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【小説】続・久湯梅(グユウメ)村 奇譚
※この作品は、過去に発表した「久湯梅村奇譚」の続編となります。おこがましい話ではありますが、そちらを未読の方は一読していただけると本作をより楽しめるかと存じます。
勿論、本作をお読み頂いてから前述の作品を…というのもまた一興でしょうから、どうぞご随意にお楽しみ頂けると幸いです。
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少し前、思いがけない仕事が舞い込んだ。
事件記事など普段殆ど書かない私が、人手不足から思いがけなく後に大スクープとなった記事の執筆をすることとなったのであった。
おかげでいつもより懐が温かくなったが、これはもう少し先まで温めようと思う。
とはいえ、もとより散財するようなタイプでもなく、余剰金があれば取材旅費やネタ探しに回してきたのではあるが。
結局、しばらくして私は、元の「きになる噂」コーナー担当に戻されたが、このところ寄せられるのは、真夜中のタクシー乗り場で辻褄の合わない話を繰り返す妙な女と出くわしたという話や、豪雨の夜、最終バスに様子のおかしな客を乗せたというバス運転士の話等、やれやれ、ここは酔っ払いや不審者情報募集コーナーか?とため息を吐きたくなるような投稿ばかりで、正直、その中から記事として取り上げ得るものを厳選する段階から、何だか馬鹿らしくなる有様だった。
もっとパンチの効いた、本当に奇妙な投稿は来ないものか…と思いつつ、ひょっとするとそう感じるのは、先日私が普段書かない事件記事を書き、さらにそれに絡んだ実に奇妙かつおどろおどろしい世界に片足を突っ込んでしまったせいかもしれない、とも思った。
実際に現場取材をしたわけではないが、取材班から送られてくる情報の生々しさといったら、事実である分「きになる噂」コーナーでそれまで追ってきたどのネタよりも好奇心を掻き立てられた。
それに、結果としてその前段階となった、今をときめく配信サイトでの超人気配信者男性への非公式取材もまた、最初の予想を遥かに上回る禍々しい展開に、本来ホラー作家志望である私は、恐怖を感じつつ、内心胸を躍らせてもいた。
その、元人気配信者・サンガン氏は、私が記事を書いた事件に少しだけ関与しており、事件が起こるきっかけを少なからず作ってしまったことに責任を感じて配信業を辞めたのだが、現在は電気工事士として細々と生計を立てていることを最近メッセージにて知らせてくれた。
しかし彼が現役で配信を続けてくれていたなら、ネタには事欠かなかったかもしれない、と思うとかなり惜しまれる。
何故ならサンガン氏は、きになる噂コーナーの購読者で大のホラー・オカルトファン、そしてそれが高じて今回の事件の容疑者に振り回されてしまったくらいなのだ。
その件さえなければ、今もきっと私の琴線に触れるようなネタを提供してくれていただろう…実に惜しい。
そんなことを思っていると、スマホが鳴った。雑誌社の担当からのLINEだった。
「◯◯先生、社の代表メールアドレスに内容的に恐らく"きになる噂"コーナー宛かと思われるメールが入っていたので今から転送します」
「ありがとうございます。すぐ確認します」
LINEとは便利だ。要件だけをパパッとやりとりできて、メールのように長ったらしい書き出しや結びの定型文がいらないので、重宝している。
早速、PCを開いてメールをチェックしてみる。
「これか…な、何だって⁈」
私は腰を抜かしてしまった。
その件名が「久湯梅村の秘密」だったからだ。
「久湯梅村の呪いは本当だ
あの村は廃村になっているが
まだ一軒だけ残っている
いや残されているのだ
呪われた一家がひっそりと」
…自らの潜在意識が鳴らしていた警鐘とは、これだったか。最初の印象はそんなものだった。
久湯梅村とは、1980年代に隣接する渕上町(現在の渕上市)との吸収合併という形で消滅し、現在では廃村となっている村である。
例によって、私が記事を書いて大スクープとなった、衣笠(キヌガサ)エリという女性が実姉である相藤(アイフジ)マリに殺害された事件の現場が、まさにその"旧久湯梅村"地域に該当する土地であった。
そして、その近くを通った「地元住民」2名の証言によって手がかりが得られたおかげで、危うく自殺として処理されてしまうところだったが、捜査方針は他殺に切り替えられ、犯人逮捕と相成ったのであった。
無人集落であるはずの地域に短時間にそれぞれ別々の2名の"地元住民"が通りがかるのにはそれなりの理由があるのだろう、とは以前も考えたことだが、今回寄せられた投稿は、恐らくそれと無関係ではないような気がして仕方がなかった。
恐らくその"残された一軒"こそが「呪い」の正体なのであろう。
私は、この匿名のメールの送り主の趣旨はそこにあるのだろうと確信した。
そしてこれは私にしか書けない、むしろ私が書かねば誰が書く、"きになる噂"コーナーには勿体無いインパクトがある、と判断し、投稿採用を即決、実際にB県渕上市鵜貫台…旧久湯梅村地域への出張取材を決意した。
編集長の許可が下りなければ、また有給を使うこととなり、旅費等も全額自費になるが、先日のスクープ記事での報酬もまだ殆ど手をつけておらず、また発表した後の反響を考えると、お釣りの方が多くなることも確信していたが、思い切って編集長に打診してみた。
すると編集長は、あっさり許可してくれたばかりか、このネタは確かに今までに無い凄みがあるし、先日君に書いてもらったあの事件にも少なからず絡みがあるようだから、掲載号は「きになる噂」コーナーを特別編として、通常の2倍以上のページ数にするのはどうだろうか、と有難い提案も頂けた。
早速私は、出張の申請を出し、渕上市鵜貫台までのルートを確認した。
サンガン氏のように、まだその地が陰惨な事件の現場だと判明する前と違い、私の寄稿している雑誌は勿論、他社の誌面にも詳しい場所が載せられたため、幸か不幸か現地までの行き方を知るのには困らなかった。
新幹線でB県の中心地にある駅まで行き、私鉄に乗り換えて渕上駅で降車、その先はレンタカーを使うこととなる。
しかし、クルマで行けるのは現地の少し手前くらいまでであり、その後は少し足下の良くない道を徒歩で往く。
とりあえず、3泊4日の出張許可を貰えたので、上手くいけばかなりの情報がつかめるであろう。
編集長も、特別編の企画を組んでくださるというのだから、とびきりの記事を書こう、本家ホラー作家も真っ青の、呪われた廃村の伝説…気がつくと、私の中で野心がフツフツと音を立てて沸いてきているような感覚を覚えていた。
そんな時、編集長が何か電話を受けていたが、その様子がどうにもただごとではなさそうだった。
「国分寺か…ああ、すぐ現場に行ってくれ。まだ警察やら近所の野次馬やらがウロウロしているはずだ。他の皆にも声をかけて関係者を当たらせるから、何かわかったらこまめに連絡してくれ、いいな」
「編集長、何か事件ですか?」
「ああ、国分寺のマンションで、男性の変死体が発見されたそうだが、どうにもそれが他殺の疑いがあるらしい。そうなるとウチみたいなスクープネタで売っている誌は、被害者の事情や何かを探らねばならないからな、いま武内くんがそのネタを掴んだらしく連絡を寄越したんだが、すぐ現場へ行って取材するように伝えた」
武内とは、先日私が相藤マリの自白の記事を書いた際に、D県の養護施設で起きた過失致傷事件の元容疑者の記事について最も最前線で関わっていた優秀な事件記者である。
ひょんなことから言葉を交わすようになり、今ではかなり気心の知れた仲だ。
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渕上駅に着いて、私は驚いた。
埃っぽい地方都市を想像していたのだが、駅前には実際は東京とそう変わらぬ近代的なビルが立ち並び、駅ビルも東京都下の私鉄のそれとほぼ変わらない雰囲気であった。
不思議だったのは渕上市役所が、そんな駅前からクルマで30分ほど走ったところにあったことだ。
随分と駅から離れているものだな…と思いつつ、私は、レンタカーを市役所の駐車場に滑り込ませた。
渕上市役所の地域担当職員は、突然訪れて妙な質問をした私に、思いのほかよく喋ってくれた。
20代半ばくらいの、実直そうな少し小太りのその職員は、私が出版社の名刺を渡して、衣笠エリさん殺害事件について…と述べた時点で、ああ、あの時はテレビから雑誌社から人が詰めかけましてね…とその際のことを半ば感慨深そうに話し出した。
「最初は警察の方へ行ったみたいなんですが、犯人であるお姉さんだという人が実際に捕まっているのは東京の警察だということもあり、その関係で半分以上の権限がそちらに移管される最中で大忙し、とかで追い返されて、こっちへ来たみたいでした」
愛想の良いその職員の名札を見ると「林」とあった。すると私の目線に気づいたのか、林職員はいそいそと名刺を差し出した。
「ああ、申し遅れておりまして、失礼致しました。私、林カズノリと申します」
名刺には「渕上市役所 地域住民課 林一憲」とあった。
「いえいえ、ご丁寧にありがとうございます。良い漢字を使われていますね」
「それが、私の父親がへそ曲がりでしてね、母は憲一、にしたかったらしいんですが、丁度同時期に生まれた従兄弟が恭一、と名付けられたからといって、似たような名前では気に食わない、と憲一の一と憲をひっくり返してこうなったわけです。その上、読みまで"イッケン"にされかけましたからね…それではまるで老人か僧侶です。しかしそこで祖母が止めに入り、この読みになったんです」
「そうだったんですか、そんな経緯のあるお名前だと、かえって愛着が湧くんじゃないですか?」
「おっしゃる通りです。父のへそ曲がりには困ったものでしたが、母と祖母、そして父の想いのこもった、有難く、素晴らしい名だな、と最近になってから思うようになりました」
林職員は、だいぶ孝行息子のようである。
「林さんは、ずっとこちらにお住まいですか?」
「ええ、生まれてこの方、渕上を出たことはありません。小学校から高校まで渕上で、大学こそ隣県でしたが、実家が辻方駅にほど近かったので、そのまま通学しました。で、その後、この役所に就職したんです」
「ああ、辻方駅ですか、渕上駅の次に大きな駅のようですね」
「そうです。しかしその辻方駅からも渕上駅からも離れた場所に役所があるのもおかしな話だと思われたでしょう、理由は話せば長くなってしまいますが、移転したんです、昨年。元は渕上駅にほど近い土地にあったんですが、何とも辺鄙な場所に追いやられたものです。建物や設備の新しさは良いのですが、住民の方にはあまり評判はよくないみたいで」
林職員は、私の抱いていた疑問をそのまま口にしたが、それはやはり他所から訪れる者の大多数が考えるであろうことだからのような気がした。
「確かにクルマで30分は少し驚きましたが、道が整備されているのと、親切な案内表示のおかげで難なくたどり着けましたよ」
「それはよかった。まあ私なども自宅から近くなったので、かえって助かっているくらいです」
「今はご実家ではいらっしゃらないんですね」
「はい、昨年の秋に結婚しまして、今はこの近くの一軒家を借りて妻と二人暮らしです」
よく見ると、林職員の左手薬指には、その朴訥とした雰囲気には失礼ながらあまりそぐわないシンプルな銀の指輪が嵌められていた。
「林姓は、この辺りではかなり多いですよ。先日の事件現場である、旧久湯梅村などは旧村民の殆どが林姓で、離村の際、この辺りに移ってきた方も多いですから」
「では、その旧村民の方をどなたかご紹介頂くことはできますか?」
昨今の役所は、そういうことは警察関係者か法曹界の人間でもなければ、個人情報保護法の関係でまずアウトであろう、そう思ったものの、ダメ元で尋ねてみた。
すると、彼の反応は意外なものだった。
「役所から、となると難しいんですが、◯◯さんは運が良いですね、私の祖母が丁度久湯梅村の旧村民なので、私の方から言っておきます。
祖母は、都会から来た方と話すのが好きなようで、先日の事件の際に訪ねてこられた東京の警察の方々や多くの記者さんたちとも熱心に話をしていたようですから、きっと大丈夫だと思います」
彼は屈託のない笑みを浮かべて、私の名刺を見返した。
「東京からのご出張ということは、こちらで何泊かされますよね?」
「ええ、差し当たり3泊4日の予定で、宿は渕上駅前にビジネスホテルを取りました」
「それならば、きっと祖母もどこかで都合をつけられるはずです。そろそろ昼休みですが、私は今日は電話番ですので、祖母に連絡できるのは午後イチくらいなりますけれど…連絡が取れたら、こちらの携帯電話にお電話差し上げる、ということで如何でしょう」
「ええ、是非ともお願いします。林さん、本当にこのご縁には感謝しますよ」
すると、窓口の中のデスクに座っていた職員の数人が一斉に私に顔を向けた。私が戸惑っていると察したように、対応してくれた林職員が笑いながら言った。
「ここの職員も林姓が多いんです。◯◯さんがあんまり義理堅いので、自分が言われたかとつい反応してしまったのでしょう。尤も、普段は皆、苗字では呼び合いませんけどね。私も下の名前はカズノリですが、他にカズオとカズヒロがいて、さらにノリアキがいますもので、先程話した頑固な父が名付けようとした"イッケンくん"なんて呼び方で通っています」
孫の林職員が、これだけ話好きであれば、祖母にも期待が持てそうである。
「お祖母様はどのあたりにお住まいですか?」
「ああ、この近くで、小鷺野という土地にひとりで住んでいます。話好きなのにひとりぼっちですから、私もこの年になっても訪ねると4、5時間は返してくれません」
林職員は照れくさそうに言った。
店舗兼住宅といった感じの、モダンな一軒家の門の呼び鈴を押す。
「夜分失礼します、お孫さんの一憲さんからご紹介頂きました、雑誌記者の◯◯と申します」
「あぁ、カズくんがお昼頃言っていた記者さんですね、少し待ってください」
やがて扉が開き、老女が顔を出す…かと思いきや、70代とはとても思えない、若々しい服装にメイクもバッチリ、どう高く見積もっても50代くらいにしか見えない女性が姿を現したものだから、大層驚いた。
「林聖子(きよこ)さんですね、林一憲様のお祖母様の」
「左様でございます。事件に関係することで村のことを聞きたいと。まぁ、何もないところですが、ごゆるりと。そうそう、記者さん、お夕食は召し上がりましたか?」
「いえ、まだですが」
「それなら、これから夕食を支度を始めるところです、ご一緒にどうですか、そろそろ里芋がおいしくなってきましたから今日は筑前煮を拵えたんですよ」
「ではお言葉に甘えて」
私は、その柔和だがどこか魅惑的な聖子の笑みに、半分気圧されるような形で承諾したが、渕上駅前にとった宿は素泊まりであり、コンビニかファストフードで済まそうと思っていたので、思いがけず家庭料理が食べられることになり、少しだけ嬉しかった。
ーーー
「確かに記者さんのおっしゃる通りです。しかし、どうやってそれを…あぁ、カズくんから聞いたわ、何でも、事件に関係があるという投書があったとか」
事実とは多少の違いがあったが、大きくは違わないので、特に訂正はしなかった。
「旧久湯梅村地域の、この前、若いお嬢さんが亡くなられたあの現場から流備川をさらに上流に向かった奥の方に、かつての集落はありました。私が子供の頃は、山奥でありながらわざわざ渕上の街に出かけずとも生活が成り立つくらいに栄えた村で、地質上、農業には向かない土地でしたので、林業が主な産業だったんです。私の同級生もお父様が何らか林業に関わっている方ばかりでした」
「聖子さんの親御さんは」
「私の父は、規模は小さいですが、地主のようなものだったので、不動産屋を興し、村の土地の管理をしておりました。父が亡くなってからは、私の主人が継ぎました。婿取りだったので、主人は私と結婚するまではきこりであった自身の父親の手伝いのようなことをしていたのですが、以後は私の父の元で見習いから始め副社長になって数年後、父が亡くなったので、後を継いで社長に上がりました」
「ご主人は、村を離れられる際、その不動産屋さんをどうなさったんですか?」
「勿論、そのままこちらに移転しましたよ。その後も旧久湯梅地区の土地の管理をしながら、今度は不動産賃貸業にも手を伸ばしました。主人も数年前に亡くなりましたが、事業は今も長男、一憲の父親の兄なんですが、それが引き継いでいます。隣に事務所がありますでしょう?そちらが長男の会社兼店舗です」
それで、店舗兼住宅のような作りだと感じたのか…不動産屋なら看板でわかりそうなものだが、閉店後でなおかつ街路灯の整備状況が良くないせいか、この時間でどうしようもなく暗くなった中では目に入らなかったのかもしれない。
しかし、これだけ広い邸宅であるというのに、長男だという人が同居している気配はなさそうである。
「ご長男さんは、ご一緒に住まわれてはいないんですね」
「ええ、おっしゃる通りで、最初はここが事務所なんだから、と結婚してからしばらくは同居していたんですが、そのお嫁さんという方が、これがもう、神経質でいけません。早い話がわたくしと合わなかったんでございます。
わたくしが追い出したような言い方をされる方もいますけれど、実際は長男夫婦の方から、自分たちの扱っている賃貸物件のひとつに引っ越して行ったのです」
「そんなことがあったんですか、失礼ながら嫁・姑問題はどちらでもわりと深刻なんですね」
「記者さんのところもそうでしたか?」
「いえ、私は母ひとり子ひとりの家庭でしたから、自身の身内ではそういった場面には出くわしたことはありません。しかし、何ですか、長年この仕事をしていますと多少なりともそのようなことにも首を突っ込む機会が無いでもありませんから」
私が自嘲気味に言うと、聖子は目を細めながら言った。
「まぁ、それじゃあまた違った苦労がありましたでしょう…しかし、お母様も記者さんが立派になられて、喜んでおられますね」
「生憎と母は、私が高校生の時分に病気で亡くなりまして、私が成人するのを見ないままでした。以来、天涯孤独のような身の上ですが、好きな仕事に就いてこうして生きていられるので、寂しくはありません」
「あら、また悪いことを聞いてしまいましたね、記者さん、本当にご苦労なさって…カズくんからはとても印象の良い方だと聞いていましたが、それだけでなく、世の中をよく知ってらっしゃるのですね。それならば、お話ししましょうか、今の旧久湯梅村地域について」
聖子の話はこうだった。
「あの集落の片隅では、今も林ミキエさんという、わたくしと同じくらいの歳の女性が、50をいくつか過ぎた娘さんと二人で暮らしておりまして、ミキエさん自身はしっかりした良い方なのですが、問題は」
聖子は、一度深いため息をつき、遠い目をした後、続けた。
「その、50をいくつか過ぎた娘さんなんですのよ。名前をイトエさんといいまして、ミキエさんのご長女なんですが、もう何年もいわゆる引きこもり状態でして。ミキエさんにはもう一人娘さんがいたんですが、若くして災害で亡くなられましたの。名前をサトエさんといったかしら。まだ24、5歳だったと思います。村の診療所の看護婦さんで、お嫁入りもそろそろ、なんていう時期に、お気の毒でした」
ミキエとイトエ、それから夭折したという次女のサトエの3人は、かつては辻方駅前に住んでいたという。
しかし1993年頃ミキエは夫と離婚、故郷である旧久湯梅村地域にある実家に帰ってきた。
その理由と、娘のイトエについては、大の話し好きと見える聖子も、詳細は口を閉ざす有様だ。
「人は、生きていれば色々なことがありますからね。ミキエさんもイトエさんも墓場まで持って行きたいことのひとつやふたつ、あってもおかしくはないでしょう」
「聖子さんは、いつ頃久湯梅村を離れられたんですか?」
「私は、合併の少し前…久湯梅村の名が消える前に、主人とふたりの息子と共ににこの地へ移りました。既にあの村の主な産業であった林業も廃れつつありましたから、そうなると必然的に利便性が悪くなり、主人の仕事にも支障が出るようになるわけです。ですから、他の村民の方よりもひと足早く、思い切ってこちらへ来たんですのよ」
「しかし何故、旧村民の方の多くは1993年から94年にかけて急激にあの地区を離れ出したのでしょうか。それより数年前に当時の渕上町に吸収される形で廃村にはなりましたが、その当時だというのならわかります。しかし…」
「そこは、私の口からはちょっとご勘弁願えますか。ひとつ言えるのは、ミキエさんが隠れるように生活しなければならなくなったのも同じ理由です。ただ、ミキエさんのことは、もうそっとしておいてあげたいんですの、私は」
「そうですか、いえ、色々お話し頂き、ありがとうございます。では、その林ミキエさんに直接お話しを伺うのも」
「難しいと思いますよ。冷たい言い方になってしまいますが、記者さんならば過去の事件を調べることはお手の物でしょうから、そうすればミキエさんについてもきっとわかるはずです。申し訳ありませんが、私がお話しできるのはここまでです」
「もしかして」
「まだ、何か…」
「衣笠エリさんの遺体が発見される30分ほど前に現場を通りかかった方というのは…」
「ああ、それならすぐわかることですから、お答えしますよ。ミキエさんです」
何と、「呪い」の鍵を握ると思われる林ミキエが、当初自殺と断定された衣笠エリが実は他殺であることが判明するきっかけとなる証言をした人物であった…。
実際のところ、私はその人物こそが目の前で私の茶碗に急須から茶を注いでくれている、林聖子だと思っていた。
その人物は"地域住民の70代の女性"というところまでは取材班から送られてきた情報から他でもない私が記事にしたことであるから、よく覚えていた。
聖子ならば、鵜貫台からはそう離れていないこの土地に住んでいるわけで、加えて孫の一憲の話、実際に会って話してみての感覚…そんなことから、決め手を得たような気がしていたのだが、まさかの展開であった。
それに、聖子が嘘を言っている様子もなく、調べればすぐわかる、と付け加えていることから、実際に当該人物は林ミキエなのであろう。
亜辻郡渕上町は、2002年の平成の大合併で周辺の町村をさらに吸収し、渕上市に昇格している。
私は、役所で聞いた話を整理してみた。
そして改めて林聖子の「過去の事件について調べるのは記者ならばお手のもの」という言葉が思い出された。
過去の事件…確か、久湯梅村を知るきっかけとなった、元人気ライバーのサンガン氏のライブ放送の際にも、過去の事件が呪いや掟に関係しているという噂が流され、それはサンガン氏、厳密には丹田マナミを廃人に追い込むための相藤マリによるデッチ上げだと判明した上に、その相藤マリが当該事件の真犯人だった。
サンガン氏に取材する前に、私は「過去の事件とは何か」というところから調べた。
しかし、「久湯梅村 事件」ではヒットせず、廃村後かもしれない、と「渕上市 事件」で再び検索をかけて、あの衣笠エリの事件…当時はまだ自殺とされてはいたが…の記事を見つけた。
その時、他に2件、ヒットした事件があったことを思い出し、私はPCを立ち上げると、再び「渕上市 事件」で検索をかける。
当然のように、今となってはトップに来るのは、衣笠エリ殺害の真犯人にして被告となった相藤マリが公判待ち状態である例の事件であるが、私がサンガン氏の久湯梅村からのライブ放送についての噂話として耳にした事件、としては跳ね除けたものの、実際に久湯梅村が呪われた村としての扱いを受けるようになった根源となる事件が他にあったのだ…
かつての久湯梅村地域に、不自然に取り残された形で現在も居住しているという林ミキエ・イトエという、高齢の親子。
彼女たちはかつて、渕上市でもかなり開けた地域である辻方に居住しており、かつ、1993年ごろ、ミキエは離婚し、逃げてきたかのように久湯梅村の実家に帰ってきたという…
何故、今の今まで気づかなかったのだろうか。
いくら犯人の姓が変わっているからと言っても、土地や犯人の名前もそうそうありふれたものではない。
1992年に渕上町字辻方の小さな保育所で起きた、保母による連続幼児虐待殺害事件…犯人の保母の名は"真田イトエ"当時23歳、しかし、心神喪失状態であったとされ、3人も殺害しておきながらかなりの減刑がなされ、世間からも非難轟々であったという…
さらに記事を読み進めてゆくと、犠牲になったのは、鍵田萌人くん(当時4歳)、玉井成美ちゃん(同3歳)、赤戸法子ちゃん(同4歳)、であり、いずれも日常的にイトエの虐待を受けており、それがエスカレートする型で殺害されたとのことであった。
ニュース記事としては、そこまでの情報だったが、世の中には何事にも好事家と呼ばれる人間はいるもので、さらに"真田イトエ"で検索すると、過去の事件史まとめのホームページがいくつかヒットした。
そのうちのひとつが、かなり当該事件について突っ込んだ内容まで詳しく書かれており、作成者は当時の週刊誌等の記事等も丁寧にとってあるかのように、イトエやその母親であるミキエについてもかなり詳しく書いてあった。
イトエが逮捕・起訴され、懲役2年の判決が言い渡された後、当然被害者の親や親族たちは納得せず、裁判のやり直しを求め、さらに事件現場となった保育所からは他の子どもたちも全員一斉に退所、石が投げ込まれ、電話が絶えず鳴り響き、当時の所長であったイトエの母・ミキエもかなりの嫌がらせを受けた。
そんな中、先代の所長であり、ミキエの当時の夫の母である真田アキノから、離縁を言い渡され、ミキエは、やはり保母として働いていた下の娘・サトエを連れて実家に帰らざるを得なくなったという。
真田イトエは、母のミキエが所長を務める保育所で働き始める前は、かなり荒んでいたという。
中学の頃から非行に走るようになり、高校へは進んだものの、親に無断で中退後、D県へと家出し、繁華街で遊び呆けていた。
しかもその間いずれも父親不明の妊娠・出産を3度もし、うち2人はしばらく育てた後、里子に出したようだが、3度目の18歳の時の出産は双子だったこともあり、育てきれないと思ったイトエ本人が、養護施設の前に置き去りにした。
しかしどういうわけかそれが両親に知れてしまい、実家に連れ戻され、保育専門学校に放り込まれた後、保母となるが、本人の希望ではなかったため退勤後はまた親の目を盗んでは夜遊びにふけるようになり、その挙句に遅刻・欠勤を繰り返していた…それだけならまだしも、イトエのストレスの捌け口が、いたいけな幼児たちにまで及んだのは、悲惨だったとしか言いようがない…
ミキエや妹のサトエまで、反論の余地もなく実家へ帰されたのも無理もない話である。
ーーー
電話が鳴る。編集部の担当からだった。
「◯◯先生、ご出張中に失礼します、山鹿編集長から連絡ありませんでしたか?
先日都内で起きた事件なんですが、どうもその被害者というのが、先生が今取材されている件と関係がありそうだというんですよ」
「何ですって?メールか何かですか?すぐ確認します」
慌ててPCを開くと、確かにいくつかメールがきているうちのひとつが編集長からであった。
◯◯くん
お疲れ様。
国分寺のマンションで男性の変死体が発見されたあの事件だが、何とその被害者が渕上市の出身で、挙句に、君が追っている林ミキエ・イトエ親子の関係者のようだ。
林ミキエの旧姓は、真田、だったな。
今回の被害者の名前は真田信彦45才。
取材班が色々調べていくうちに、真田が林ミキエの元夫・真田耀一の甥であることが判明した。
真田耀一は、現在渕上市の隣の天掛市に居を移しており、真田信彦には彼以外身寄りがないため、身元確認に来てもらった。
その際戸籍を調べたら、真田耀一に離婚歴があることがわかり、元妻は、林ミキエで、林イトエは実の娘だった。
久湯梅村関係者で、2人目の死者が出たことになる。
しかし、衣笠エリ殺害の犯人・相藤マリは既に起訴され、拘置所に収容されているから、犯行は不可能だ。
犯人は他にいて、いずれ割れるだろうが、私にはこの事件が衣笠エリ殺害事件と全く無関係とは思えない。
それから、これまたひとつ、奇妙なことが、わかったので併せて伝えておく。
D県の児童養護施設で丹田マナミという女が過失致傷事件を起こした事件、君が衣笠エリ殺害事件の記事を書くきっかけを作ったようなあの事件だ。何と衣笠エリ、相藤マリ姉妹は事件の起きた養護施設、千華園会・ひなぎく園の出身だった。
これも偶然とは思えないだろう?
単なるコラムしてはかなりデカいネタになるはずだ。どうか頑張ってくれ。
山鹿
久湯梅村には、思った以上の恐ろしい事実が潜んでいる。
D県の養護施設…そして置き去りにされた双子。
1992年に23歳だった林イトエが18歳だったのは、1987年ということになるが…相藤マリは、現在35歳。
双子の妹である衣笠エリは昨年12月に34歳で亡くなっているが、生きていれば当然マリと同い年である。
まさか。単なる偶然であろうか。
相藤マリは、自分は生まれて間も無く養護施設に入れられ、実の母親の顔も名前も知らないと言っているとのことだったが、本当は林イトエがその人であるということを知っていたのではないだろうか。
どういう経緯で知ったのかはわからない。
しかし、そうでもなければ、D県の養護施設で中学まで過ごし、その後東京の養父母のもとで育ったはずのマリが、何故、旧久湯梅村地域を妹の殺害現場として選んだか。
それについては、未だ本人も口をつぐんだままだという。
まだまだ、この件は完結していない。
私は、3泊4日全てを渕上市で過ごす予定であったが、急遽一泊で宿をチェックアウトし、D県へ飛ぶことにした。
渕上市の宿泊代は、3泊分先払いしてあるが、キャンセルしたとて返金されるわけではないし、さらにD県での宿泊代がプラスで発生することにはなるが、それを自腹でどうにかしたとしても、この記事の完結に必要な情報はD県に行かずしては手に入らないであろうことを考えると、けして無駄な出費でもないと私は思った。
翌朝、編集長から知らせのあった事件の概要について、事件記者である例の武内に昨夜送ってくれるよう頼んだものがメールで届いていた。
それによると、国分寺市S町のマンションの一室で、会社員の真田信彦さん(45)が、死亡しているのが発見された。
被害者は離婚直後であり、弁護士が何度か元妻の依頼によりスマホに電話をかけたが、一向に出る気配はなく、最終的には電源が切れているか電波の届かないところにあるとのメッセージが流れるようになっため不審に思い、直接部屋を訪ねてチャイムを押したが出てくる気配はなかったという。
弁護士は、やむなくドアノブに手をかけてみたが、施錠されていた。
逃亡を図ったか、或いは素知らぬ顔で出勤しているかどちらかだと考えた弁護士は、被害者の勤務先のM企画に連絡してみた。すると数日前から体調不良で休んでいるとの返答で、これはますますおかしい、と警察に連絡し、マンションの管理会社に鍵を開けてもらうと、真田氏は寝室のベッドで既にこと切れていたという。
検死の結果、死後3日程度は経っており、さらに司法解剖に回してみると、僅かに青酸系の毒物が血中から検出され、さらに右腕の肘の内側に注射痕が認められた。
元妻の証言によると被害者は生前右利きだったとのことで、遺体発見現場から注射器も発見されていないことから、警察は、何者かに毒物を注射される形で殺害されたものと断定…
何かおかしい。真田氏の遺体を確認したのは、伯父の真田耀一氏…林ミキエの元夫にして、林イトエの実父…だったはずである。
記事では、元妻の証言が…というくだりがあるが、自分に疑いがかかってもおかしくないような証言をするくらいなのだから、いくら離婚直後でも遺体の確認くらいしても良さそうなものである。
わざわざ遠くB県から高齢の耀一氏を呼び寄せる必要が果たしてあっただろうか…
いや、この事件は私の担当ではない。続報を追う必要はあっても、そこまで深く首を突っ込んでいる場合ではない…少なくとも今は。
続く
※この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは一切関係ありません。