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日記_2022/09/06

子供のころから文章を書くのが好きで、宿題でもないのに小学校1〜2年ではほぼ毎日日記を書いて担任の先生に見せていた。2年3組の担任が岸先生という大学出たての女性の先生だった。1年から2年にかけてはクラス替えがない。1年の時は小坂先生という怖いベテランの先生で父兄の受けも良かった。しかし2年3組の岸先生は経験がなく、授業参観日のときに子供たちに難しい言葉を使った、と後で非難されていたと母から聞いた記憶がある。1973年。昭和48年のことだ。

しかし私は岸先生が好きだった。いかにも先生っぽくなく、何よりもスラリとして美人だった。先生に読んでもらいたくて書いていたような気がする。何年か前に実家に帰ったときに、当時の日記が出てきた。ふたつの記事、じゃない日記が印象に残った。

ある夏の日。私は父と母と姉との4人家族だったが、母と姉だけがどこか親戚宅?に泊まりに行っていたようだ。ふたりが帰って来る日。父が「良一!スイカ買ってくっか?ん?」と私に言った、という短い日記なのだが、父の茨城弁の感じや表情が目に浮かんだ。ページの終わりに岸先生が書いた感想がある。「お父さんは朝日君や家族のことが大好きなんですね!」

またある日の日記。放課後の掃除の時間の様子が記してある。「今日の掃除の時間は、みんなでワイルド7ごっこをした。中島君が飛葉(ヒバ)で、萩原君がチャーシュー、僕が両国だ。とても面白かった」 (注:詳細は忘れたので推定。しかし中島君が飛葉なのは覚えている) ワイルド7はその頃に大人気だったテレビ番組。これに岸先生が赤ペンで書いた感想は、「楽しそうですね。でも掃除は静かにさっさとやってください」だ。「さっさと」の所でちょっと怒って口元がピキピキっと引きつっている、あの岸先生の表情を思い出す。

そんな日記も4年生くらいになるとやめてしまった。ときどき書いてはいたが先生に見せるのは恥ずかしくなったと思う。まあそれも成長のうちだ。久しぶりに思い出して日記風に書いてみた。

2022年9月6日(火) 晴れ 32℃

昨夜19時に4回目のワクチン接種をした。朝起きてメガネを取ろうとすると左肩が痛い。起きてしばらくすると熱っぽく、検温すると37.3℃だった。普段は36.2℃前後なので身体が熱い。解熱剤を飲む。昼頃になると平熱に戻った。ワクチンは1回目と2回目は全く何ともなかった。腕を押すと少し痛い程度。3回目は今回と同様37℃程度の微熱が出た。しかしいつまでこんな事が続くのだろう。

空を見ると夏の雲だ。今日明日と連休なので今日は外出して用事をこなし、明日は家で現像などするつもり。ニコンS2のフィルムが切れたので次はペンタックスKMにする。高校1年の夏休みにアルバイトをして買った中古のKMはシルバーだった。大学時代にニコンに替えてしまったが、最近になって買い直したブラックボディである。レンズはKシリーズの30mm f/2.8をチョイス。夏の名残りの光景をイルフォードのモノクロフィルムに収めよう。

今日の最優先事項はコンタクトレンズの購入である。もともと近眼で学生時代はメガネだったが、働き出してからコンタクトにした。カメラの接眼部でレンズに傷がつくこともなく、ファインダーの視野が蹴られることもなく、何よりもギュンギュンのド近眼が他者に分からないのが嬉しかった。最初は当時住んでいた東久留米の眼鏡店で作ったが、竹橋で働き出してからは、そのビルにある眼鏡店の世話になった。1989年頃だろうか。

当時は先代の社長が店を仕切っていた。だいぶ前に先代は引退し、現在は息子ふたりが店を切り盛りしている。店長の長男がメガネ担当で次男がコンタクト担当。長男は私と同い年の57歳なので何かと話も通じる。実に30年以上のお付き合いになった。コンタクトは最近は安いチェーン店でも購入できる。メガネもそうだ。しかし私は自分も技術者だという自負があるし、その道のプロはちゃんと報酬を得るべきだという考えがあるので、この店に通い続けている。

確かに売価は高いのだが、いろいろサービスすることによってチェーン店との実質上の価格の差は埋めている。大変だろうなあと思う。

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今回は遠近両用コンタクトを試してみるべく検眼した。実は以前(聞いたところ何と9年前)にも試しているのだが、どうにも気持ちが悪くて断念した経緯がある。しかし今は遠近両用のメガネを愛用しているし、遠近両用の免疫もついている。でも価格を聞くと普通のコンタクトの倍近くだし、やはり普段は遠近両用メガネにして、撮影する日だけ近眼用コンタクトを装着して老眼鏡を持ち歩くしかないのかなあと思っている。ニコンやライカで撮らないなら、もうメガネだけで良いのだが。もう少し現役でいたいのでしょうがない。

老眼鏡は安い店で間に合わせに作ってしまったので、ここでちゃんとお金を出して作り直そう。

昼食はそのビルにある中華料理店に行ってみた。この店には大小2店舗があるが、小さい方に思い入れがある。以前に田沼武能さんの話で書いたが、このビルで1988年から1997年まで足掛け9年働いた。かろうじてその眼鏡店で関係がつながっているが、飲食店などは行ったら悲しくなりそうで避けていた。しかし今回、思い切って入店してみた。

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だいぶ前から飲食店も様変わりした。当時の店で残っているのは少ない。何十年ぶりかで入ってみると店内の作りは全く変わらない。調理人や店員さんはもちろん変わっている。当時はサモハンキンポーそっくりの人が中華鍋を振りつつこちらを伺い、赤いチャイナ服の店員さんが「あー?」と言いながら不機嫌そうに注文を取っていた。今では日本人ばかりのようだ。

ここで夜勤の仕事前に昼間の社員たちと一緒にビールを飲み餃子を食べた。そしてシメにこの五目チャーハン。五目と言うほど具は入っていないが、しっとり系で噛めば噛むほど味が出るタイプだ。当時の写真部長Tさんが、いきなり醤油をかけようとするのを皆で必死に阻止した思い出(笑)。太鼓っ腹でハイライトを手放さなかった。私の20歳上。数年前にあの体型のまま死んでしまった。

そのT写真部長は、朝出勤すると我々夜勤者を連れて喫茶店でコーヒーを飲む。当時は個性的な喫茶店がいくつもありモーニングが楽しみだった。今では全て跡形もない。仕方なくチェーン店へ。さあペンタックスで撮りながら、静かにさっさと帰ろう。

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追記

日記に追記というのも変だけど、これを書いているのは9月8日。曇天だ。やはり最後の夏空はこの日記の9月6日だった。今日はレンズを50mm f/2に交換。これも最近になって買い直したものだが中学時代に初めて使った一眼レフ用のレンズだ。実は中古市場では50/1.7や50/1.4よりも程度の良いものが多い。これもボディに付いてきたもの。プラスチックを多用しているので軽くて良い。レンズは全長の短いものが良い。長いのは嫌いだ。

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小学生時代の日記と違って、一気に爺臭くなった。
さて、生活のために働こうか。


電子書籍

「カメラと写真」

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