「和賀英良」獄中からの手紙(9) リズム、ビート、トランス
―お題目とパラダイム転換―
丸山教授の最終講義は佳境に入っていた。
さて、日蓮上人(1222~82年)は「南無妙法蓮華経」と何度もくり返し唱えることで、すべての人々は釈尊の救いにあずかることができる、と説きました。
この功徳が備わる「お題目」の力を得るためには「唱題する」つまり繰り返し、繰り返し題目を唱えることが、ありがたい仏さまのパワーを受けとる道である、と発想したのです。
この唱題信仰はまさに「パラダイム転換」でした。パラダイム転換とは、従来の考え方や方法論が大きく変わり、新しい枠組みやアプローチが採用されること、つまり新しい画期的なアイディアの提示ということです。
内容が理解できなくても、その題名をリピートすることでお釈迦さまと同体となりすべてを授かれる、というシステムです。これはすごくユニークな発想ですね! このアイディアには誠に恐れ入りました。
これは音楽でいえば、曲のメロディーや歌詞の内容ではなくリフレイン、つまり短いモチーフの繰り返し、リズム、ビート中心。内容より「のり、グルーヴ」のほうが大切である、となります。
私の研究では、この唱題のリズム構造を音楽的手法により分析すると「複合リズム」つまりポリリズムという多次元リズム構成であることがわかりました。
これらはアフリカやキューバの打楽器合奏、宗教祭祀に使用されるものと同様で、陶酔感や神懸りといったトランス状態、つまり恍惚感をしばしば引き起こします。これらのリズム感やビート感は脱日本的であり、当時の他宗教における真言や、神道の祝詞(のりと)などと比較しても極めて呪術的であると思います。
日蓮が布教していた当時、人々が魅了されたものは、唱題による意識トランスと麻薬的な効果であって、難解な仏法、法華経の教義ではないことは明らかでしょう。それはリフレインされる題目唱和のビート感そのものだったと思われます。
生活のなかにあるさまざまな問題、飢餓や人々の病や死、そういった苦しみを一時でも忘れるには、唱題でトランス状態になり少しでも心の安らぎを得る、という行為は現実逃避として必要だったことでしょう。
お題目を心を込めて繰り返し唱える」というシンプルな実践を教義として説き、人間の持つ原始的なトランス感覚を呼び覚ます手法を提案した日蓮ですが、呪術的なリズム効果を意識的に導入する事により、仏法布教における手法のパラダイム転換を実現し、新境地を開拓した革命児であったと言えるでしょう。
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丸山は力強い声でこれらの説明を聴衆に投げかけた。聴衆は宗教に帰依していく重要な入り口を見せられたかのように、奇妙な静けさで聴き入っていた。
第10話:https://note.com/ryohei_imanishi/n/n95ea7c514d58
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