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地理旅#10「チベット編②~他者のために祈る」

赤がなびく聖地

チベットの聖地を求め、青蔵鉄道約2,000kmの旅路を経て、天空都市・拉薩(ラサ)へやってきた。富士山とほぼ同じ海抜3,600m,チベット自治区の政治的・文化的中心都市である。

駅舎を出て最初に目に飛び込むのは、中国の歴代国家主席が描かれた巨大看板。街中は中国語で溢れ、他の地方都市にもありふれた無機質な高層ビルがそびえている。拉薩では、1966年の文化大革命以降、9割の寺院が破壊され、チベットの原風景は2%しか残っていないとも言われる。

「西蔵開放」というプロパガンダとチベット仏教寺院に掲げられた五星紅旗(中国国旗)が異彩を放っていた。

なお、S美容外科はチベットの聖地にも進出したらしい(?)



主のいない宮殿

拉薩の象徴であるポタラ宮は歴代ダライ・ラマの居住と政府機能を担う場所であり、宗教的な聖空間でもある。

しかし、1959年のダライ・ラマ14世亡命後は、中国政府によって博物館として公開され、観光客が大挙している。見上げると、ポタラ宮のテッペンでも五星紅旗がなびいていた。

ポタラ宮を登って上から見下ろせば、漢民族の象徴ともされる「広場」が作られ、かつての湿地帯は大きく姿を変えていた。

今では、ダライ・ラマの肖像を持っているだけでなく、その名を公の場で口にするだけでも投獄されるという。現地ガイドのチベット人からも、決して政治的な発言は聞かれなかった。

かつての拉薩では、ジョカン(大昭)寺が町の中心であり、それより西にあるポタラ宮はやや町はずれという位置付けだった。

現在では、ジョカン寺周辺のチベット人居住域は旧市街、ポタラ宮より西に拡大した新市街は漢民族の居住域となっている。

新市街地には高層マンション群や戸建て住宅、レストランなどが林立しており、中国沿岸部に住む富裕層が夏の別荘として購入しているという。



秘境という幻想

1990年台までは、自治区政府は経済発展よりも政治的安定に力を注いでいたが、2000年以降は「西部大開発」の旗印のもと、中央からの資本や労働力が大量に流入した。そして、2006年の青蔵鉄道開通は、観光開発を一気に加速させた。

2015年には観光客数が年間1,500万人を突破した。ネオンがまぶしい市街地の四川料理レストランも大盛況で、従業員も客も漢民族が大半。なお、肝心の味はと言えば、文句なしに美味かった。

チベットの聖地は、もはや秘境とは程遠い姿となっていた。いや、青蔵鉄道で時間をかけて遥々やってきたことも相まって、身勝手に“聖地像”を描いていただけかもしれない。

いずれにせよ、映画で見たダライ・ラマ14世亡命以前の景色とは、現代の聖地・拉薩は全く異なる様相を呈していた。


他者のために祈る

大部分が観光化された拉薩の中で、熱心に祈るチベット仏教徒が訪れるのがジョカン寺である。ジョカン寺は、7世紀に最初のチベット統一王朝・吐蕃(とばん)を築いたソンツェン・ガンボ王の妃によって建てられた。チベット仏教の総本山であり、ポタラ宮と並ぶ聖地でもある。

2000年には世界文化遺産にも登録され昼間は観光客も多いが、早朝に訪れるとまるで別世界である。マス・ツーリズム的な雰囲気は排除され、ラマ(高僧)による読経の重低音が響き渡り、神聖な空気とバター灯明の薫りが漂う。五体投地を繰り返す仏教徒たちの聖空間となっている。

五体投地は両手・両膝・額の"五体"を地面に投げ伏して祈る、仏教でもっとも丁寧な礼拝の方法である。聖地・ジョカン寺を囲む八角街(バルコル)でも、五体投地を行う巡礼者がいた。生涯、10万回も行うとか。輪廻転生を信じるチベット仏教徒は、時計回りに聖地をぐるりと回る。

中には、氷点下20度以下の極寒の地を乗り越え、2,000km 以上の巡礼路をほぼ1年かけて五体投地で踏破するチベット仏教徒もいる。五体投地の巡礼では、とても大事にされていることがある。

他者のために祈りを捧げる。

正直なところ、僕には理解しきれなかった。せいぜい初詣に行って、「家族が健康でありますように」とか「試合に勝てますように」くらいしか“祈り”という類いのことをしてこなかった。ましてや「他者のため」だなんて・・・。

物心ついたころから、勉強やスポーツで「他者に勝つこと」ばかりを追い求め、いかに効率的にスキルアップをするか、そんなことばかり考えてきた。そして、努力を実らせて結果が出ると、優越感に浸って、コンプレックスを必死に隠すのだった。

・・・急に自分が小さな人間に思えてきて、その軽薄さに嫌気が差した。そんな心の機敏はお構いなしに、彼らは顔色一つ変えずに、そして穏やかに、お経を唱えながら五体投地を繰り返している。

時計の針が止まったような気がした。

変わりゆく聖都の中で、変わらない人々の心を見た。

 

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