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【詩】ブルーレイプレーヤーを偲ぶ会

五月十五日の、夜のことでした。二十年来の付き合いであったブルーレイプレーヤーが息を引き取りました。いつまでも元気に、これからもずっと動きつづけてくれると、信じて疑わなかった私にとって、こんなに残念で悲しいことはありません。
あなたが再生した最後の映像は、森田芳光監督の映画『模倣犯』でした。レンタルのDVDでした。藤井隆さん演じる高井和明が、部屋でコンデンスミルクのチューブを吸いながらイチゴを頬張っているシーンでした。
そこでプチン、と音がしました。直後、テレビの画面が闇へと落ちました。あまりに突然のことに、私も妻も何が起こったのか理解できませんでした。しばらくのあいだ、黒くなったテレビの画面をただ眺めていました。
リモコンを操作しても、本体の再生ボタンを押しても、映像は復旧しませんでした。よく見れば電源ランプが消えていました。動作音も聞こえなくなっていました。うんともすんともいわない、という状態でした。
慌てた私たちは、コンセントを抜き差ししてあなたの蘇生を試みました。しかしすぐに、もう手遅れであることがわかりました。

あなたとの出会いは、私がまだ世田谷の実家で暮らしていた当時までさかのぼります。ブラウン管テレビから薄型の液晶テレビに買い替えるタイミングで、あわせて揃えたのがパナソニックのブルーレイプレーヤーでした。あなたは、ディーガ、という名前でした。
四角くて、黒光りしていて、少し触るだけで指紋がついてしまうのがあなたでした。潔癖の気のあった私にとっては少し厄介な存在でした。私はいつもメガネ拭きの布で、あなたについた埃や、指紋や、手の脂など、そういった汚れをこまかく拭き取っていました。

あなたが最初に観せてくれたブルーレイディスクの作品は、私の大好きな映画『007/カジノ・ロワイヤル』でした。自宅で初めて体験するフルハイビジョンの映像でした。きめ細やかで密度の濃い、美麗すぎるくらいの画質を目の当たりにしました。シーンが変わるたびに声をあげて感動したことを、私はいまでもよく覚えています。
画質はもちろんのこと、その音の良さも格別のものに感じられました。私がそれまでに観てきた数多くのDVDの、圧縮された音声とは比べ物にならない、本当にクリアで聞き取りやすい音声に、私は心の底から感動しました。驚きの連続、とは、まさにあのことでした。テレビを買ったことよりも、あなたを買ったことのほうに、私の感銘はあったのかもしれません。ある意味では、自宅にあなたを迎え入れたことで、私にとっての世界は急速な広がりをもつことができたのです。

往年のフィルム撮影の映画作品の、豊かで深みのある色調。デヴィッド・フィンチャー監督の『ファイト・クラブ』や、圧倒的な視覚効果でVFXの新時代を切りひらいた『マトリックス』シリーズなどにみられる、陰影を意識した画面づくり。VHSやDVDでは再現できなかった、ブルーレイならではの、黒の部分の引き締まりかた。
新海誠監督や細田守監督の、デジタル技術を駆使して描かれた新世代のアニメーション作品。そのまぶしいほど鮮やかな色彩美は、フルハイビジョンの規格でこそ、真に享受できるものでした。ときは2000年代の後半のころでした。連日連夜、心ゆくまで高画質の映像を楽しむ、若き日の私がいました。

世田谷の実家を離れ、川崎のアパートに引っ越し、一人暮らしを始めたときにも、あなたとは一緒でした。実家では自分の部屋を持てなかった私にとっては、理想郷のような暮らしが始まりました。ときには大人向けのビデオでさえ、あなたは何も言わずこっそりと再生してくれました。あの日、東日本大震災の揺れのまさにその瞬間にも、私はあなたの機能を頼りながら、大好きなシリーズ映画『007/ロシアより愛をこめて』を観ていました。当時の社会状況とその作品の印象は、現在でも私の心に深く刻みこまれています。

私が社会人をやめ大学に進学する決意をし、飯田橋のマンションに移ってからも、あなたは日々たくさんの映像を観せてくれました。そのころの私は映像編集で副業みたいなことをして、収入を得たりしていました。当時はまだディスクでのパッケージ納品が大半でした。あなたは、その最終チェック作業の際にも、大きな活躍をしてくれました。
気づけばあなたは、公私ともに重要なパートナーとなっていました。思い返せばこのころから、本体の汚れを念入りに拭き取るようなことをしなくなった気がします。それは決して、あなたの存在を軽んじ始めたからというわけではありません。

予期せぬ転機で長野県に移り住んでからも。その後に結婚し、アパートを転々としてからも。あなたは環境の変化をものともせず、いつも安定して映像を再生してくれました。いつの間にか映像作家としてキャリアを積むことができた私が、ひょんなことから手作りの上映会を定期的に企画するようになってからも、あなたはしっかりと、その役割を忠実にこなしてくれました。かなりの初期型で、再生機能に特化したあなたの姿をみて「録画できるやつに買い替えたらいい」と言う人もいました。私はあなたの、シンプルでタフなところが、とても好きだったのです。

一度だけ運搬中にうっかり、砂利敷きの駐車場にあなたを落としてしまったことがありました。上映会を終えて撤収するときのことでした。もう夜もふけた暗い駐車場で、車止めにつまづいたことが原因でした。私は大焦りで自宅に向かって車を走らせ、コンセントをつなぎ、あなたの電源を入れました。トレイ開閉のボタンを押すとあなたは、何事もなかったかのように動き出しました。奇跡的に無事でした。よかった、本当によかったと、妻とふたりで胸を撫で下ろしました。
しかし、翌日になって明るいところで観察すると、自慢の黒光りした本体には大きな傷がついていました。もしかしたら、あのときゴツゴツした砂利の上に落としてしまった衝撃が、あなたの内部に、お別れのきっかけを残してしまっていたのかもしれません。

やがてわが家にも、ネットフリックスやアマゾンプライムなどの動画配信サービスに加入する機運が訪れました。時代が平成から令和に変わり、最寄りのTSUTAYAもビデオのレンタル業務を取りやめました。あなたの活躍の機会はめっきり減ってしまいました。それでもまだ、あなたの役目がすべて終わったわけではなく、現役でした。ブルーレイディスクという、とても新しかったはずのメディア自体が、すでにどこか古さを感じる時代になっても、私が長年かけて集めてきた、入手困難な映像作品の数々は、相変わらずディスクメディアのそれだったのです。
ときどきそのアーカイブが観たくなって、トレイにディスクを乗せるため目の前に座るたび、かなりの量の埃があなたの上に積もっている様子が確認できました。少し触れただけで、埃に指の形が残りそうなほどでした。私はそのことに気づいていながら、掃除はまたの機会に、時間のあるときに、と、その状況を放置していました。精密機器であるあなたにとって、埃が大敵であることを私は、十分わかっていたはずでした。

私はこれまで、多くの家電製品を使ってきましたが、その最後の瞬間に立ち会ったことはありませんでした。あの日の夜。久しぶりのレンタルDVDの再生に、あなたは少し気負いのようなものがあったのかもしれません。私もあの半透明のプラケースを開けたとき、あなたと出会ったころの、確かな懐かしさを感じていました。
なんの前触れもなく、突然にいってしまったこと、あらためて残念でなりません。長年の付き合いで何か、無理をさせてしまっていたのだとしたら、大変に申し訳なく思います。長いあいだ本当にお世話になりました。お疲れさまでした。これまでのすべてのこと、いま、心より感謝を申し上げます。ありがとうございました。

令和六年六月十六日
石田諒

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