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先生の好意を無にした話_02
「世界写真全集 第4巻 ヌードフォトグラフィ」を買い戻した。
「カメラと写真」012に、先生たちの好意を無にした話を2本書いた。そのうちの1つ。大学のとある先生に入試の際に良くして頂いたのに、最後の最後で好意を無下にしてしまった話。今日、ゆかりの本の状態の良いものを見つけて買い戻した。
以下は「カメラと写真」012より引用し加筆修正。
中学高校と写真を志し、大学はもう日芸の写真学科しか考えられなかった。模擬試験の合格率は100%だったが、さらに完璧を期すため準備は周到にした。
一次試験は国語と英語だ。これは赤本その他の参考書を暗記して絶対大丈夫だった。問題は二次試験の小論文と面接、特に小論文だ。こんな文章を書いていることから分かるように書くのは子どもの頃から好きだった。出題方式はまずスクリーンに写真が投影される。そして決められた時間内でそれについて書く、というものだった。
ちょうどその頃。集英社から「世界写真全集」という全12巻の本が順次発売中だった。いま調べると1982年から1984年にかけて出版されたようだ。まさに私は高校2年生から大学1年生。最初は茨城の実家近くの書店で予約をし、上京後はアパート近くの書店で購入したのだった。
目をつぶってその本を無作為に開き「右ページ!」と言って目を開ける。そしてその写真を見て時間内に小論文を書く訓練を繰り返した。時には国語の先生に見せて批評してもらった事もある。これは楽しかった。
一次試験は無事に突破。小論文の本番だ。教室の前方に投影された写真は、その「世界写真全集」で見た作品だった!訓練で論文を書いたかどうかは定かでないが、これはかなり有利だった。モノクロ縦位置の写真で、2枚の写真が上下にコラージュされていた。黒バック。女性のヌードと男性の拳だった。女性は横からの構図で上半身と片足を深く屈めている。男性の拳は5本の指が固く握られている。
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ここまで記憶だけで書いている。「世界写真全集」はすでに手元にない(執筆当時)し、作品を検索しても上手く出てこない。多少の記憶違いがあるかもしれないが、大体そんな作品だった。
「男性というごつごつした物と、女性というなめらかな物。対極的な存在だと考えがちだが、作者はそれらを相似形にまとめて提示し、先入観による物の見方を批判しているのだろう」という内容で規定の文字数を埋めた。
翌日だったか面接があった。部屋に入ると担当は木村惠一先生と女性の先生だった。木村先生は日本カメラでお馴染みだったので「うわ!木村先生だ!怖い!」と思った。4年次にはその木村先生のゼミを受講する事になるのだが。木村先生は終始面倒くさそうでほとんど無言だった。女性の先生は後で分かるのだが澤本玲子先生だった。澤本先生は笑みを絶やさず、こう聞いてきた。
「あなたの論文。とても良く書けていて感心したの。知ってる作品だったの?」「はい。集英社の世界写真全集を買っていて、写真を見て書く練習をしていました」「素晴らしい。クリーム色の表紙のね。あのシリーズは値段も手頃で良いものね」
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合格を確信した。
1年2年は写真の基礎と一般教養を学ぶ。3年になりプロゼミで大まかにジャンルが分かれる。私は報道写真を目指していて大木栄一先生のプロゼミを選んだ。大木先生はその時すでにご高齢で、あの一ノ瀬泰造の恩師だった人だ。朝日新聞の元写真部部長である。
3年の終わりの春休み。大木先生に呼ばれて「朝日の写真部にちょっと行ってみないか?君なんか良いと思うんだ。皆には内緒だ」と言われて、写真部に放り込まれた。上野公園の花見風景や、選抜高校野球の決勝に進んだ東京の高校の留守番部隊が応援している所、あとは何かお堅い記者会見、などを写真部の社員とともに撮影した。
結果は合格点だったようで、最後にその時の写真部長に呼ばれて「筆記試験を何とか突破しろ。あとは任せとけ」のような事を言われた。
しかしもともと自分の中にそういう素養があったのだろうが、この頃からいわゆる「報道」や「マスコミ」といったものに懐疑的になり、目指している自分が嘘くさく思えてきた。写真だけでなく音楽や小説でも「個人として闘う」ものにどんどん惹かれていく。就職試験に向けた勉強にも身が入らなくなっていった。
結果は当然のごとく不合格。写真のアルバイトもしていたし特に悲観はしなかった。卒業間近の寒い朝。電話が鳴った。入試の小論文を評価してくれたあの玲子先生だった。(夫の澤本徳美先生も写真学科の教授だったので、学生たちは親しみを込めて「徳美さん・玲子先生」と呼んでいた)
数年後に取り壊しになるボロアパート。部屋の真ん中にコタツ。座布団代わりに敷きっぱなしの布団。コタツに入ったままゴロンと仰向けになれて、本格的に寝る時は身体の向きを90度変えればよい。パジャマに祖父の形見の重いドテラ。荒木の写真集を見て太宰の小説を読み、ジョン・レノンの音楽を聴いて夜更かししていた。
コタツに足を突っ込んでいたのか、布団をかぶっていたのか。とにかく寝転んでいた。そのままの状態で電話に出た。「あ、朝日君?ベースボールマガジン社で写真部員の募集があるの。貴方なんか良いんじゃないかと思って」
玲子先生とは4年間まったく縁がなかった。私は起き上がることもせず「あー...スポーツはあまり興味がないし、いいかな。すみません」と、話も聞かずに断ってしまった。失礼なことをしたなあ、とずっと後悔した。選んだ道に後悔はしないが、好意を無下にしたのは良くなかった。
引用ここまで。
高校から大学にかけて、毎号楽しみにしていた写真全集。今日、手に取ってその手触りや印刷の感じなどすべてが懐かしかった。あれから41年が経ち、私はもうすぐ還暦になる。干支が全部ひと回りして生まれ変わるような気がしている。初心に帰って純粋に写真を撮ろう。
電子書籍
「カメラと写真」
011までは電子書籍で出版
文中に出てくる012は紙の本で直売のみです
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