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私的、「津軽」への旅 〜旅立ち編〜

「ね、なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ。」

旅に出なければ行けない。
何もかもから逃げ出したかった。
縋っていたものが信用できなくなり、また自分自身も信用できなくなっていった。
愛犬がいなくってしまった。
虹の橋とやらを突然渡りに行ったらしい。
何もかもが憂鬱に思えた。
何にでもイライラしてしまう自分自身に、ほら、またイライラしていると自分自身が答える。
旅に出なければいけない。
この場所から逃げ出す「ポーズ」だけでもとらなければ、自分はダメになってしまう。

ふと「恐山」に行きたくなった。
昔何かで見た。死者に会えるらしい。
そんなことはありえないと、当然わかっている。
決め手は「北」だ。
とにかく北に行かなければならない。
恐山は本州ほとんど最果てだ。

*****

何年振りかに夜行バスを乗り継いで青森県へ向かう。
目的は恐山がある「むつ市」。
しまった!この時期、青森市では「ねぶた祭り」、弘前市では「弘前ねぷた」、五所川原市では「五所川原立佞武多」があり、ホテルは軒並み満室。
バスですら値段は高騰し、4列シートでも残りひと席。
勝手なイメージで八戸から電車で乗り継いでたどり着けるものだと思っていたが腐っても田舎である。
電車は1時間に一本(下手したらそれ以上)、バスとの連絡も運次第。
結局残りひと席となっていた東京→五所川原行きの「パンダ号」で青森へ向かうことにした。

新宿→五所川原行き「パンダ号」


いつからだろう、大人になってから「深夜バス」という選択肢がなくなって、いつだって新幹線の料金をデフォルトに計算するようになってしまったのは。
こちとら自身の音楽活動で、ライブ巡業での遠征で長距離移動はお手のもの。
4列シートでも余裕だろ、と思ったが最後、なるほど10時間運転するのと運転「される」のでは訳が違う。
パリオリンピックに「車酔い」という競技があったならば私はメダリスト候補になっていたであろう。
(高速に乗るまで、高速に乗るまで…)と絶賛自分に言い聞かせ、車酔いのピークをなんとか脱出し、五所川原駅に着いたのは午前8時。

「音次郎温泉」で旅の疲れを癒し、レンタカーを借りいざむつ市へ。

ねぶたの準備が控える五所川原駅前


準備を待っている立佞武多


音次郎温泉

*****

約4時間かけて五所川原からむつ市へ。
陸奥湾をひたすら北上する。
キラキラした海を右手にして、北へ向かう、向かう。

(むつ市の人たちは意外と運転が荒かった。)
どうしてもホタテが食べたかったので狙っていたお店へ向かったが、残念ながら定休日。これも旅の醍醐味である。
並ぶのを覚悟し超人気店「なか川」へ。
ホタテフライ丼。
真珠そのもの。
ぷりっぷりの実にほぐれる貝柱、噛みきれないひも、こちらは時価である。
次はいつ食べれるかな。

ホタテは時価

*****

恐山宿坊チェックインまではまだ時間がある。
少し寄りたい土地があった。
実はむつ市は幕末から明治維新にかけての悲劇の士である「斗南藩」の地である。
白虎隊などで知られる会津藩が移封された土地で、船で乗り継ぎ荒れ果てた土地に到着。
街を起こすも厳しい環境で苦難の連続であった。

こちらは大湊、斗南藩上陸の地。
新たな希望をもって降り立った士達に、海を見ながら思いを馳せる。

大湊のお祭りを見学し、そろそろ恐山へ向かおう。

斗南藩上陸の地

*****

地図上では意外と山は登らないようである。
しかしながら狭い山道をくねくねクネクネ進む。
硫黄の匂いはまだしない。
しばらく落ち着いた道をひたすすみ、恐山冷水へたどり着く。
車を止め少し喉を潤わせてもらったが、冷たい水が身体に溶ける。
何杯も飲んでしまった。
そこかしこに地蔵様がポツポツと現れる。
そこでまた道がくねくねクネクネと続く。
あたりは薄暗くなっていく。

これは一体、いつ辿り着くのか…。
永遠と続きそうな曲がりくねった道をひた進み、そろそろ怖くなってきたぞ…と思ったその時、道がガクンと下り坂になる。

フワッと車体が浮くような感じがしたその時、左手には大きな湖が。
その瞬間、硫黄の匂いが全体を包む。

異様な光景。

憂を帯びたような湖。
靄がかった道のその向こうに、それはあった。

そう、それは、「恐山」。


恐山冷水


そう、それは恐山



…②へ続く。


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