とりあえず最初は勢いで飛び込んでみる(フランスでシェフになるまで)
フランスに行くまで
僕がフランスに来たには、今の彼女の影響ででした。ロンドンに住んでいた時に出会った彼女がフランスのリール出身でした。そしてワーホリのビザが切れるタイミングで一度、生まれ故郷の沖縄に戻りフランスに行くためにワーホリを取得することを決めます。その時点でのフランス語はゼロで、渡仏まで3ヶ月という期間で初学者用の文法書を手につけ始め、発音の仕方から頭に叩き込んでいきました。文法書を一通り終えても、喋れるレベルには程遠く、フランス語の難しさを痛感していました。渡仏前に、自分のレベルチェックとして仏検3級を受験したのですが、80/100点と悪くないスコアで合格することができました。
フランス行きの飛行機の中でも必死にフランス語の挨拶のページをめくっていたのを覚えています。フランスに着いて彼女と無事合流し、そこからフランス語での本格的な生活が始まりました。彼女とはそれまで英語で会話していたのですが、僕が渡仏してからはなるべくフランス語で話そう、と決めていました。
フランスについてから
最初の数週間仕事と住居を見つけるまでは、彼女の家族の家に滞在させてもらっていました。もちろん家族ともフランス語で会話をしなければならないので、最初はとても苦労しました。いつまでも居候させてもらうわけにもいかなかったので、着いた翌日から早速携帯の契約、住居探し、仕事探しを始めていきました。もちろんその時点でフランス語で会話をすすめることなんて到底できなかったので、彼女と家族のサポートしてもらいながら生活の基盤を作り上げていったという感じです。住居は運良く、学生用のアパートを見つけました。僕はもちろん学生ではなかったのだけれども、募集が掲示されたとほぼ同時に応募し、交渉した結果、すぐに住居を確保することができました。フランスでは物怖じすることなく、交渉して自分から何かを掴み取る、という感覚みたいなものがこの時点から養われていった気がします。
仕事探し
引越しの手続きを進めて行くのと同時に、仕事探しも続けていました。フランスでよく使われているLe bon coinやIndeedといったサイトを使っていました。募集要項、条件を辞書で翻訳し、良さそうだなと思ったレストランにはすぐにCVを送っていました。そこには、外国人を雇う条件とか一切言及されていなかったけれど、とりあえずCVを送り続けていました。CVは英語で過去に作ったものがあったので、彼女のヘルプの下フランス語に翻訳して利用していました。 そして、ある日CVを送った1つのレストランから僕の携帯に電話が入ります。
シェフ “Bonjour monsieur, je vous appelle parce que j`ai reçu votre CV”(ボンジュール、履歴書をみて電話しています。)
僕 ぼ、ボンジュー、め、メルシィぷーマペレー、デゾレじゅパールパビアンフランセ
(やべぇ、フランス語まだ全然喋れねぇ)
みたいなことを思いながら、めちゃくちゃなフランス語で返事したのを覚えています笑。ゆっくり喋ってもらって、なんとかrendez-vous(面接の日)を決め、フランスで初めての仕事のチャンスをゲットします。
面接の日は、すごく緊張したのを覚えています。パリジャンスタイルのがっつりフレンチレストランで、ここならたくさんのことを学べる!、と胸が高鳴っていました。シェフにやる気を見せて、絶対にこの仕事をもぎ取るぞ、と意気込んでいました。でも待て、レストランには誰も英語を喋れる人もいないし、まだまだ熱意を伝えることのできるフランス語力もないし、どうしたらいいんだろう、と直前に考え始めます。そうだ、彼女に翻訳してもらおう!と、一緒に面接に着いてきてもらうことにしました笑。
面接では、シェフから「あなたの強みはなんですか」「今までの経験を教えてください」「このレストランでの経験を通して何を学びたいですか」と、具体的な質問があったのを覚えています。僕は「日本人として、フレンチに日本の要素を取り入れた料理をすることができる!」「ロンドンでも、厳しい環境の中料理してきました!」「将来は、もちろんお店を出したいと思っています!」と、熱意を思い切りストレートに伝えました。まあ彼女が側で翻訳してくれていたのですけども笑。
シェフにも熱意が伝わったのか「わかったRyo、私は明日からでも君と働きたいと持っている。君の都合のいい時にレストランで試しに働いてみなさい!」といってくれました。
よっしゃぁあ!!!その時の感情を忘れることはできません。本当に嬉しかったです。初めての面接で仕事をゲットできたのですから。レストランのオーナーや、他のスタッフにもその日のうちに挨拶を済ませ、その足でそのままbarに行きビールを数杯飲んで帰路についたのを覚えています笑。
いよいよ仕事の初日だ
もちろん、仕事のチャンスを掴んだのはいいけれども、最初数日働いてレストランにふさわしい人材とみなされなかったらすぐにクビを切られる厳しい世界というのは知っていました。なので、最初はシェフに指示されたことにしっかり従い、丁寧に仕事をしようと決めていました。そして、数日後いよいよ初めての出勤日を迎えます。
僕 ボンジュー、シェフ
シェフ Bonjour, Tu es Prêt? On y va ! (準備できた? よし働くぞ!)
そう、もうこれから翻訳をしてくれる彼女もいなしし、自分一人でフランス語喋って働いていかなければなりません。今から相当苦労するけど、自分自身大きく成長できるなあ、今までで一番大きなチャレンジになるな、と感じていたことを覚えています。
初日は、基本的な野菜のカットや前菜の盛り付け等を教えてもらいました。僕は常に小さいノートをポケットに入れて、細かいポイントやレシピをそのノートに書き、家に帰って他のノートに綺麗に書き写すという作業していました。そうすることによって、記憶も定着するし、自分の世界にひとつだけのノートを作り上げることができます。僕はレストランで働き始めてまだ数年ですが、すでに6-7冊自分のレシピ本があり、頻繁に見返すようにしています。
このような努力も実り、試用期間の2ヶ月も無事に終え、CDI(無期限契約)でお店と契約を結んでもらうことになりました。フランスではCDI(無期限契約)とCDD(期限付雇用契約)2種類の雇用契約があり、どちらの契約を結んでもらえるかによって働く条件が大きく変わっていきます。僕はCDIの契約なので、簡単にクビにされることもなく、フランスの社会保障もしっかり受けられ、そのおかげでだいぶ生活が安定していきました。フランス語をまともに喋れなかった僕に、CDIを結んでくれたオーナーとシェフには本当に感謝です。
生活が安定するまで
このようにして、僕はフランス語ほぼゼロの状態から、仕事を得ることができました。最初の数ヶ月は、とても苦労しました。同僚とコミュニケーションが取れない、シェフの指示が聞き取れない。キッチンはチームワークなので、誤解やコミュニケーション不足によるミスは、営業中命取りになります。最初は、キッチン用具、料理用語から勉強していきました。そして、テーブルナンバーを瞬時に聞き取れるように、数字に強くなるための勉強をしました。初学者にはフランス語の数字の聞き取りはとても難しいのです。
仕事前、仕事後にも家でフランス語の勉強を欠かすことはなく続け、渡仏して3ヶ月経った頃には、同僚とも問題なくコミュニケーションを取れるようになっていました。その頃には、自分が成長していっているのがわかり、仕事をするのもとても楽しくなっていきました。キッチンで一番大切なポジションも任せられるようになり、新しいスタッフに指示も出さなければならず、責任感もだいぶ増してくるようになりました。半年後にはオーナーからも新しい契約の話もあり、昇給を得ることもできました。
僕はこのフランスの実力主義で頑張る人が成果をしっかり上げれる正直なところがとても好きです。多少言語に問題があろうとも、外国人であろうとも、そこはあまり重要ではなく、その人自身の素質や、人間性が見られているのです。まだ、渡仏して一年ほどで、フランスのことを語れる経験も資格も全くありませんが、僕はそういう印象を抱いています。ここでは、なんでも積極的に挑戦し、自分をアピールしていかないと、押しつぶされてしまう気がします。この記事が、フランスや海外暮らしをしたいなと思っている人を励ませることをできたら、僕はとても幸せです!