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90秒で学ぶ!逆説の日本史3⃣古代言霊編(第一章)

今回は井沢元彦「逆説の日本史3⃣古代言霊編」(小学館文庫)
の第一章を90秒で紹介します。

第一章 道教と称徳女帝編

藤原史観によるデッチ上げと称徳女帝の本当の姿

天武系最後の天皇である称徳女帝は、愛人の道鏡を寵愛し、皇位を譲ろうとしたことで有名です。また藤原仲麻呂との愛人疑惑もあります。
称徳天皇をイメージで語るならば、天皇の役割を放棄し、「性」と言うものに振り回された女帝であると言えます。

しかし、井沢氏は称徳女帝のこのイメージは事実ではない。
これは「藤原史観」によるデッチ上げであると論じます。

では称徳女帝はどういった人物だったのか?
今回は称徳が行った功績を二つ紹介します。

第一に、藤原仲麻呂が実行しようとした新羅征討計画を阻止したことです。
なぜこのような事があったかと言えば、それは仲麻呂が「中国かぶれ」だったからです。
孝謙女帝(称徳の一回目の即位)が退位後、
淳仁天皇が即位しましたが、その際に仲麻呂が右大臣になります。
これにより、仲麻呂は政権を握ります。

その際、仲麻呂は中国に憧れ、朝廷の役職名をすべて中国風に変更しました。
また膺懲のために新羅征討計画を企てます。

この時、仮に新羅征討をするならば、唐と全面戦争になりかねませんでした。当時世界最大の帝国であった唐と戦争になれば、日本は敗戦する可能性が高かったです。

そこで、唐との全面戦争によって、国家が滅亡する事を防ぐため、称徳女帝はクーデターを起こし、再び天皇に即位しました。
つまり、称徳女帝は国策を第一に優先する女帝だったのです。

第二に、称徳女帝が藤原仲麻呂の天皇即位を阻止したことです。
仲麻呂は天皇の座を狙っていました。正確に言うなら、皇帝になろうとしていました。
その理由の一つは、すでに指摘した通り、中国かぶれだったからです。
中国の皇帝と天皇の違いは、血統による皇位継承の有無です。
つまり、中国の皇帝は「徳」を持っている人なら誰でもその座に着くことができます。
だからこそ、中国に異常なほど憧れを持っていた仲麻呂は自分が日本で皇帝になろうとしました。
そして、この仲麻呂の天皇即位計画を阻止したのが称徳女帝でした。

ではなぜ、このような功績があるにも関わらず、称徳女帝は「性」に振り回された女帝というレッテルを張られているのでしょうか?
それは当時の朝廷を裏で牛耳っていた藤原氏による自己の正当性を示す、「藤原史観」があったからです。

当時、藤原仲麻呂は土地制度と年貢を裏で牛耳っていました。
仲麻呂は墾田永年私財法を制定しましたが、これは自分たちが私有土地所有を拡大できるような抜け穴のある法律だったのです。

そしてこれを阻止したのも、称徳女帝であり、道鏡でした。

つまり、
仲麻呂にとって称徳女帝は自分の計画をすべて阻止する邪魔な存在でした。だからこそ、称徳は暗殺され、墓の所在さえも不明であり、「藤原史観」によって、男に振り回された女帝だというレッテルを貼られました。

まとめ

今回は井沢元彦「逆説の日本史3⃣古代言霊編」(小学館文庫)
の第一章を90秒で紹介しました。

この章では、今回紹介したこと以外にも井沢氏は
称徳女帝自身も「中国かぶれ」であった事、道鏡事件で皇帝制に替えようとしたことを簡潔に論じています。また道鏡との関係、朝廷のキーマンである吉備真備について言及しています。

面白いのでぜひ一読してみてください。


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