岡本真帆『あかるい花束』評――【前編】「岡本真帆、可分な世界、等価交換の愛」
『あかるい花束』の歌集評をしていきます。
『あかるい花束』(ナナロク社、2024年)は岡本真帆の第二歌集。
第一歌集は未読のまま読んでます。
今回は、この歌集における、一つの到達点が
である、という着地点に向かって書いていきます。
前編では
に岡本真帆の強い気持ちがある、というところまで書きます。
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1.可分な世界を素直に自分に引き受けるということ(ここでも、傘)
「傘を差す人と差さない人」の歌について
この人のスタンスがよく表れている歌として、上の1首に惹かれたので引きます(岡本真帆というと<ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし>が有名ですが、この歌も傘の歌ですね)。
歌の意味としては「横断歩道の信号待ちでわずかに雨が降っていて、傘を差す人と差さない人がいるなかで自分は傘を差さない」くらいかと思います。もう少し踏み込むと、小雨程度じゃ傘を差しませんよ!という、この人のそこまで繊細じゃないキャラがちょろっと出ているところに面白味があります(のわりに、周りの人が傘を差しているか差してないかを一旦気にするのかよ、という面白さもあります)
までがわりと普通な読みだと思います。
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スタンスという意味で、この歌のめちゃくちゃすごいところを言うと「大衆的なところに自分をあえて落とし込むところ」だと思います。ここはやや石井の偏見が強いかもしれません。
歌をつくる視点からすると「傘を差す人と差さない人がいる」という気づきに対して次に描写することの第一は「雨」のような気がします。その曖昧な雨のことを描写する。自然を描写するような歌にする。クラシカルな態度としてそういう王道がある。しかし、この人はそうはしないで、結句で自分の行動に引き付けて歌を詠む。
じゃあ、この状況で自分の行動に引き付けるとしてどうするか。この人は「傘を差さない」という行為を選ぶ。その程度の行為に留まっている、と言ってもいいと思います。ここがまじでかなりすごいと思います。自分に引き付ける、というのは現代っぽい(あるいは個人の時代っぽい)態度だと思うけれども、なんというか短歌なる文芸に惹かれている人間としては、ここでもうちょっと奇抜な行動を選びたくなるような気がする。歌を特別に見せたい欲が出てくる気がする。石井なら短歌のこの局面で踊りだしたり走りだしたりすると思います。ちょっと目立って特別になろうとする。
というところで、この人がこの状況を歌にして最後に自分の行為として引き受けるうえで「傘を差さない」とあっさり詠うということは、短歌においてかなり特異なことなのでは?という気がしてきます。「傘を差す人/傘を差さない人」のいる世界で、そのどちらかをあえて選べるということは、こと短歌においては異常な素直さだと思います。この素直さが多くのひとに岡本さんの短歌が受け入れられている要因だろうな、とも思います。
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スタンスいう意味でもう一つ考えたいのは「世界をかなりシンプルに二分化する」というところだと思います。上記の歌では、周囲にいるひとすべてが「傘を差す人/傘を差さない人」にきれいに分けられています。
他の歌だと、
などがあります。
上の歌は、恋人と別れてからの自分の生を「軽やかさ/心許なさ」と対称的な心境で詠んでいますが、この文体ですっきりと書かれると、まるでその他の感情は考慮されていないような気がしてきます。
下の歌も同様に、天国の環境について想定できる色々なことがあるにもかかわらず、「涼しい場所/あたたかい場所」というかたちの二択できみとの話が進んでいます。この歌のなかのきみとの会話での天国に関する情報はすべて「涼しい場所/あたたかい場所」のどちらかに属するかたちになります。
岡本さんの歌では、基本的にこのスタンスのことが多いと思います。
「祝うのか祝われたのか」の歌について
さらに歌を引いていきます。
駅で花束を抱えている人を見たことに対して「これから祝う人/既に祝われた人」の二択で考えている歌です。
この歌の良いところは、花束を持った人を見たという事実に対して、無意識に祝福の感覚が生じているところだと思います。「これからこの人が誰かを祝う光景」もしくは「この人がどこかで誰かに祝われた光景」が想像される、そのとき、「祝う」という未来の方向のイメージと「祝われた」という過去の方向のイメージが歌の中に同時に内包されます。この時間的な広がりが、この歌の懐の深いところです。
逆に言うと「それ以外の選択肢は想定していない」というところが、この歌の危うさだと思います。可能性としてはもっと色々なことが考えられる。単純に自分のためだけに花束を買ったのかもしれない。ある種の当てつけのためにわざと花束を贈る、なんてことも考えられる。そういう可能性を排除して、「祝う」「祝われる」の二択で考えるのはポジティブな決めつけが強すぎる気がしてくる。
じゃあ、これが他者との関係においてどう読まれているのか、というのが次の話題です。
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