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言葉を遺す意味はどこにある?
僕はなぜ文章を書くのか。
一体誰にとって意味のある文章なのか。
誰にみて欲しいのか。
どうなって欲しいのか。
そういう事をふと疑問に思いました。
大前提、僕は病みやすいです。
めっちゃ病む。
壁にぶち当たった時とか冷たい対応された時とか、気に食わない人がいたりとかすると、簡単に絶望できちゃいます。
この世の中腐ってるなーと思う時もあります。
何で僕はこの世界で生きていくんだろうと、その意味をよく考えます。
そんな悩みや考えをわざわざ文章にして、何がしたいんだ。
と疑問に思うかも知れません。
だけど僕は感覚的に、僕が病む姿を世に出す事で、勇気付けられる人がいると信じています。そしてそれは僕だけができる事だと信じています。
僕は病みやすい。
だけどその中で、死なずに行動し続けられて20年間生きてきたのも事実です。
そんな、病むしすぐ傷付く僕が、傷だらけになりながら生きていく様をみたときに、「ああ私も頑張って見ようかな」と思って貰えるんじゃないか。
そう考えています。
僕の文章を見て欲しい人は、自分に自信がなくて、なかなか自分の考えを信じられなくて、よく色んな事を疑問に思う人。
何で生きてるの?とか、人間って愛だけで生きていけないの?とか。
後は生きていく意味を忘れてしまった無気力な人とか、自分の考えを理解してくれる人が少なくて孤独を感じてる人。
僕はそんな人達に対して、勇気を与えたい。
「明日も生きたい」と思えるような希望を与えたい。
案外この世の中って生きてみる価値あるかもなって思って、生きてて欲しい。
僕の文章を見て欲しい人は、総じて「生きづらさ」を感じている人です。
そこで僕は真剣に考えていきたい。
人はなぜ生きづらさを抱えるんだろうね。
うまく生きられない。
孤独だ。
好きな人から好かれない。
理想の自分から程遠い。
承認されない。
これが生きづらさを抱える原因か。
もし他にもあれば教えて欲しい。
じゃあ僕はその原因のどれにアプローチができるのか。
病みやすくて、簡単に人生を諦めてしまいそうで、人の目を気にしてしまい、生きてるのが虚しいと思ってしまう人に対して、何ができるのか。
それは、
病んでも生きようとしてる姿勢
人間に対する絶望感と希望感
悩みまくる姿
優柔不断な所
理想を追いかける姿
様々な切り口から考える思考
自分を理解されない事に対する悲しみ
好奇心旺盛で多様な知識がある
人に期待をしてしまう
と言う特徴を持っている僕だからこそできること。
つまり。
・マイノリティーの理解による孤独感の解消
・現実を進めるためのきっかけや勇気を届ける
・視点を増やすことで多様な考え方になれる
・人間ってこんなもんだよねという安心感が得られる
・ふと我に返った時に感じる虚無感の消失
・明日も生きてみようかっていう感情
こんなものを提供できたら、すごくすごく嬉しいです。
人ってなかなか自分の弱さとかを見せられないと思う。
できればかっこいい所を見せたいし、輝いてる所を見て欲しい。
弱い所を見せるのはダサいって思ってると思う。
だからこそ。
僕は弱さだけを見せていきたい。
どんだけ現実で豊かになっても、自信がない所を見せていきたい。
それが誰かのためになっているのであれば、こんなに嬉しいことはない。
そして、僕が文章を書く理由は、言葉を遺すと言うことに、すごく意義を見出しているから。
僕が尊敬しているRADWIMPSの人達の言葉で
「俺たちの音楽は残り続けるんだ。俺たちは言葉を話し続けるんだ。何千年後もずっと。そんな大それたことを大真面目に語った。」
って言う歌詞がある。
あの人達が音楽をやる意義が、言葉を遺し続けるであるように、
僕が文章を書く意義が、言葉を遺し続けるでありたい。
人はいつか消えてしまう。
どんな人でも寿命が必ず存在する。
死んだら、後に待っているのは「無。」
無
僕は無に対して怖さはない。
だってその怖さも、無の前ではもうすぐになくなる。
無になってもいいんだよ。
だけど。
だけど。
何か遺したいと思ってしまうのは人間の本能なのか。
自分が存在した証を残したい。
自分がこの世に生きた意味を残したい。
自分が、地球の何千万の歴史のなかに確かに存在していた。
生きててよかったんだ。
誰かのためになれたんだ。
そんな事を思ってる。