。だがまずおれの話を聞いて、おれが「池袋がウィーンより素晴らしい街だと空想することにも意味を見出さない」と知った上で、そのつまんねー話で時間をムダにするかどうか決めてくれ。それよりB’zの「快楽の部屋」(どんな部屋だ)に登場するチョコレートケーキについて所感があるなら、そっちの方がまだしも艶めかしいフレグランス。あれってどこの店のチョコレートケーキかな。コージーコーナーだったらおれ、稲葉好きになっちゃうよね。どうかなどうなの。


「名前を忘れたままのあの日の鼓動」MV

 大好きになった映画「アングリースクワッド」。監督が編集。あんがと。

 「気が利くじゃん」と一口かじり、「んー! しみるー!」と言う、「アンスクごっこ」をしたいがためだけに、アイスのパルムが常備された我が家。ただしおれがやると知覚過敏症のようである。見た目のかわいさって大事。これは自己卑下ではない。あんなキャップを被る奴は自己卑下しない。


記事をマガジンに追加していただきました①

K P 6 1 ◀非クリエイター 様のマガジン「BREAK THE BORDER」に、記事「『アイヌもやもや』は最高の教科書だ」を追加していただきました。心からお礼を申し上げます。被抑圧者サイドからの発信は今後こうなるという必然と新しさ、明らかな到達点がこの本にあって、優しい入口からの深み広がりに、いい本だなと。平易でありつつ志が非常に高くて「啓発」本の水準を上げた一冊と感じてます。誰も取りこぼさない視座をもって新たに語り始める「差別」の話は温かく、ここから後退しないように自分も頑張りたいと(ひっそり)決意した読書、襟を正して読んだ本でした。

「アイヌもやもや」

記事をマガジンに追加していただきました②

K P 6 1 ◀非クリエイター 様のマガジン「BREAK THE BORDER」に、記事「ごめん、そのビラはもらえない」も追加していただきました。選挙を前に某政党のビラを受け取ったはいいものの、運動員の「同性婚には反対するが差別はしてない」という発言に30分話し込み……という体験談を書いておりました。投げ出した「は? クスリでもやってんのか」という言葉、書いた時はそんな怒りもあったんですけど、後から読むと雑で、自分でハハハと笑ってしまいます。そういうことしなかった方なのにバッサリ切り捨てていて「むしろ正直だし健康的でいいかも」と思ったり。
 素敵なマガジンに追加ありがとうございます。

「当たり前に弱音を吐けるようになってはじめて弱者卒業なんだ」は大事に言い続けて参ります

記事をマガジンに追加していただきました③

月のしずく様のマガジン「創造と想像 (creation & imagination)」に、記事「夜ドラ 『上尾篇』」を追加していただきました。「創造性……大丈夫かなあ」と驚いたのですが、「頭が自由な51歳はひとりでナイトライダーごっこもできる」という(人によっては認めがたい)事実と、意気込みみたいのを買って下さったのではないかと「想像」しています。たどり着けてないので「探訪記」とタイトルに書けなかった事情もあり、性質上レポにならない記事である点をマイナスだと思っていたのですが、アップしてみるとそこに笑って下さった方もいて、とてもとても嬉しかったです。人生失敗していい。

ありがとうございました。またどっか行ったら書かせて下さい

記事をマガジンに追加していただきました④

HAYA様が運営されているマガジン「これは役に立つ、興味深い!と思った他のnoterさん記事」に、記事「夜ドラ 『上尾篇』」を追加していただきました。「受け身の大切さしか心に残らない記事だけど大丈夫かなあ」「ああ下調べの大切さも実感できるのかなあ」とハラハラしつつも、「一応、ひなびた共同浴場の書籍とかリンク貼ってるし」と心を落ち着かせています。
本件もそうですけど、HAYAさんには感謝してます。垣間見える安定感とお人柄が、真似できるわけではないにせよ、良い影響を与えて下さっているなと感じて。

マガジンの件もほかのことも感謝しております

記事をマガジンに追加していただきました⑤

K P 6 1 ◀非クリエイター 様のマガジン「BASAHIN MULI」に、記事「『アシンメトリー』嫌いで大好きな歌」を追加していただきました。恋人や伴侶のような(ドメスティックな)関係性において、思いが等分に吊り合うことも、相互理解ということも決して簡単でも楽でもないもので。すべからく相互「誤解」で関係は始まること、互いに分かり合えない部分があることをむしろ前提にして、相手とどう向き合っていたいのか心を定める連続なんだ、と思います。文中で問題視した一節は本当に「嫌い」なのですが、そんな人の不完全さを含めてラブソングのマジックが効いていて、「ああやっぱり良い歌だなあ」と感じます。ラブソング、良いです。「ふと読み返すnote文庫」であるマガジンに収めていただけたこと、大変嬉しく感じております。

考えさせられた歌について、また書いてみたいなと思えました。ありがとうございます

終わるものをおれは楽しめない

 「照ノ富士が引退する」と聞いてショックだった。ファイターとしての厳しい顔と、愛くるしい笑顔のギャップが好きで、決して相撲ファンではない自分ではありつつ、何だか声援を送りたいような気持ちで長い間、気にしていた。病気や怪我に悩まされ続けた苦労人だった。大関から序二段まで落ちたときは、「これで引退するのだろう」と思った。しかし照ノ富士は境涯から逃げず、そこから横綱まで上り詰めた。愛くるしかった笑顔は消えて。
 17歳までスポーツもあまりしたことがなかったオバケとカレーライスが嫌いなモンゴルの少年が、柔道を学び日本に渡り相撲の世界に入って、長かったようであっという間だ。白鳳と同様、帰化しても横綱になっても必ず「しかし日本人横綱が欲しい」と言われ続けた。まるで望まれず生まれて来た子どものように。
 「そうか、あんた辞めるのか」――ニュースが胸に痛かった。そうだよなあ、と思いつつ寂しかった。この後のことは、たぶん、おれは追わない。そういう性分なのだ。ただ、大関になった時かな、「君が代」が流れて。「モンゴル国歌も流してやれよ」と思ったなあ。両方流すくらいのことが何故できないのかと思った。元横綱「照ノ富士 春雄」、なんて美しく勇壮な名前だろう。日本の誉れを全て詰め込んだような、いい名前じゃないか。あんたの引退映像は見ない。感傷じゃなくて、ただ性分なんだ。泣く資格もない気がするしね――「ありがとう」と、それだけ。

いいなと思ったら応援しよう!