№9 これまでの順子さん ~入院
僕の妻の順子さんは、「多系統萎縮症(MSA)」という原因不明の難病に罹患しています。
順子さんと同じ病気に罹患した著名人に、2018年にお亡くなりになった西城秀樹さんがおられます。「脳梗塞」でなんどか倒れられ、その後、後遺症が残る体で活躍されている姿をテレビ映像で見かけることがありました。僕とは同世代で、いわずもがなの「昭和の御三家」、西城さん、野口五郎さん、郷ひろみさんは、当時、アイドルにはまるで興味のない僕でも知っている大スターでした。
最近、その西城秀樹さんの奥様、木本美紀著『蒼い空へ:夫・西城秀樹との18年』を読みました。西城秀樹さんが「多系統萎縮症(MSA)」に罹患していたと公開した著書だということで、なにか参考になることはないかと購入しました。
僕は、西城秀樹さんは脳梗塞でお亡くなりになったと思っていたので、ネット検索でこの事実を知ったときには驚きました。
本によると、西城秀樹さんは、2014年に「多系統萎縮症(MSA)」の診断を受けています。お亡くなりになる4年前になります。ちょうど、順子さんの診断が4年前なので、その後の経緯が気になったのですが、残念ですが、くわしく病状については語られていません。
それでも、この病を広く本によって伝えていただいたこと、西城さんも自律神経失調や運動機能障害に困られていたことをお書きになってくださったことは、同病をもつ患者、そして家族には、言葉少なくても十分に伝わり、とても感謝いたしております。
もちろん、死亡の直接的な原因については、著書には書かれていません。「脳梗塞」なのか「多系統萎縮症(MSA)」による合併症だったのか。正直、「多系統萎縮症(MSA)」家族としては、突然の心停止という死に至る過程を本からうかがうと、この病が原因だとは信じたくありません。ですが、死因がなんであれ、ご家族のみなさんとの最後のときが、とてもあたたかな、みとりの時間があったことを、本当に、本当に、嬉しく思います。
ついでに、恥ずかしがることもなく、自慢を言えば、むかし、「西城秀樹に似てる」と言われたことを思い出して、あの時代をともに生きた人は、今はもういないのだと、さみしく思うのです。
あたらしい先生
2020年2月6日、「多系統萎縮症(MSA)」という難病に罹患しているとの確定判断を受けました。順子さんと僕は、その総合病院に月に一度のペースで、外来での受診をはじめました。
しかし、同じ年の4月に担当医が急に変わりました。その経緯は「№7 これまでの順子さん ~信頼~」をお読みください。
順子さんのあたらしい担当医はM先生といいました。若干28歳のかわいらしい女医さんです。順子さんと僕は、親しみを込めて彼女をMちゃん(本人の前ではあくまでM先生)と呼んでいました。彼女は若い女医さんですが、順子さんの病気と真摯に向き合い、目をそらさずに僕たちに理解を促すように真剣に会話をすすめます。そんな彼女の姿に、僕たちは信頼を感じていました。
ですから、順子さんは、
「Mちゃんかわいいんだから、寝癖がついた髪での診察はアウトでしょう。」
「背が高くて美人なんだから、背筋を伸ばせばいいのに・・」
「左薬指の指輪をみた。この間はしていなかったわよね。」
と、M先生評は、まるで久しぶりに会った娘にたいする口ぶりになるのでした。
僕たちの目を代わる代わる直視して、何が今不安なのか、何が不便なのか。目と耳を僕たちに傾けて、理解しようとする姿勢は、治る見込みのない多系統萎縮症という難病を抱えた順子さんと僕には、とても大切な味方でした。
雷にあたって
僕は、順子さんの発病以来たくさんの本を読みました。「脊髄小脳変性症」「多系統萎縮症」など神経系難病の本です。インターネットで閲覧可能な難解論文も読みました。
昨日まで普通に暮らし、仕事をしていた人が、あるときふらつき、歩行のコントロールができなくなり、杖をつき、失禁をして、一人では外出できなくなり、いつしか家の中には歩行補助具があふれ、トイレやお風呂にまで介護用品がある。想像もしていませんでした。
しばしば「老い」は、身体的あるいは精神的な機能障害を引き起こします。いつか介護が必要になり、自分だけでの生活が困難になり、にっちもさっちもゆかない状況がくる。どこかで薄々わかっていたのかもしれません。でも、その暗闇の存在を否定して、思考の枠から排除して、今の線形的な毎日の延長が未来で、突然不意を突かれるようなことはない。たとえ、ニュースや近所でそんな老人に出会っても他人事のようでした。そして、もし悪夢が正夢になるとしても、「老い」に近いのは年長の僕で、もし介護が待っているのなら、順子さんが僕を介護するのだろう。と、男のエゴまるだしに、そんなふうに考えていました。
それが、突然こんな状況になるとは、予想だにしていませんでした。渋谷のスクランブル交差点を歩行中に、イカレた人の投げた石が僕の頭にあたった。あるいは、森の中に隠れているのに、落雷は僕のよりそう木に落ちる。理不尽でしょう。僕には、「なぜ」「どうして」しかありませんでした。
だから、敵(順子さんの病気)を知りたかったのかもしれません。
ロバのいななき
難病情報センターに難病に登録されている疾病は338疾患(2024年2月12現在)あります。順子さんの病気「多系統萎縮症」もその一つです。
要約すれば、およそ9年で死ぬということです。ただし、中央値であるということが重要で救いでもあります。死亡時期は罹病後9年を挟んで半分半分ということで、実統計は記載されていませんが、「外れ値」もあることが想定できます。
順子さんが長生きして「外れ値」であってほしいのですが、長生きできない「外れ値」だったら・・。
予後は人それぞれです。ですが、調べてみると、突然のように早死にする人がいます。そして、亡くなる方の多くが、声帯麻痺による呼吸障害であることを知りました。
声帯麻痺による呼吸障害については、M先生と入れ替わりに病院から移動されたK先生からも聞かされていました。このK先生が、順子さんの病気の確定診断をしてくださった先生です。
「声帯の動きが衰えて、睡眠中に閉じたままになってしまう場合があります。声帯(喉頭蓋)が閉じたままになると呼吸ができません。今はまだ病気も初期なので大丈夫だとは思いますが、そういった症状が出ることも知っておいてください。」
診断初期のころにK先生の言われた言葉です。
多系統萎縮症という病気が、進行性で、だんだんと順子さんの運動機能がなくなっていくことは知っていました。でも、突然死があることを知ったのはこのときでした。
喘鳴(ぜいめい)とは、「いびき」のことです。息を吸うときに大きな「いびき」をかいて、無呼吸になることがあるというのです。ある論文では、この「いびき」の音を「ロバのいななき」「山羊の鳴き声」と呼んでいました。「ロバのいななき」がどんな鳴き声なのか、ロバの鳴き声と馬の鳴き声はどう違うのか。山羊の鳴き声は羊とどう違うのか。僕は知りません。ロバの鳴き声なんて聞いたことがない。ディズニー「ピノキオ」でロバになったピノキオの声なのかな。「ヒヒン」とか「メイメイ」とかの音が浮かびますが、どうも違うようです。ヒーヒーといった高音の「いびき」音らしいと教えてくれたのはM先生でした。
この「ロバのいななき」の話を知ってから、僕は順子さんの「いびき」に注意をするようになりました。夜行性の僕は、早寝早起きの順子さんの横で、いつまでも起きています。書籍や映画やテレビを相手に、一人酒を楽しむのが日課の僕が、順子さんの寝姿の変化に気づいたのは2020年6月のはじめのころでした。
いままで「いびき」を聞いたことのない順子さんから「いびき」が聞こえます。ゼイゼイと喘ぐような声が突然にはじまり、突然に終わります。すると、音のない時間がちょっとあって、今までの無音を取り返すように、大きく息を吸い込み、ゼイゼイが始まります。順子さん、今息をしていないよ。
僕は、順子さんの「いびき」をボイスレコーダーに録音することにしました。順子さんの「ロバのいななき」を録音して、M先生に聞いてもらうことにしたのです。
悲しき未来予想図
「ロバや、山羊には聞こえないけど、豚のように鳴いています。」
と冗談めかして、M 先生に録音を聞いてもらいました。
M先生は、僕のシニカルなジョークにだいぶ引き気味に反応して、録音を聞き、
「入院して調べてみますか。」ということで、入院が決まりました。
「声帯麻痺の出現期は、MSA(順子さんの病気)発症後5~6年といわれています」「脊髄小脳変性症マニュアル決定版!」)というのが一般的な医療現場の認識なのかもしれません。でも・・・。
「悲しき未来予想図」であっても、なるべく早く、事前に、できれば起こるべく出来事を遅く、ずーっと遅くしたいと願っている順子さんと僕にとっては、M先生の決断がとても頼もしく、さすが我が妄想の娘というアウェイ感いっぱいながら、それでも感謝に堪えないおもいでした。
入院の目的は、大きく3つです。
1つ目は、声帯麻痺による呼吸器障害に問題はないか。場合によっては、人工呼吸器などの対応を考える。
2つ目は、同様に進行していると思われる嚥下機能の低下状況を確認する。
最後に、運動機能障害、とくに歩行機能、構音障害(おしゃべりがたどたどしくなる)の進行を遅らせるリハビリテーション。
M先生は、こんな入院計画をつくり、人工呼吸器の装着によるリスクについて、いつもの直視する眼差しで僕たちを見つめ話ました。そして、僕も考えました。
いつの日か気管切開という大きなハードルを越えて、人工呼吸器のみの力で生きるのか。あるいは・・。順子さんを待っている未来です。順子さんの疾病「多系統萎縮症」は、自分の力で呼吸するという基本的な生存能力すら奪っていく病気です。体の機能ダウンが、人の「死」なのか。脳(精神:心)のダウンが、人の「死」なのか。「生命倫理」なんていう高尚な理念で語られると、当事者意識としては「ん~」と腑に落ちない乖離を感じます。大切なこととは一般論ではなくて、その人自身なのです。もし、自分の行動や意思を表現する力を失って、他人から心と違うことを強いられたら・・・。もし、それが死ぬまで永遠に続くのなら・・・・。「生」は使役なのか、快楽なのか。苦痛なのか、喜びなのか。生きるって・・。
中途半端な社会正義は不要です。生きられないこと、生きづらいことを悲観する人がそこにいることが現実です。悲観した人に「生きる」を語ること、「生きる」意味をその心に伝えることは、とても大切ですが、とても難しい。
幸い、僕と順子さんにはまだ生きる喜びがあります。一緒に日々を生き、笑いあうゆとりがあります、
でもこの先は・・・。今の順子さんにも、今の僕にもわかりません。
話が大きく「やがて」の「やがて」に進んでしまいました。今日は、「人工呼吸器の装着によるリスクについて」です。人工呼吸器には、口からマスクのように覆う装置や、鼻から吸入する装置があります。要は、外から圧力をかけて酸素を送り込み、体内の酸素濃度を高め、自然呼吸を補うのが役目の器械です。でも、自然呼吸と違うのは、外から強制的に酸素を入れられるという不都合です。ある程度の力(圧力)で押し込まなければならないわけで、自然(自発的)に行っている体の動きを妨げることも起こります。例えば、ご飯を食べるときに食べ物を胃に送り、呼吸をするときには空気を肺に送る。人のからだは不思議で、こんな器用なことを平気にこなしています。ところが、強制的に人工呼吸器で酸素を送ると、この肺・胃への挿入制御をしている弁を吸入酸素の力で閉めてしまい、息ができない状態にしてしまう場合があるというのです。
もちろん、M先生をはじめとするスタッフはそうならないように、酸素を送る力や機材を調整して、順子さんの状況を見ながら進めていくわけですが、リスク説明も医師の使命で、M先生は、こうして僕が説明できるほどに語ってくれました。
そして、この機材や酸素の力具合や、順子さんのなじみ方が大切で、その調整のためには3週間くらいの入院が必要だというのが、M先生の見立てでした。
コロナ禍の入院
2020年7月13日(月)。順子さんは入院しました。緊急事態宣言は解除されたとはいえ、東京都では連日発症者の過去最多更新が発表されるコロナ禍での入院でした。
このため、入院当日は、家族の同伴による入院手続きが可能でしたが、翌日からは面会謝絶。面会者が患者に会うことも、病室に入ることもできません。差し入れや着替えも、ナースセンターに依頼して本人への渡していただくことになります。
家族は、入院中の経過や状態を知ることもできません。そこで、医師との面談時間を予約して、そのときは患者と家族、先生でお話しできるということになっています。順子さんの場合、7月17日(金)の午後に面談することになりました。入院日から週末までは、スマホなどの通信手段で様子を確認するしかありません。
まずは、順子さんの睡眠状況(喘鳴、無呼吸、酸素濃度など)をしらべること、吸入マスクを業者に依頼すること、リハビリをすすめることをM先生と確認して、僕は病院をあとにするしかありませんでした。
「飯がまずい」「たいくつ」「リハビリがきつい」・・・・・・・
順子さんからのメールは愚痴ばかりで、検査や診察の状況はわかりません。
まぁ、7月17日(金)まではいいか。僕は「鬼のいぬまの洗濯」といきたいところなのですが、順子さんがやっていた家事(掃除、洗濯、食事つくりなど)を僕がやらなければならず、テレワークをしながらでは時間がない。食事と洗濯は仕方がないが、掃除は省こうか。子どもたちの弁当づくりは頑張れるか。などと思いながらも、障がい者で要介護になっても日々家事に精を出してくれる順子さんには感謝です。普段はといえば、「日々の家事もリハビリだから」とロジハラっぽい正論を冗談にして、素直に「ありがとう」の一言も言えない。ちょっと反省。
7月17日(金)、M先生と面談。「それじゃ、順子さんを迎えに行ってきます。」とM先生は病室に向かう。
意気揚々とM先生と面談室に現れた順子さんは、開口一番「杖うまいでしょう」。
日々のリハビリの効果なのか、あれほど上手く使えなかったロフストランドクラッチ型の杖を、ひょいひょいと左右に巧みに動かしている。何やら表情も明るい。何やら自慢げ。これにはビックリ。これだけでも入院の効果があった。でも、肝心の声帯麻痺による呼吸障害は?
M先生から、睡眠中無呼吸・低呼吸(AHI)が、1時間あたり12回から17回、30秒間息が止まっていることがあると告げられました。僕は思わず「え~」と思いましたが、まだまだ初期的な症状で、血中酸素濃度の低下もさほどでないとのこと。ひどい場合は、無呼吸が1時間当たり50回以上、1分から2分以上息が止まると聞いて、さらに「え~」なのですが、ひと安心です。
M先生からは、再度吸入マスクのリスクの話を聞き、マスクの着用について話し合いました。「悲しき未来予想図」ですが、今はまだ大丈夫。マスク使用によるリスクを回避することのほうが優先です。吸入マスクを業者に依頼して、圧力や機械とのなじみの調整を行う予定でしたが、今回は中止する決断をしました。
正直、ほっとしました。「結構、痛いの」とリハビリの大変さを訴えていましたが、入院効果は抜群です。順子さんの現在の諸症状のデータをとれたことも、M先生は評価していました。
7月20日に嚥下機能の検査をして、21日に退院することになりました。
7月21日。嚥下機能に若干の機能低下があることが検査で分かったとM先生から報告を受けた。今後も月1度の通院と、訪問看護、訪問リハビルを併用して治療することを確認して、この日退院しました。
でも、「悲しき未来予想図」はなにも変わらないのですが・・・・・・。
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