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90秒で学ぶ!逆説の日本史3⃣古代言霊編(第三章)

今回は井沢元彦『逆説の日本史3⃣古代言霊編』(小学館文庫)
の第三章を90秒で紹介します。

第三章『万葉集』と言霊編

何の目的で『万葉集』が編纂されたのか

日本に現存する最古の和歌集である『万葉集』は、天皇・皇后をはじめとする皇族・貴族だけでなく防人・一般民衆・女性など様々な身分の人々詠んだ歌が収められている歌集です。

なぜこのような歌集が編纂されたのでしょうか?
その理由は言霊思想によるものだと井沢氏は主張しています。

言霊とは、言語そのものに宿っていることです。
つまり何か不吉な事を言えば、それが実現してしまうと思う事です。

井沢氏がこのように論じている根拠は二つあります。

第一に、『万葉集』には人の名前をみだりに呼んではいけないというタブーがある事です。

『万葉集』には人の名前を言ってはいけないというタブーがありました。
これは、名前=人格そのものであるからです。『万葉集』が編纂された時代には、その人の名前を知ると呪術的に支配できるという考え方がありました。

そしてこの考え方は言霊によるものであると井沢氏は推論しています。

第二に、怨霊の祟りを鎮めるためです。
歌を詠うこと、それを語り伝えることで永遠に生き続けてくださいという意味になります。つまり怨霊を抑えることにつながると当時の人は考えていました。

『万葉集』には長屋王、大津皇子、有間皇子など悲運の最期を遂げた人の歌が収められています。

また、『万葉集』の原形は天平年間(729~748)に確立して可能性が高いです。以降数回の編纂を経て、最終的には大伴家持が手を加え759年から780年以降に成立したと言われています。しかし井沢氏は806年以降に公表されたのではないかと主張しています。

これが意味することは以下の通りです。
持統・天武系によって暗殺された長屋王、大津皇子、有間皇子の死を詠んだ歌が含まれている『万葉集』は、原文があったが世の中には発表されていなった。なぜなら、その時代に世に出ると、公表者は彼らが無実の罪だとわかっていても、国家の反逆者を擁護することになるからです。そして天智系復活(桓武の死後)と共に世の中に発表されたということです。(最終編纂者の家持と早良は桓武によって殺されている。)

当時、持統・天武系によって無実の罪で死んだ人を歌で語り伝えることで「鎮魂」になると考えられていました。

何度も繰り返しますがこれは、言霊によるものです。歌を詠うことで無実の死者が歌の中で永遠に生きる、そしてこれが鎮魂になると当時の人は考えました。

また『万葉集』最大の歌人である柿本人麻呂も
「わが日本は言霊の助ける国である」という反歌を詠んでいるからです。
これからも分かるように、当時の人は言霊を信じていました。

つまり、言霊が宿っていたからこそ、『万葉集』に無実の罪である皇子の歌が編纂されていると言えます。

現代の日本人も言霊によって動かされていると言えます。
例えば、みんなの前で「あいつなんか死ねばいいのに」と言ったとします。
その後、実際に言われた人が事故で死んだとします。
そうなれば、みんなは「死ねばいいのに」と発言した人物を責めるでしょう。またそう発言した人物に不幸な事が相次いだとすると「あんなこと言ったからだ」とみんなが言うでしょう。
現代でも無意識のうちのこのような言霊思想が働きます。

当時の人は言霊があると自覚していたので、この意識はなおさら働きます。
したがって『万葉集』の編纂も言霊が関係していると言えるのではないでしょうか。

まとめ

今回は井沢元彦『逆説の日本史3⃣古代言霊編』(小学館文庫)
の第三章を90秒で紹介しました。

この章では、他にも井沢氏は『万葉集』最大の歌人であった柿本人麻呂、六歌仙の名前についても言及しています。

とても興味深い内容ですので、一読してみてください。


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