〜自分の問いに答えられる者は、他人の問いに答えられる〜
「怖かったのは、自分の夢を諦めたことを肯定してしまうこと」
世界一周の自転車旅で出会う恐怖よりも、私が恐ろしいと思っていたことは、「つまらない毎日と思いながら死んだように生きていること」。
それは死よりもひどい死だと、思春期の私は思っていた。
「誰のレールにのも乗らない人生を歩みたい」
きっとそれは、誰しもが思うことだと思う。
だが、思春期の私は「成績が良くてもだめ、悪くてもダメ、目立つことなく、みんなと同じがベスト」だと思っていた。
「誰かのために生きたい」
そう思えるようになるためには、優しさを手に入れること。
誰にでも優しくできるようになるのには、自信から生まれる余裕を持つこと。
自身のない自分が余裕を持つためには、外から得られる応援で自信を持つことができると思っていた。
「チャレンジすることで、人は強くなり、好きな自分になれる」
生きていることを実感したい。
世界一周自転車旅は、私にそれを教えてくれた。
世界一周を終えて、私自身は自分を肯定する言葉を持つことができた。
「経験は、時の権力者でも奪うことはできない」
チャレンジこそ、人生最大の幸福の美味だ。
社会には価値がなくても、自分に意味があることをする。
世界が与えてくれた環境は、私にどんなことがあっても生きていけるという、約束のない自信をくれた。
【自分の問に答えられる者は、他人の問に答えられる】
人の痛み、立場、状況が我が事化すると、敵視は消え、敬意すら存在し始める。
如何に今置かれている自分の状況が、多くの人々の幸いの数珠つなぎの連鎖の蓮の上にいることがわかる。
自己肯定感は他社理解から始まる。
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