【論文解釈】望月昭(1993)「行動福祉」という立場は成立するだろうか‐障害児者福祉の研究・実践パラダイムとして‐. 行動科学, 32(2), 56‐59.

 本論文は、行動分析学の“最もふさわしい消費の場は、「臨床」や「教育」よりも、むしろ「福祉」と呼ばれるものではないか”、“福祉には、ヒューマン・サービスとしての科学的方法論が存在しない”という問題提起がなされている。 

 そこで筆者は、行動福祉学の提唱、行動福祉学の基本と作業方針の確認、行動福祉学とノーマライゼーションのとの兼ね合いを述べ、福祉のあり方を模索している。 取りあげられた内容は、非常に有用で、生産的な論点を提出しているように考えられる。

 筆者によれば、行動福祉学は“個人の行動に注目しそれを随伴性(contingency)という枠組みで捉え、当該行動成立に必要な環境設定を検討する”という。 “① 個体と環境との関係としての「行動」をその分析やサービスの単位とすること、②嫌悪(負の強化/嫌子除去による強化、正の罰/嫌子出現による弱化、負の罰/好子除去による弱化)によらず、「正の強化/好子出現による強化」の配置による行動の維持や増大を目指すこと”、そして実現持続させることが、行動福祉学の立場とする。

 いいかえると行動福祉学は、本人をとり巻く環境をアレンジし、個人の行動レパートリーの習得と行動のチャンスを保障するものといえるだろう。 オーダー・メイドの生活支援ともいいかえることができよう。 これらは同時に、本人と生活をともにする周囲の者にとっても、より手ごたえを得る事態にちかづくものとなることも意味している。 行動福祉学は、サービスとして科学し、利用者の権利および選択肢の拡大、要求や意見表明を支えるものといえるようだ。

ブログ「生活と人間行動」の記事(2005年6月16日)再記。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?