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【小説】君のいた風景と、僕の毎朝の想いと。

 君と並んで見た、あの日のあの風景を忘れない。現に僕は、それを反芻するかのように、その時の録画を毎日眺めて過ごしている。
 これは、君への贖罪の意味もあったが、君は赦してくれるはずもないだろうし、赦してもらおうともいう方が図々しい話だ。
 しかし一日として君を思い出さない日はない。相変わらずこんな僕だ。不甲斐ない、情けない男だと嗤ってもらっていい。

 夢のように幸せだった、笑顔の溢れる日々。
 しかし慣れてしまえば、君もまた風景の一部のようになってしまっていた…もう2度と、見ることができなくなるとも知らず、僕はその風景に甘えていた。

 そして、君をその風景から消し去ってしまったのもまた、他ならぬ僕であること…今でも信じたくはない事実である。

 僕は、君が精神を病んでいることを、出会った時から知っていた。
 君は、確かに時々不思議な言動をするが、根は優しく、誰かを思いやる気持ちの強いところに強く惹かれた。気まぐれなところにも時々戸惑ったが、それさえも可愛く感じるほど、君を愛していたあの頃。

 君の病状を悪化させた原因は、少しは僕にもあるのかもしれないが、大半が別の要因だった。
 君は、大きなトラウマを背負っており、それでもそれと果敢に闘っていた。
 しかし、そうしていくうちに、君自身が気づかないうちに君の心はさらに蝕まれていっていたことに、僕は気づいてやれなかった。

 仕事もなかなか続かず、以前にも増して不可解な言動をするようになってゆく君を、僕は単に困った人間として捉えてしまったことは、今になって非常に悔やまれる。
 君は苦しんでいた。しかし、その状態があまりに過激になっていくのを目の当たりにした僕は、君を軽蔑するような言動に出ることも増えていった。

 そして、君の一挙手一投足までもが僕の許容の範囲を超えてしまったころ、とあるネット上での交流会を通じて、一人の女性と知り合った。それがマナミだった。
 僕より1歳年下だという彼女は、それを感じさせない無邪気さ、明るさにあふれており、日々、不可解で過激な言動を繰り返す君に疲れていた僕が、そんな彼女に好意を抱くのに時間はかからなかった。

 マナミの配信サイトでの配信は、まこと楽しいものだった。彼女の本当に天真爛漫でまっすぐな性格、本当は照れ屋なのについツンケンしてしまうギャップ、そして体があまり丈夫でなく、風邪をひいただけで入院するほどの事態になった時は、何よりも、誰よりも心配した…君のことよりも。

 また、世のため人のために働いているのに、ほぼサービス残業のような仕事を持ち帰ってでもしなければならず、それに見合ったお給料も貰えない、と寂しそう話してはいたが、それでも前向きに仕事に向き合う姿勢は、病気のためとはいえ仕事が続かない君と比較してしまえば魅力的でしかなかった。

 マナミと個人的にLINEでやりとりするようになってからは、深夜に開かれる配信の後、僕がメッセージを送信して眠りに就き、翌朝、彼女からの返信が来ていると、一日のスタートを幸せな気分で切れるようになった。
 そしていつしか僕は、マナミからの返信を心待ちにして就寝するようになっていた。

 あの頃の僕は、本当に残酷だった。日に日に病状が悪くなって行く君に対して、憚ることなく、そのことを話していたのだから。
 君がそれを聞いて、良い気分がしないことも気にすることなく、僕はマナミがいかに魅力的か、彼女の配信がどんなに楽しいか等を夢中になって話して聞かせた。彼女とは仲良しだ、とも幾度となく口にしたと思う。

 結果として君は、君を苦しめていた要因そのものには打ち勝ったが、そこにきて僕が致命傷を負わせることになってしまった。
 マナミの誕生日が近かったのも災いした。彼女に誕生日プレゼントを贈りたいと、僕は無神経にも君に話すと、それなら住所を教えてくれるようお願いすれば良いじゃない、と君は言った。
 仇敵以上の存在でしかない相手についてそんなことを言ったのは、その時、既に君の意志は固まっていたからかもしれない。僕は愚かにも言われた通りにLINEを送ったが、彼女からはそんな気遣いはいらないよ、との返答だった。
 僕はそれをマナミの謙虚さと勘違いをして、またしても褒め称えてしまった。

 後から考えれば、君がそれを嘲笑ったのも無理もない話だった。実際のところ、僕は全くマナミには相手にされていないも同然だったのだから。そもそも初めからマナミが僕を恋愛対象として見ることなどあり得ない話だったのである。
 配信サイトやLINEで親しげな言葉をかけてきたのも、理由は別にあったのだ。
 しかし僕はマナミも同じように僕に好意を持ってくれていると信じて疑わず、彼女に対し直接ではないにせよ、ある程度の金銭を費やしてしまっていた。

 それでも、その頃はもう回復の見込みのないほどに衰弱してしまっていたというのに君は、直接的な形で表現できないだけで、僕を案じ、愛してくれていたことを僕は知っていた。
 しかし、その時は君のそんな気持ちを邪魔に思うくらいにマナミに熱をあげていた僕は、君にそれ以上ないであろう酷い言葉を投げかけてしまった。

「マナミと暮らした方が、寿命が縮まなくて済む。」

 冷静になってみれば、まともな人間のする発する言葉ではなかったとわかると同時に僕は自分で自分を殴りたくなる。
 さらに、君のことはもう愛していない、その種の病気の人間にはもううんざりだとも告げた。
 僕は引き続きマナミにわずかながらも金銭を注ぎ込みながら、君に対しては安月給だ、居るだけで出費が増えるのだから、もっと僕に渡せる金額を増やせるようにしろ、と罵った。

 しかし、その時、僕の言葉を受け止めてか、君は頽れそうになりつつも立ちあがろうとしていた。
 前職よりも給金の高い、新しい仕事を見つけて、続けていこうと心に決め、自らを立て直そうとしていたのだ。
 しかし、僕はそんな君に関して、やっと真人間になる気になったかと思っただけで、マナミともっと親密になることばかり考えており、ろくに話を聞こうともしなかった。

 そして、君はいなくなった。

 マナミには君のことを話してしまっていたから(しかも実状よりも酷いような伝え方を意図的にしていた)、そのことを報告した。
 マナミは、僕が気狂い女から解放されてよかった、というようなメッセージを寄越した。
 さらにもっと酷い言葉も並んでいたが、到底ここで口に出せるようなものではない。僕が言えた口ではないかもしれないが、僕以上に非人道的な、まともな神経では浮かばないような文言の羅列だった。
 しかしそれは、その後判明するマナミの実体と照らし合わせればそこまで首を傾げるほどのものではなかったのである。

 その後間もなく、マナミの配信は何の予告もなく突然開かれなくなった。そして彼女の真実の身の上が日のもとに晒された。

 全国ニュースで報じられた、悲惨な事件の関係者の名前…被害者ではない…は、いつかマナミが僕にだけだと教えてくれた(実際は他の誰もに同じことを言っていたかもしれない)彼女のフルネームと一文字たりともたがわなかった。
 また、事件の起きた土地、現場となった企業の業種、そのどれもがマナミの居住地(都道府県まで配信で明かしていたのだ)、話していた職種と一致した。

 オンライン交流会の仲間からは、マナミに電話をかけてみたところ「お客様のご都合により…」というアナウンスが流れる、あれはまさか、という連絡を受けた。
 そのアナウンスは多くの場合、利用料金未払いのため電話が使えなくなっているか、何らかの理由で利用停止状態の時に流れるものである。
 僕もまた、彼女にLINEを送ってみたが、何日経っても既読になることはなかった。

 まさかとは思ったが、そのまさかであったのだ。信じたくはなかったが、事実であるのは間違いはない。百年の恋も冷める、という言い回しがあるが、その時の僕は、それにほぼ一致する心境だったと思う。

 ニュースでの報道によると、マナミは実際は短気で攻撃性の高い性格(後から思えば、オンライン交流会でも時々その片鱗が見えたことはあった)である上に、人と和を保てず、小さな子供のように思ったこと全てを口にしてしまうので、社外とのトラブルも絶えず、職場でも大きなお荷物状態であり、他にも遅刻、居眠りを頻繁にする、身だしなみも整えぬまま出勤する等、社会性のない人間であり、同僚や上司からも極端に疎まれていたという。
 プライベートでも前述の性格が災いし、他愛もない話をする友達らしい友達はひとりもいなかったという。そこで匿名性が高く、また自らの真実も隠しやすいオンライン交流サービスを利用し、親しく語りあえて、自分を褒めてくれて、自分のためにお金を使ってくれる「友達」を作りたかったのだそうだ。
 匿名性が高いのにも関わらず、フルネームでは無いにせよ本名そのままの名前で利用していたり、敢えて職種がわかるような発言をしていたのも、さも現実で「友達」ができたかのような気分を味わえて、職場での不遇な扱い(本人の認識では)に同情してもらえると思ったから、と調べの際に話したという。
 ニュースでの報道がどこまで本当かはわからないが、個人的にLINEでやりとりし、特に最後に僕に送ってきたメッセージに並べ立てられた醜悪な文言を目にしたことのある僕は、それらは大きくは間違っていない気がした。極めて哀れな女、それがマナミの真実の姿だった。

 実際の事件について知ることは時系列的に無理だったとしても、君は早いうちからマナミの正体にうっすら気がついていたのだ。
 だからこそ忠告してくれた。自分を恨んでくれても構わない、ただ、あなたが巻き込まれたらたまらない、と。

 僕はマナミの面倒ごとに巻き込まれることはなかったが、ダメージは与えられた。他でもない君に及ぶまでの大ダメージを。
 しかし、それもこれも、いくら君の病状が悪化して疎ましくなったからといって、その後、最悪の結果を招くような危険因子のある女にそうと気づかずに熱をあげた僕に責任がある。

 君は、何度も人生で躓いては、立ち上がって、這い上がって生きてきた、と言っていた。
 そんな君の大切な人生を、僕は一時の感情と気の迷いとで、あっさりと消失させてしまったのだ。君の消息がわかった時には、もう2度と戻ることのない旅路へと君は歩き出していた。

 山陰地方のとある山深くの谷川の川べりに寝そべるように横たわっていたという君…初冬の寒さも、もう感じられなくなっていた状態だった可能性が高いという。
 僕がプレゼントして、君が一番気に入っていた、ネイビーブルーのベルベットのワンピースを着て、手紙やメッセージひとつ残さず、眠るように微笑んで、安心しきったような状態で身を横たえていた…らしい。
 話を聞いただけなので想像するしかないが、やりきれなく、呆然とするしか僕には出来なかった。悲しみを超えた、何か言葉では到底言い表せぬ感情に僕は支配されるとともに、深い罪悪感に苛まれた。
 全てがもう、遅かったのである。

 それから何年かが経ったが、その間に僕は遅い結婚をした。
 結局、全国ニュースにまでなるような事件を起こした女と交流があったこと、存在は隠し通してきたが本来ならそうなるべきではなかった状況に君を追いやったことが、ひょんなことから両親にいっぺんに知られてしまい、無理やり見合い結婚をさせられることとなったのである。

 相手は親戚筋の知り合いの娘さんとのことで、3歳下、看護師をしている女性だった。特に好みの容姿をしているわけではなかったが、物静かで、言葉遣いが綺麗だった。可もなく不可もなくといったところだ。しかし僕には選り好みは勿論、断るという選択肢は与えられていなかった。

 妻には、両親の言いつけどおり、件のことについては何も話していない。

 また、配信サイトで知り合った仲間たちとの連絡は、どちらともなく途絶えた。まるで、その全てが幻であったかのように。
 実際に配信サイトでの繋がりなど、本当に幻のようなものなのかもしれない。

 マナミのその後はというと、何故か突然パタリと報道が止んだこともあり、今に至るまで何もわからない。

 今日も僕は、君と手を繋いで行った動物園や、共に眺めた旅先での風景の録画を観ては、君には幸せに生まれ変わってほしい、などと勝手なことを考えたりもしている。
 また、君がいた風景を思い出し、思わず涙することもある。

 妻は、何も気づいていない。僕が映像関係の仕事をしていることが幸いして、思い入れのある作品を見返しているくらいに思っているのではないだろうか。

 結局、こんな男でしかない僕は、いつまたひとりになるかもわからない。

 しかし、どんなに状況が変わろうと、僕が君のもとへ行く日まで、君のいる風景がまた目の前に広がるかもしれないその日まで、君と見た風景の録画を毎日欠かさず眺め続けることだろう。

 君は待っていてくれるだろうか。
 いつかのように、遅いから心配したよ、と涙をいっぱいにその目に溜めて。

 また君に甘えるようなことを考えてしまっている。君に甘えられる日がまた来ることを、僕はどうしても信じたいようだ。いや、信じている。

 これが長い夢であったならどんなによかったか…

 かつてマナミからのLINEメッセージを読んで、幸せを感じていたのと同じ、朝目覚めたとき、今では毎日そんなことを想う。

※この物語はフィクションです。実在の人物、団体とは一切関係ありません。

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