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30日間のインド滞在 – 気づきの記録 01
30秒で読みたい人向け
世界には親切な人と騙そうとする人の両方がいる。
こうした経験を通じて、人を見極める力が大切だと実感。
観察すること:顔や雰囲気、声から本質を感じ取る
眼鏡を使う:距離をとることで冷静に世界を見る
騙し・騙されにはお金が関係する:日常の中で人の欲が見える
「自分はどうありたいか?」と問い続ける。
人の善悪は状況で変わるけれど、今この瞬間を大切にし、善くあろうとすることが大事。そして、それを楽しむこと。
30日間のインド滞在
1月22日から2月18日までインドに滞在していました。
インドに行った理由は色々とあるのですが、ここでは書かずに
インドで「気づかせて頂いたこと」を書いていきたいと思います。
善い人と善くない人がこの世にはいる
当たり前だと思われるかもしれませんが、
インドに滞在して、この事実を如実に感じました。
こちらが困っているとき、身知らぬ方が本当に親身になって助けてくれたことが数えきれないくらいありました。
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例えば、ムンバイからプラヤーグラージまでバスで行く時の話です。
バスのチケットを日本で予約していたのですが、それが急遽キャンセルになってしまいました。僕はどうしてもプラヤーグラージで行われている宗教のお祭り(世界最大級の宗教行事とされるヒンドゥー教 クンブ・メラ)に行きたかったので、非常に焦っていました。バス停で黄昏ていると、見知らぬ男性がバスのチケットを予約してくれて、助けてくれたのです。彼は何も見返りを求めずに、僕がバスのチケットを入手できたのを確認すると何処かに去って行きました。
反対に、こちらが困っているとき、何かを奪おうと、騙そうとして近づいてくる人も数えきれないくらいありました。
それは日常の些細な出来事から遠くに移動するときのことまで様々な体験がありました。
電車で移動する際に、チケットを買わなければなりません。特に寝台列車や長距離の移動の時は、各駅で朝8時ごろからオープンする駅の外国人専用のチケット売り場で買わなければいけません。その際に、僕は非常に体調が悪く、フラフラの状態でそこまで向かっていました。そして、1人のインド人が僕に話しかけてきました。「この外国人専用のチケット売り場まで案内できるよ」と言ってくれたのです。僕はほとんど思考が働いていなかったので、そのままついていきました。
彼は途中で「私は日本人の友達がたくさんいて、Instagramでもつながっているんだ」と言い、Instagramである日本人の女性の写真を見せてくれました。そして、結局彼についていき、到着したところは偽の外国人専用のチケット売り場でした。僕はその時、騙されたと気づいたのです。建物自体が全然違うと気づいた僕は、そのままチケットを買わずに怒って出て行きました。
観察から始める
顔、全身から発せられる雰囲気に出ている
「善い人と善くない人がこの世にはいる」 と言う事実にはっきり気づいた僕は、 まずは「観察すること」から始めました。その人の顔はどのような顔をしているか、その人から発せられる雰囲気、オーラのようなものはどのようなものなのかということ地点から始めたのです。
例えば、「人相」という言葉があります。それは、人の性格や何かの滞りなど、あらゆるものが顔に表れているという意味の言葉です。これは非常に役に立つように思います。やはり、善い性格をしている人は良い顔をしています。そして、善くない性格をしている人は良くない顔をしています。ただ、これだけに頼ると、間違った先入観で接することになってしまいます。
発せられる雰囲気については、これはとても説明が難しいのですが、「ここに近づいたら危ない」「ここは通ってはいけない」と感じるような雰囲気がある道、小路、街のはずれなどがあります。それが人にもあります。何かしらのヒントのようなものが漏れ出しているのです。そういうものを敏感に感じ取る能力というのは、おそらく私たちが狩猟生活で学んできたものであり、本能に訴えかけるものだと思っています。
そういうものを感じ取ることで、危険を回避する。そういう能力が私たちにはあると思います。うさんくさそうな人は、必ずうさんくさそうな雰囲気やオーラを出しています。誠実そうな人は、誠実なオーラや雰囲気を出しています。そこで、まず観察から始めるのです。
眼鏡を買う
観察から始めようと思い、僕は眼鏡を買いました。
眼鏡を買った理由は、現実世界から距離を取りたかったからです。例えば、眼鏡は何かをよく見るために使いますが、僕はレンズを挟むことによって、現実世界から距離を置くことを目的に買いました。それは非常に効果的でした。なぜならば、僕には没頭してしまう癖があり、その癖によって、あらゆるものが処理できなくなるという問題があったからです。
機械に例えるならば、画像処理にパソコンのパワーを使いすぎて、他の作業ができなくなるような問題が多発していました。それが、眼鏡をかけることによって解決したのは、とても大きな気づきでもありました。
しかし、眼鏡をいつもかけていては、常に「眼鏡の世界」になってしまうので、時々外して、ちゃんと見るということもしています。つまり、眼鏡あり・眼鏡なしのバランスが大事だなぁと思いました。
声に耳を澄ます
僕は音を中心に人生が回っているので(わかりづらい表現ですが)、人の声を聞いて判断することが多いのです。
声にはあらゆる情報が詰まっており、元気のある人は元気な声、元気のない人は元気のない声、不安な人は不安そうな声、緊張している人は緊張しているような声、喜んでいる人は喜んでいるような声など、それぞれの状況を説明してくれるような情報が含まれています。僕はいつも耳をすまして、その声を聞いているのです。
そして、声は言語や見た目といった要素に騙される必要がありません。なぜならば、声はその人の内面を表すものだからです。僕の感覚では、声で判断すれば、視覚情報、嗅覚情報、肌感覚の情報といったファーストインプレッションとほとんどズレることはありません。
騙す・騙される = お金が絡むことが多い
これはとても面白い体験であり、アトラクションのようなものですが、「あえて騙されてみる」という経験もしました。
例えば、インドではミネラルウォーターを買うことが多いです。ミネラルウォーターは基本的には20ルピー(日本円で40円)ほど。しかしながら、僕が日本人だとわかると、ミネラルウォーター1本で50ルピーを取ろうとしてくる人もいました。それを楽しんで観察するというのも、インドならではの経験だったように思います。 電車のチケット、バスのチケット、屋台での食事、そして物乞いなど、基本的に騙す・騙されるという出来事には、お金が絡むことが多いように思います。
「何とかして、お金を、何かを他者から奪い取り、自分のものにしたい。」
この気持ちから、誰かを騙すことにつながるのだなぁと再確認しました。
「何が善で、何が悪なのか」
善と悪は、状況によって変わるものだと思います。
歴史を振り返っても、かつて「良い」とされたことが「悪い」とされるようになったり、その逆も起こったりしています。今起きているパレスチナの問題をはじめ、世界のさまざまな出来事も、立場や視点によって見え方が変わります。
僕が「善い人/善くない人」という表現を使ったのには理由があります。
「悪い人」と言い切ってしまうと、その人がずっと悪いままだと決めつけてしまいます。でも、人は変わるものです。
たとえば、今は「善い」行動をしている人でも、5秒後には「善くない」ことをしているかもしれません。逆に、「善くない」と思われる人が、次の瞬間には「善い」行動をすることもあります。
だからこそ、僕は「善い/善くない」という言葉を選びました。
大切なのは、今この瞬間の行動を見つめることなのかもしれません。
そして、「それを楽しむこと」
ここから始めていきたいと今は思っています。
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